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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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忘れ得ぬ言葉よ、甦れ

平成22年12月30日(木)

 本年があと一日を残すのみとなった今日、「忘れ得ぬ言葉」を書き留めておきたい。
 十日ほど前の今月中旬、九州大学の学生諸君に招かれて話す機会を与えられた。
 九州大学の構内にはいるのは初めてだった。従って、私の九州大学に関するイメージは、大学紛争の時代と変わっていなかった。つまり、アメリカ軍の戦闘機が校舎に突き刺さった左翼の巣窟と化した大学というイメージだった。
 そこで、何を話そうかと考えた。そして、政策論に留まるよりも、国家を成り立たせ存続させるスピリット即ち伝わってきた言葉について若い諸君に話そうと思った。
 我が国現在の惨状から脱却して国家を再興するためには、そのスピリットを甦らせ回復しなければならないと思うからである。
 明日の国家を支える若き学生諸君に、「無国籍でニュートラルで抜け目のない」政策論を「専門家」のように語ってはいけないと思う。
 年齢に関係なく、同じ課題に直面している同時代の実践者として、私の「忘れ得ぬ言葉」を語ろうと思った。
 そして、次の言葉を語った。
「この言葉を切っ掛けとして『英霊』とは如何なる存在かと感じてほしい」と前置きして。

1、「一生の終わりに残るものは、我々が集めたものではなく、我々が与えたものである」
                 ジュエラール・シャンドリー 
 この言葉は、私が尊敬して交流させていただいた佐藤武英という方の墓の前に刻まれている。ジュエラール・シャンドリーという人が如何なる人か知らない。
 しかし、この言葉は心にしみる。
 英霊とは一滴の水も持っていなかったが深く大きなものを今に生きる我々と祖国に与え続けている人々である。
 今に生きる我々は、何も持たなかったが、与え続けている人がいることを忘れてはならない。また、我々も、そのように生きねばならないのだ。

2、「幸いなるかな、炎を点火して燃えるマッチは
   幸いなるかな、隠れた心のうちに燃える炎は
   幸いなるかな、栄光のうちに死ぬことを知った心は
   幸いなるかな、炎を点火して燃えるマッチは」
 この詩を残したのは、ハンナ・セネッシュという若いユダヤ人女性である。彼女の愛と勇気は、戦いの中でこの詩の通り実証された。彼女は、ユダヤ人を救出するために兵士となりパラシュートで降下してナチスの支配するヨーロッパ戦線に赴いた。
 その時、故郷のハンガリーに潜入する前に上官に託したのがこの詩だ。
 ハンナは、ハンガリーに潜入したが、捕縛された。そして激しい拷問を受けたが仲間の名を言わず、一九四四年十一月七日午前十時、目隠しを拒否して銃殺された。二十三歳だった。
 彼女の死後四年後に、イスラエルが建国された。エルサレムのヘルチェルの丘に彼女の墓があるが、何時も新鮮な花が手向けられている。私が訪れた時、若く美しい彼女の写真が墓の横におかれていた。
 彼女の生涯とその「愛と勇気」は「闇に輝く一条の光」として多くのユダヤ人に伝わり、イスラエル建国の力となった。その詩は、今もイスラエルの人々に愛唱されている。
 イスラエルは建国以来、国家が存続するために七度の戦争に勝ち抜かねばならなかったが、それは「栄光のうちに死ぬことを知った心」によって遂行されたのである。
 そこで、このハンナ・セネッシュの死から六ヶ月後に遙か離れた沖縄で亡くなった多くの乙女のことを思おうではないか。
 負傷して動けなくなった兵士を残して逃げることを拒否して戦死した彼女たち、看護婦の責務を全うした高等女学校生徒は、一人一人「炎を点火して燃えるマッチ」であり「栄光のうちに死ぬことを知った心」だったのだ。
 イスラエルがハンナ・セネッシュを誇りに思い讃えるならば、我々も沖縄の数百人のハンナ・セネッシュ、戦場で看護婦となって戦死した高等女学校生徒の乙女達を誇りに思い忘れてはならない。
 沖縄の戦跡に建てられた白梅の塔やひめゆりの塔は、彼女たちの愛と勇気を讃え感謝の誠を捧げるところだ。
 あなた方は、「闇に輝く一条の光」だ、と。

3、「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火なかにたちて 問ひし君はも」             弟橘姫
 これは、我が国の心に時空を超えて流れる「愛と献身」を示す最も尊い歌。夫である日本武尊を助けるために入水した弟橘姫の歌。
 日本武尊は、焼津の草原に火を放たれて炎に囲まれたとき、草薙の剣で活路を切り開こうとした。その時、「その炎のなかに立って私を振り返り、「大丈夫か」と案じて下さった貴方よ!」と姫は歌い入水していった。

4、防人の歌二首。
「今日よりは 顧みなくて大君の 醜の御楯と 出で立つ吾は」
「大君の 命かしこみ 磯に触り 海原わたる 父母をおきて」
  吉田 満
「至烈の闘魂 至高の練度 天下に恥じざる最後なり」
 これら、それぞれ唐新羅連合軍との戦いと大東亜戦争。千数百年の時を隔てるといえども、同じ英霊の心と戦いぶりである。我が国に伝わる「祖国への愛と献身」の系譜につながる言葉だ。
 なお、吉田 満の言葉は、著書「戦艦大和の最後」を締めくくったものである。しかし、この言葉は、GHQによって削除されて抹殺され、今刊行されているものは、「彼ら終焉の胸中 果たして如何」と変更されている。
 これが、GHQの実施した検閲の実態だ。つまり、英霊から「栄光のうちに死ぬことを知った心」即ち「天下に恥じざる最後」を奪ったのだ。
 民族の名誉にかけて、マッカーサーとGHQ、断じて許し難い。

5、吉田松陰
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちるとも 留めおかまし 大和魂」
 過去現在未来の日本人は、全てこの心をもっている。
 従って、悲しみの極みにおいて、次の言葉が自然に語られた。

6、「人は皆、いつか死にます。めぐみは、濃厚な足跡を残していきました。皆さん めぐみを愛していただいてありがとうございます。」            横田早紀江
 この言葉は、平成十四年九月十七日午後六時頃、自分の娘である横田めぐみさんが、既に亡くなっていると小泉内閣から「死亡宣告」を受けた十五分後になされた母早紀江さんの言葉。
 十三歳で北朝鮮に拉致されためぐみさんは、集めたものは何もなく何も持たなかった、しかし祖国と人々に多くのものを与えていると、母の直感が語った。
 なお、北朝鮮と小泉内閣によるめぐみさんの死亡宣告は嘘であり、めぐみさんは生きている。
 彼女たちの救出を忘れた国家と日本人に未来はない。

 最後に、次の言葉が忘れ得ない。
 共に、硫黄島の戦いのなかで戦没した無名の兵士の言葉である。
留守晴夫著「常に諸子の先頭に在り」(慧文社)により教えられた。

 「軍医殿、泣いておられるのですか」
 これは、硫黄島の動けなくなった重傷者で充満した天然壕のなかで、安楽死の注射を打たれた兵士が最後に軍医に言った言葉である。
 彼は、極限とも言うべき自らの悲惨そして苦痛のなかにおいても、自分に安楽死の処置をしようとする軍医を気遣っているのである。
軍医の涙が、彼の顔に落ちたのだ。

 海軍司令部付士官松本巌は、伝令のため本部壕を目指した。その途次、動けなくなった重傷者が集められた陸軍の中隊壕に入った。多くの兵の手足は無くなり、顎がない兵士もいた。
 そのなかの一人の兵が松本に言った。
 「水があったら飲ましてくれ。もう四日も何も口に入れていない」
 松本が水筒を彼に渡して飲まそうとした。
 その時、壕の入り口付近にいた下士官が松本に言った。
「海軍さん、やめろ、あと二時間もすれば、俺たちは皆火炎放射器で焼き殺されてしまうんだ。
 死にかかった者に飲ます水があったら、
 その水をあんたが飲んで戦ってくれ。
 あんたは手も足もまだついている。やってくれ、我々の仇を取ってくれ。頼みます。」
 松本は中隊壕を出て半時間ほど歩き本部壕にたどり着いた。程なくして、中隊壕の百五十数名が火炎放射器で全滅させられたという報告が本部に届いた。
 
 硫黄島で、このような兵士が戦っていた。そして、続く沖縄でも。共に、アメリカ軍の本土への本格的侵攻をくい止めるためだ。
 それ以前の、サイパン、ペリリューまたアッツ島そして、インパールにおいてもこのような戦いが為されたのだった。
 では、これら勇戦奮闘した兵士とその心は、過ぎ去ったその時にしかないのか。
 そうではない。
「過去は過ぎ去った日付のところにあるのではなく、今に生きる我々のなかにある。我々は過去である。」
 従って、歴史を失うとは、過去を過ぎ去った日付のところに放置して忘れることである、つまり自らを忘れることである。多くの民族は、そのようにして滅んだ。
 だが、我々日本人は、断じてその轍を踏んではならない。
 我々自身が再生するために、民族のなかに受け継がれてきた「闇に輝く一条の光」を甦らせよう。
 我が国の無量の英霊よ、我らのなかに甦り我らに力を与えたまえ。

 私に話す機会を与えてくれた九州大学のすばらしい学生諸君に感謝して、貴君らの新年のご活躍を祈ります。

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