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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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「この国」と「我が国」

平成22年3月31日(水)

 司馬遼太郎さんに、「この国のかたち」という本があった。
それ以来かどうか、我々日本人は、時に文明評論家になって、自国のことを「この国」というようになった。
 若者が、国家の運命を背負っているという気概を蔵して坂の上の雲を目指して歩む時代はいい。自分の人生と国家が混然と不可分であることを前提にして、時に自分を客観化するように自国を「この国」と言っても違和感はない。
 しかし、私はこの頃、日本人でありながら日本のことを「この国」ということに違和感を感じ、「この国」という言葉が鼻についてきた。何故だろうか。
 
 そのようなとき、本日の産経朝刊のコラム欄に、外務省出身の「外交評論家」という肩書きの人が、「再び明治の開放性を」と題する文章を書いており、その末尾を次のように結んでいる。
「・・・もう一度開放系の社会に戻り、異なった国の人々の才能と文化を受け入れなければ、この国は前へ進まない。」

 この結びの「この国は前に進まない」のところに来て、「鼻につく」どころか、自国のことを他人事のように表現するこの風潮に「こんちくしょう」という気持ちになった。
 そして、明確に、もう、自国のことを、「この国」と言うべきではないと思った。この文章は、「我が国は前へ進まない」と結ぶべきである。
 仮に外務省職員が今現在の事態を説明して次のような文章を作ったとしよう。
「この国の外務大臣は、今アメリカのワシントンに滞在しているが、総理大臣は、普天間基地移設問題は、3月中に結論を出さねばならないという法律があるわけではなく、2、3日ずれたっていいじゃないですか、と発言している。これでは、外務大臣は何のためにワシントンに行ったのか分からない。幼児の使いじゃあるまいし。この情況で外交はできない。この国の政府は、分裂している。」
 これを読んだ課長は、起案した職員を呼んで、お前は自分を一体何様だと思っているのか。まず外交官が自国のことを「この国」とは何だ、「我が国」と書け、と注意するのではないか。
 当然である、「この国」では、某国駐在諜報員による、某国の政治情況に関する報告になる。

 司馬遼太郎さんが言い始めた「この国」という言葉が、自国のことをできるだけ客観化して述べる時に使う言葉から、自国のことを他人事、自分と関わりないものとして述べる時に使う言葉に変異してきたようだ。そして、この変異は、現在の時勢のなかで起こっている。
 では、その時勢とは何か。それは、民主党が掲げる「生活第一」のスローガンが票を集める空気である。
この「生活第一」を信奉する政治のもとでは、国民である必要も「我が国」である必要もなく「この国」であろうと「あの国」であろうとどうでもよい。ただ自分たちの生活が第一であればよいとなる。
 従ってこの空気のなかでは、国家や家族のあり方を考える必要がなく、外国人に参政権を与えることも、夫婦が別姓になることも、それでいいではないか、ということになる。
 ここで、改めて、徳富蘇峰師の昭和2年に書いた次の言葉が思い出される。
「且つ夫れ、国家興隆すれば、理想を以て生活とし、国家衰頽すれば、生活を以て理想とする」(林兵馬著、「大国民読本」序文)。

 現在の「生活第一」をスローガンにする「国家衰頽」の政治から、「国家興隆」の政治に転換する為に、まず、我々の国家を、「この国」から「我が国」と呼ぶように転換しよう。
「我が国」と呼ぶことによって、国家と国民は運命共同体であり国民は公と一体であることが示される。
 我が国は、「言霊の国」である。言葉のなかに志が顕れ、その言葉通りの世になる。
 国民は、納税の義務や教育の義務を持っている。
 しかし、国民の義務の最大のものは、国家存亡の危機において国を守る国防の義務である。
 国防の義務を実行する国民は、「この国」ではなく「我が国」を守るのである。

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