仙台そして塩竈の報告
平成25年11月11日(月)
十一月九日と十日の土曜日曜は、
後醍醐天皇が隠岐島からご帰還時に乗られる船を密かに造ったご先祖をもつ隠岐島出身で長じて東京を経て塩竈に移り、塩竈神社の禊ぎで性根が育ったという仙台の高士、増本和司さんと同志の計らいによって、仙台の松音寺と塩竈の壱番館ホールで、それぞれ基調講演をする機会を与えられた。以下は、その報告。
大阪伊丹空港を出発した機が洋上から左旋回して仙台空港に近づいたとき、右側に名取川の河口と南北に続く砂浜が見えた。
名取川北側に赤茶けたまばらな松林がありその西には田畑の区画だけがあって何もない地面が広がっていた。
この場所こそ、平成二十三年三月十一日午後三時過ぎ頃、あの巨大津波が黒い壁となって陸地に乗り上げ襲いかかってくる状況が初めてカメラに捉えられた場所である。
それは、日本と世界が初めて見る身の毛がよだつ津波の映像だった。その状況をヘリに乗って中継する報道員が、「あー、あーああ!」と叫んだことを覚えている。
彼の眼下に、今まで観たこともない黒い水の壁が巨大な得体の知れない生き物のように、家をなぎ倒し高速で逃げる車をスローモーションのように呑み込んで進んでいた。
仙台訪問は、この名取川河口に向かって機内から合掌することで始まった。以前に、この名取川河口を地上から訪ね合掌したことはあったが、あの衝撃的な映像と同じ角度から眺めたのは初めてだった。
講演においては、第一日目の仙台の松音寺では、日本と日本民族の本来の姿について述べた。
その本来の姿は、隠れているようにみえて、実は、平成二十三年三月十一日から平成二十五年十月二日までの間に、明確に顕れていると述べた。
まず、東日本巨大地震と巨大津波の襲来に際し、我が国の最大の危機管理者即ち統治者として天皇がおられた。そして、その天皇の「権威」が神秘の世界に淵源して途切れることなく今に続いていることを示したのが伊勢神宮の式年遷宮における十月二日の内宮における「遷御の儀」である。
そして、天皇とともにある日本国民は、天皇の激励とお見舞いの下に、昔から変わらない一つの家族のように思いやりと秩序を維持していた。
よって、この天皇と国民の絆に基づく我が国の姿を、法的に最も正確に適切に表現すれば如何になるか。
大日本帝国憲法第一条と三条の如くなる。
「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」
「天皇は神聖にして侵すべからず」
第二日目の塩竈では、この我が国の本来の姿を覆い隠して封印し、現在の日本国民と戦前の正確には「明治」の日本国民とを断絶させているものの「正体」を捉え、これを打破することを述べた。この正体こそ、「戦後体制」そのものである。
では、戦後体制とは何か。
それは、GHQの言論弾圧手段としての「検閲」と、
その言論封殺下にGHQによって与えられた
「東京裁判」と「日本国憲法」によって造られた。
従って、この「体制」から脱却するとは、
自らを「検閲」から解放し、
民族の歴史を取り戻して「東京裁判史観」を克服し、
自主憲法を制定して「日本国憲法」を廃棄することに他ならない。
以上が私の基調講演の要旨であるが、塩竈ではその後、二名の参議院議員と二名の宮城県会議員と私との合計五名によるパネルディスカッションが開かれた。各議員の方々は非常に格調が高い愛国の情溢れる談話を発表された。
そして、会場からの質問を受けた。その質問に対する応えに関して、一つ言っておきたい。
最後の質問は、「日本の敵は何か」というのもであった。
「それは、中国(支那)だ」と、
若き同志である和田政宗参議院議員が答えた。
まさに、我が国の敵は、「中国共産党、支那である」。
私は、それを前提にして、さらに敵を指摘した。
我が国のもう一つの難敵は、金だけが目的の多国籍企業、具体的には、アメリカの連邦準備銀行の大株主達である。
彼らは、アメリカを使って、日本をTPPでこじ開けて国境をなくし、日本をマネーゲームのハイエナの餌場と化して日本を日本でなくそうとヨダレを垂らす
「金で世界を支配しようとする無国籍巨大企業」である。
既に九十九%のアメリカ人は、彼らの犠牲者となり古き良きアメリカ、「大草原の小さな家」はもうアメリカにはない。即ち、アメリカの中産階級は没落している。
そして彼らは、日本にターゲットを絞り、巧妙に我が国内政治を動かし、海外にいるとき如何なることがあったのか、安倍総理は帰国後、急速にTPP受け入れに動いている。
異様である。
急ぐことはない。国民の前での議論を尽くすべきである。
小泉総理以来の「郵政民営化、構造改革、規制緩和、市場原理主義」が一体、我が国に何をもたらしているのか、総点検をして、しかる後に、さて、TPPをどうするかを考えるべきだ。
いい加減に、外国語のアメリカ製のスローガン、に流されるのは止めよう。
講演が終わり、暗い道を仙台飛行場に急いだ。高速道路下の遂道を指さして仙台の人が言った。「あの下で四十台の車が水没していた」と。
至るところに、犠牲者の終焉の場所がある。
厳粛な思いで空港に着いた。
最後に、放射能について言っておきたい。
同志の一人に植木屋さんがいる。仙台護国神社やいろいろな庭園の植木を世話している。彼に尋ねた。
「植木屋仲間で、福島原発の周辺の住民を退避させている地域の樹木に何か異変があるとかの噂はあるか」
「異変があるとは聞いていない、が何か変わったようなことは言われている」
「どういう風に変わった。しおれたのか元気になったのか」
「皆、元気になったのではないかと言っている、花の咲き具合も違う。花が多くなった。」
この植木屋さんの答えを聞いて、以前、九百名の双葉町の人々が避難させられている猪苗代湖のホテルに行って避難民の健康状態を聞いたとき、「皆、元気になった」という答えが返ってきたことを思い出した。
福島は人にとっても木々にとっても安全である。
これを危険視して被害を拡大し住民に徒に苦痛を強いたた元凶は、菅内閣である。