大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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あの時、学生寮にいた

平成22年11月20日(土)

 十一月の後半に入れば、あの時のことを想い出す。
 それは、三島由紀夫自決の日のことだ。
 しかし、何も特別なことを想い出すのではない。
 学生寮の玄関から出てきた寮生の顔に当たっていた木の葉の影を想い出すのだ。奇妙なことだ。

 学生時代、銀閣寺近くの大文字山麓の学生寮に住んでいた。「海の星学寮」という。
 あの日、十一月二十五日、大学から吉田山を越えて「海の星」に歩いて戻ってきていたと思う。寮の玄関近くの垣根のところに来ると、玄関から飛び出してくる寮生とぶつかりそうになった。
彼は、僕に言った。
「今、三島さんが市ヶ谷の自衛隊に立て籠もっている」
その瞬間、僕は、あっ、三島さん、死ぬんだ、と思った。
寮生の顔には、晩秋の陽と木の葉の影が当たっていた。

 それから四十年。今もその木の葉の影が瞼に浮かぶ。
 昨日、大阪市内で「日本の再興」について話す機会があり、
我が国の現状を説明し現内閣と民主党のもたらしている惨状を語っていると、自然に、三島さんが述べたことが口から出た。
 まさに今、無機質でニュートラルで無国籍で抜け目のない人種が、この列島にいる。特に政界に満ちている。
 三島さんが、あの時、腹を切って指し示したものは、今まさに生きる警告となって国の病を照射している。

 その時、「坂の上の雲」を書いていた司馬遼太郎さんは、翌日の朝刊に三島さんの死についての一文を載せた。
 彼は、吉田松陰は、民族に一人いていい、しかし二人になっては困る、吉田松陰が二人もいれば、民族の精神病理の領域の問題になる、と書き始めていた。そして、「かの名作、まことに名作」である三島さんの「午後の曳航」の主人公の死を三島さんの死に重ねたうえで、我々は、この二度と現れないかもしれないこの作家の死を如何に悲しんだらよいのだろうか、と結んだ。
 三島さんの死の翌日の朝刊に一文を載せるということは、三島さんの生首が運ばれているのを見ながらこの一文を書いたということである。
 僕は、司馬遼太郎の力量に舌を巻く思いだった。
 
 しかし、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が描く、乃木希典愚将論は、正さねばならない。
 司馬さんは、乃木愚将の極めつきを「白襷隊」三千名の旅順要塞突入とみて、これを「兵の屠殺」とする。
 ところが、ロシア側記録には、「余等の日本軍への屈服は、この白襷抜刀隊の突入を受けたときであった」と書かれ、白襷隊がロシア軍に甚大な精神的動揺を与えたことが記録されている。
 そして、イギリス国防委員会の「公刊日露戦史」も
「(旅順要塞陥落の)最後の決定は従来と同様に歩兵によってもたらされた。・・・この旅順の戦いは英雄的な献身と卓越した勇気の事例として末永く語り伝えられるであろう」と書いている。
 この白襷隊三千名は、午後六時に行動を起こし、深夜に抜刀して要塞内に突入し消滅した。その日は、十一月二十六日である。

 十一月二十五日と十一月二十六日は、日本人として忘れてはならない日であろう。
 共に、「英雄的な献身と卓越した勇気の事例」である。

 本日、福井県立大学教授の島田洋一さんのブログをみると、懐かしい「海の星学寮」の寮生だった島田さんが、同じく寮生だった外務省南部アジア部長(前駐中国公使)の梅田邦夫さんを国家基本問題調査会に呼び状勢を聴いたと書かれていた。
 それを読んで、十一月二十五日の「海の星学寮」の玄関でのことがまざまざと甦り、以上の一文を書くことになった。
 なお、元上海総領事で病床で心にしみる文献である「大地の咆哮」を書き上げて亡くなった杉本信行さんは、僕と同年の法学部学生だったが、海の星の先輩寮生だった産経新聞の矢島誠司さんと義兄弟になった(矢島さんと杉本さんの姉さんが結婚した)。
 遙か昔、矢島さんに連れられて比叡山の登り口にある杉本さんの家に上がり込み、外務省に入省して海外にいる同級生のことを思い、やはり、四年の間にもっと勉強しておけばよかったと思ったものだ。その時、僕は、まだ大学にうろうろいて六回生くらいだったのではないか。

 以上、本日は、とりとめもなく失礼しました。
 本日午後、「傲慢無礼者中国の尖閣侵略」に抗議するため、御堂筋での抗議デモと難波における抗議集会に参加します。

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