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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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乃木神社、御祭神百年祭

平成24年9月14日(金)

 九月十三日、午後五時からの、東京乃木坂の乃木神社御祭神百年祭に出席した思いを記しておきたい。
 本日(十四日)、尖閣周辺海域に、我が国の国政が最も脆弱な状態であることを見抜いて、予想通り、六隻の中国の「公船」が、日本の実効支配を排除するという中国共産党政府の方針に基づき領海を侵犯した。
 丁度この時、民主・自民の与野党の党首選挙に名乗りを上げた面々は、この事態に明確な対処方針を打ち出すことなく、戦後憲法体制のなかでの「甘言」で、対処方を説明して代表選を過ごそうとしているようだ。
 今我が国政治は、最低レベルに落ちている。
 従って、このようなときに、明治天皇崩御百年祭、乃木希典殉死百年祭を迎えることは、まことに天意としか思えない日本の再興の起点である。
 同時に、支那に言っておくが、我が国に仇をなし我が国を嘲笑した国は、隋であれ元であれ明であれ清であれ中華民国であれ、例外なくみな滅びるのだ。中華人民共和国も滅びる。

「昨年の東日本巨大地震・巨大津波は、我が国の戦後憲法体制を破壊し、本日の乃木希典閣下殉死百年祭は、戦後憲法体制から脱却した我が国が回帰すべきところを指示しております。
 その、帰るべきところとは何か。
 我が国は、高貴なる明治、即ち、明治天皇のもとで乃木閣下と共に祖国のために戦った明治の精神に還るべきなのです。
 そのことを身をもって示してくれたのは、昨年の被災地で身を犠牲にして人々を救った殉職者でありました。
 彼らは、乃木閣下が、明治天皇に報告した兵士たちと同じ、「死を観ること帰するが如き」人々だったのであります。
 私は、一日たりとも、乃木閣下のことを思はない日はありません。
 みなさんと共に、本日の乃木閣下殉死百年祭に参列させていただき、まことに幸せであります。」

 以上が、昨日の百年祭の直会における私の挨拶です。当日指名されたもので、あらかじめ準備していた挨拶ではありません。
 
 さて、私は、十三日の百年祭に向かう新幹線車中において、大正元年九月十三日の乃木閣下自決の場面を今一度読んだ。
 それは、長州人の古川薫氏の描いた「斜陽に立つ」(毎日新聞社刊)の「もののふの最後」という場面である。
 古川氏は、警視庁医務員作成の「乃木将軍及同夫人死体検案始末」に基づいて克明に描かれている。
 従って私は、この箇所を初めて読んだときに、実際に刀を手に持って、乃木閣下が如何にして死んだかを辿ることができた。
 乃木閣下は、まず腹を横一文字に切り、次に縦に十文字に切り裂き、再び襦袢で腹を覆いズボンのボタンを止めて居住まいを正し、次に刀を逆さに立てて柄を足で固定して切っ先を首にあて、のど元から一気に刺し貫いて死を成就させている。
 その前に、自害の心得のない夫人静子が、短刀を右胸に刺して苦しむのを見て、静子を抱きかかえ、左胸第五肋間肋骨の左から右心室まで短刀を柄元まで一気に刺入して即死せしめ、彼女を「端坐俯伏」の姿勢に整えた。よって、「死体検案始末」は、「衣装等毫も乱れず」と夫人の死にざまの見事さを讃えている。

 そこで、この「死体検案始末」にある情景を、「斜陽に立つ」は如何に描いたのか。
 戦後、乃木希典閣下を冷笑し非難する人々がもてはやされる風潮があるなかで、著者の古川氏は「あとがき」で、次のように書いている。
「ところで、明治の作家は泣きながら書くということもあったらしいが・・・年齢を重ねてからは、ついぞ泣きながら書くことがなくなった。加齢とともに神魂の潤いが消えたのだろうと思っていた・・・。
 こんど終章のその場面に差し掛かったとき、突然私は激して、頬をつたう涙を拭いながら、一気に書き上げた。
 老いのため涙腺がゆるんだと思われてもよいけれど・・・(乃木を非難する)声を耳朶に響かせ、怒りに震えながら、思い浮かべたのは『世上の毀誉褒貶は無縁のざわめきでしかなかった』というむすびのことばだった。」

 次に、著者が泣きながら書いたその終章を記して、乃木閣下と静子夫人を偲び、その霊の安らかなることを祈り、高貴なる明治の精神を思い浮かべながら、現在厳しい内外の情勢に迫られている祖国日本の再興と御皇室の彌榮を乃木閣下の霊に念じたい。

「胸を突きあぐねている静子に近づいて抱き寄せ、耳元に『そなたには、苦労をかけた。ありがとう』と希典はささやいたであろうか。そして『わたくしこそわがままばかり申しました』と静子はか細く答えたであろうか。
 希典は短刀に手を添え、心臓を一気につらぬいて苦しみから解放してやり、こときれた妻の姿勢を美しく整えたのちに、おのれの自裁を遂げたのだった。
 雪の日、東京から四国まではるばる訪ねてきた静子を予告なしとして追い返そうとし、息子の戦死を喜べと言ったりするなど、三十四年間連れ添った妻に、つらくあたるばかりの表面非情な夫を演じてきた希典が、いまわのきわにしめしたそれが、愛する者にたいする明治の男の全身全霊をこめたいたわりというものであった。
 憂い顔のままに乃木希典は、斜陽に立つ孤高の像を今の世に残した。自敬に徹したこの最後のサムライにとって、世上の毀誉褒貶は無縁のざわめきでしかなかった。」

 乃木神社の直会においては、慣例により高山宮司が、次の三つの和歌を朗誦されるごとに一献を上げる三献の儀が行われた。
 即ち、次の、明治天皇御製、乃木大将辞世そして静子夫人辞世である。
 一 いさをある 人を教えのおやにして
   おほしたてなむ やまとなでしこ
 二 うつし世を 神さりましし大君の
   みあとしたひて 我はゆくなり
 三 出てまして かえります日のなしときく
   けふのみ幸に 逢ふそかなしき

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