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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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沖縄戦と戦艦大和の最後、そして新党の歴史的使命

平成22年4月12日(月)

 四月に入り、やはり思い出すのは、四月七日の「戦艦大和の最後」と沖縄戦だ。
 昭和二十年、アメリカは日本本土制圧という最終目的を実行に移す為の前進基地および補給基地として、二月に硫黄島と三月に沖縄本島に上陸してきた。
 硫黄島には民間人はいなかった。しかし、沖縄にはいた。その結果、沖縄では民間人九万四千名が戦死した。硫黄島の戦いと沖縄の戦いの開始と終局、そして戦死傷者は次の通り。
 硫黄島の戦い 昭和二十年二月十九日~三月二十六日
  日本軍戦死者 2万0933人
  アメリカ軍戦死者 6821人 負傷者2万1865人
 沖縄の戦い  昭和二十年三月二十六日~六月二十三日
  日本軍戦死者 18万8136人、内民間人9万4000人
  アメリカ軍戦死者1万2520人 負傷者7万2000人 

 硫黄島と沖縄の戦いにおいて、日本軍の全将兵は、アメリカの本土攻略の意図を明確に認識し、硫黄島と沖縄において断固としてアメリカ軍を食い止める決意のもとに決死の覚悟で長期持久の戦闘を開始している。
 この決意は、各戦いのほぼ同年代の各司令官が自決・戦死前に送った訣別電文のなかの辞世等によく顕れている。
 また、民間人に多大の死者が出た沖縄においては、民間人も将兵と同じ認識のもとにアメリカ軍の攻撃に立ち向かったことが太田中将の訣別電報において報告されている。
 
 硫黄島の栗林忠道陸軍中将 三月二十六日までに戦死
  「國のため 重きつとめを 果たし得で 
           矢弾尽き果て 散るぞ 悲しき」
 沖縄の牛島 満陸軍中将 六月二十三日 自決
  「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 
           魂還り魂還りつつ 御國護らん」
 沖縄の太田 実海軍中将 六月二十三日 自決
  「沖縄県民斯く戦へり 
      県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」

 また、戦死者に対する昭和天皇と今上陛下の御製
 昭和天皇
 「國のため 命ささげし 人々の 
           ことを思へば 胸せまりくる」
 今上陛下
 「精根を 込め戦ひし 人未だ
           地下に眠りて 島は悲しき」
 この今上陛下の御製は、平成六年に硫黄島に行幸されたときのもので、栗林中将の「散るぞ悲しき」を承け、陛下は、その思いを汲み取られたうえで、「島は悲しき」と結ばれている。
 ここに、天皇と民が、和歌において対話し交流するという、我が国の万葉集以来のまことにありがたい文化が顕れている。

 國のために命を捧げたこれほど多くの国民をもつ国家は、何を堅持すべきか。それは、戦いに勝っても負けても、
「我が国家は命をかけて護るべき誇りある国家である」
という国体への信念である。
 この信念を国家が放棄すれば、國のために命を捧げた人々は何の為に死んだか分からなくなる。
 そして、今まさに「國のために命を捧げた人々」が、永遠に何のために死んだか分からなくなる方向に、我が国が落ち込んでいくのか、それとも命に替えても護るべき国家に命を捧げた英霊として讃える方向に向かうのかの分岐に差し掛かっていると全身で感じる。これが即ち、我が国家の衰亡か再興かの岐路なのだ。

 私自身、硫黄島を訪れたとき、沖縄を訪れたとき、いつも尊い御國のために命を捧げた人々の御霊に感謝と慰霊の気持ちを込めて天地に手を合わす。
 その上で、現在の沖縄戦における沖縄県民の戦死者を、日本軍によって護られなかった犠牲者だとみなす風潮に対して、そうではないだろうと強く違和感を感じる。
 現在の、普天間基地移転問題に象徴される沖縄の課題は、総理大臣が驚くほど無能であり、かつ、沖縄戦とそこで命を捧げた人々の死の意味を理解できないでいることの結果として、混迷しているのではないか。

 沖縄の知人がメールで次のように述べていた。
「(沖縄は)米軍基地の存在で補助金が雨あられと降り注ぎ(年間6000億円以上)BMW、ベンツ等の高級車走り回り、人口は戦前の二倍を突破、億ションが完売しまた増設している情況です。・・・(徳之島の)町長が、『沖縄の痛み』と発言したものですから、次に登壇しました小生は、沖縄の実態を語り、『何が痛みか、余計な憐れみはするな』と言っておきました。
 そして、英霊を単なる犠牲者と発言するバカ知識人もおりましたので、こいつにも『英霊慰霊とは僭越だ、英霊顕彰、あるいは英霊への感謝と言え』と言ってやりました。
すると、85歳のおばあさんが小生に『エーこと言ってくれた。有り難う』と言っておりました。」

 太田実海軍中将の訣別電文に言う、
「沖縄県民斯く戦へり・・・後世特別の配慮を」の真意は、アメリカ軍と戦い亡くなった沖縄県民に対し、国民全体が特別の感謝と慰霊をするべきであるということであり、悪い国家の犠牲者として哀れむことではなく、補助金を流し続けることではない。
 沖縄県民は軍に見捨てられたのではなく、共に闘ったのである。そして、戦う以外に選択肢はなかった。
 アメリカ軍は、三月十日には、東京を爆撃して、一日で十万人の非戦闘員の東京都民を焼き殺し、以後大都市を無差別に爆撃し市民を殺戮した。それは、八月の広島長崎の原爆まで続く。同様に、アメリカ軍は、三月二十六日から六月二十三日まで続いた沖縄戦において、軍隊ではない住民を無差別に攻撃したのである。
 東京、大阪の無差別爆撃と広島、長崎原爆投下においては、殺戮される住民に抵抗の術はなかった。空から爆撃されるままであった。
しかし、三ヶ月にわたる地上戦である沖縄においては、一万二五二〇人のアメリカ軍を戦死させ、七万二〇〇〇人を負傷させた。まさに、「沖縄県民、斯く戦へり」である。
 
 この沖縄戦には、本土の各基地から発進した数千の特攻機が洋上で沖縄を包囲する敵艦目がけて突っ込んでいる。そして、戦艦大和が沖縄特攻に出撃し、四月七日に轟沈する。
 この戦いは、「天下に恥じざる」ものと私は思うのである。
出撃する戦艦大和に海軍少尉副電測士として乗り込み戦った吉田満氏が、生還直後に一日で書いた「戦艦大和の最後」を信じるからである。
 しかし、この原稿は、GHQの検閲により全文削除され、現実に世間に流布した「戦艦大和の最後」は、当初とは異なる。
 この違いは、戦後のGHQの思想統制を知る上で重要である。
このGHQの統制によって、日本国民一人一人が、國のためと心から思って戦い死んだことが、悪い国家の為に犠牲になった犬死にと転換されているのだ。
 次に、「戦艦大和の最後」の昭和二十年のGHQにより全文削除された末尾と、昭和二十七年に出され流布された末尾を掲げておく。
 
全文削除版
「本作戦遂に成功せず、艦隊の過半を失い、途半ばにして帰投す 連合艦隊司令長官より感謝の詞あり
 当艦隊の犠牲的勇戦により特攻機の戦果大いに挙がりたり、と
以て瞑すべきと雖も、作戦目的を貫徹し得ずして又何をか言わん
或いは戦術的考慮皆無、剰りにも無謀なる作戦なり、と また発進時期尚早、まさに至宝を放擲せるにひとし、と
さはれ徳之島西方二十浬の洋上、大和轟沈して巨体四裂す 水深四三〇米 乗員三千余名を数え、還れる者僅かに二百数十名
至烈の闘魂、至高の練度、天下に恥じざる最後なり」

昭和四十九年八月刊行の決定版
「徳之島の北西二百浬の洋上、大和轟沈して巨体四裂す 水深四百三十米、今なお埋没する三千の骸 彼ら終焉の胸中果たして如何」

 戦い生き残った者が、共に戦い死んだ者と、生死の区別を越えて一体となり、「天下に恥じざる最後なり」と言い切った時と、
後年、「彼ら終焉の胸中果たして如何」つまり戦死した者の気持ちは「分からない」と言いう時の間に、何があったのか。
 これこそ、GHQの言論統制と、それによる国民の記憶の喪失、歴史の喪失である。
 普天間基地移転問題が錯綜するこの四月、硫黄島戦、沖縄戦そして、戦艦大和の最後と数千の特攻機出撃を思い起こし、
それらの戦いが、当初の通り「天下に恥じざる最後なり」との認識を回復することこそ、我が国が、戦後の混迷から脱却して前に向かって前進することにつながると思う。

 ここにおいて、この度、平沼赳夫先生の掲げる「自主憲法制定」の旗の意味は、実は、戦後に封印された「天下に恥じざる最後なり」という認識を回復することにつながっていく。
 従って、この旗の真意を理解すれば、これを掲げるこの新党こそ、戦後を打破して、日本の再興を目指す歴史的使命を背負っていることが分かっていただけると思う。

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