大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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台湾にて

平成22年4月6日(火)

 二日の読売朝刊が、平沼新党結成への動きを大きく報道した。マスコミに察知されるのが、一週間早いな、と思った。
 私の腹は決まっている。日本再興の為に、真の保守政党が必要である。これは、万世一系の天皇を戴く国家である日本の歴史的必然である。草莽として、日本再興に命をかける。
 昨年の選挙における私のスローガンは「日本再興」だ。その為には、自衛隊を国軍に編成しなければならない。この、戦後政治が見て見ぬふりをしてきた課題を掲げていたのは、私だけではないか。そして、選挙期間の前と最中には、平沼赳夫先生と田母神俊雄前航空幕僚長に応援に来てもらった。
 このように、日本再興の為の平沼新党への参加、保守政党結成への参加は、私の政治活動における必然である。
 よって、腹は二年前から決まっているので、報道が一週間早かったが、二日からかねてからの予定通り行動することにした。

 四月二日夕刻から六日早朝まで、台湾にいた。
 北海道比布町の国士、鎌田告人さんと旭川、帯広、美瑛の真人四名と私、合計六名で台湾を訪れる予定だった。 
 このメンバー、こてこての保守のかたまり。六名のうち神社の神主さんが三名もいて、テレビで鳩山、小沢の顔が出てくる度に腹が立つという人々がそろっていた。従って、朝から晩まで、
御国の話、そして、神話また歴史の話だった。それも憂国の思いが高じてくれば、目尻に涙をにじませて話す。
 この六人で、次の通り、台湾観光ガイドには載っていない所を訪れた。つまり、保守勢力の台湾訪問である。
 ①「六氏先生」の墓、②総督官邸跡、③八田與一、外代樹の墓と烏山頭ダム、④飛虎将軍廟、⑤成功大学正門横のガジュマルの巨木、ここは、台湾第二歩兵連隊跡地であり、煉瓦作りの連隊兵舎が今も建ち、その前に昭和天皇が皇太子時代の大正十二年にお手植えになったとの石碑が建てられている。⑥高雄神社跡、⑦台湾最南端のガランピー岬と潮音寺、⑧基隆から台湾最北端

 ①の「六氏先生」は、我が国が台湾統治を始めた一番早い時期に送り込まれた六人の小学校の先生達である。彼らは、危険だから避難せよとの警告があったにもかかわらず、学校から去らなかったために、現地人に殺された。しかし、その後台湾の人々によって「六氏先生」の墓が建てられ、訪れた朝も、墓の前に花と線香が供えられていた。
 墓の前で手を合わせていると、一人の老人が来て、「今僕が線香を供えたんだよ、毎日線香を立てに来るよ」と言った。そして、この墓石が蒋介石時代に倒されたが、李登輝さんの時代に再び立てられたと説明してくれた。そして、同様に蒋介石時代に倒され二つに割られた後に復元再建された多くの物故教員の名前が刻んである二つの石碑と伊藤博文が書いた記念碑に案内してくれた。伊藤の書いた記念碑には、「學務官僚遭難碑」と彫られていた。偶然出会って案内してくれたのは、六氏先生の墓に毎日参っておられる「とう」という名の方で、昭和七年の生まれだよと言われた。場所は、士林の芝山という所。
 ここは、我が国が明治維新の着手点と同じ様に、まず台湾に国民教育の場としての小学校を建設していったことを示す記念すべき地である。

 ④の飛虎将軍廟において、深い感銘を受けた。台南市北西五キロのところにある。祀られているのは、日本帝国海軍航空隊の杉浦茂峰少尉である。
 昭和十九年十月十二日、午前七時十九分、アメリカ軍機が台南を空襲した。我がゼロ戦も迎撃に飛び立った。
 その一機の零戦が、尾翼から火を噴いて真っ逆さまに墜落してきたが、そこには海尾寮という大きな部落があった。するとゼロ戦は、急に機首を上げて部落外れの畑の方向に飛び去り墜落した。そして、飛行士もパラシュートで脱出したが、グラマン機にパラシュートを破られて地面に激突して戦死した。その軍靴には「杉浦」と書かれていた。部落の目撃者にはゼロ戦が部落に墜落するのを避ける為に機首を上げたことが分かった。
 以下、飛虎将軍廟に置かれたパンフレットによる。
 戦争が終わって何年か経って、村に不思議な夢を見たという噂が広まった。白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が夢枕に立つ夢を見た人が何人も出てきたのだ。
 そして空中戦の目撃者が、杉浦少尉操縦のゼロ戦が尾翼から火を噴きながら部落目がけて墜落してきたが急に機首を上げ部落外れに向けて飛び去り墜死した壮烈な情況を語った。
 人々が、部落の守り神にお尋ねしたところ、夢枕に立つ海軍士官はその杉浦少尉だと言われた。
 部落の有志は、部落を戦禍から守るために身命を犠牲にした杉浦少尉に感謝の念を捧げるために、台湾人の謝恩の最高の表現である祠を建て永久に杉浦少尉の恩徳を顕彰することを決めた。
 そして昭和四十六年(一九七一年)に飛虎将軍廟を建設した。
 この廟の飛虎将軍像の右手には中華民国旗、左手には日本国旗日の丸が立てられている。そして、信者によって朝夕二回、七本のタバコが供えられ、朝には「君が代」が、夕には「海ゆかば」が歌われている。
 私どもも、杉浦少尉の為に廟を建ててくれたこの地の台湾の人々の心に感謝し、君が代と海ゆかばを歌って、身命を犠牲にして部落を守った杉浦茂峰少尉の武勇を讃えた。
 数年前に、入間基地を飛び立った自衛隊機が故障のために墜落するとき、市街地を避ける為に河川敷まで機体をもっていって脱出が間に合わなくなり墜死した二人の航空自衛隊員がいた。
 杉浦少尉の為に祈ると同時に、同じように身命を犠牲にして住宅地の人々の命を守った入間基地の二人の自衛官の霊に祈った。

 次に、ガランピー岬、ここからフィリピンとの間のバシー海峡が始まる。このバシー海峡で、二十数万の日本軍兵士と民間人が海の藻屑となった。この海峡で乗っていた船が敵潜水艦の魚雷で沈んでかろうじて生き残った人が、戦後私財を投じて岬に潮音寺を建てて供養している。
 「南無観世音菩薩」の台座には「施主 日本国埼玉県竹田市 白石茂吉翁」と刻まれ、次の文字が書かれている。
「時はすべてを 恩讐の彼方へ 流しされり 
 いまは只 真蒼なるバシーの海にねむる 
 幾多の御霊安かれと 安かれとこそ 祈るなり」
 次に、私たちは、岬の磯に降り、海に御神酒を海に注ぎ、花を供えた。
私はさらに波の洗う岩の先まで進んでバシー海峡の海に手をつけ顔をつけた。そして、次の万葉集の防人の歌を二度朗詠した。
「大君の 命かしこみ 磯に触り 海原わたる 父母をおきて」
バシーの海に向かって万感の思いがした。すると、急に大きな波が岩を越えて砕け、私の膝を洗った。私の立つところまで、バシーの海が来てくれたのだ。
 磯から引き返すと、鎌田宮司が泣いていた。

 五日の夕は、台北で憂国の人蔡焜燦先生夫妻、羅福全前駐日大使夫妻、黄昭堂台湾独立連盟主席の皆さんと実に有意義な会食。皆日本を憂い、台湾を憂いておられる。日本にいるよりも日本のことがよく分かり、何を為すべきかの確信が得られる。
 今の鳩山・小沢政権は、中国のブラックホールへ台湾を明け渡そうとする台湾の馬英九政権よりもなお悪い。
 以上、政界再編の決意を込めて、台湾で日本精神確認と慰霊の旅をした。

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