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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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コミンテルン(続1)

平成22年3月24日(水)

 国際共産主義運動・コミンテルンを動かす主体は、ソビエト共産党であった。
 では、そのソビエトが日本人をどう扱ったのか。その典型を、戦後シベリアに抑留された六十万人の日本軍将兵へのソビエトの対処に看ることができる。
 まずこの実態を見つめることが必要である。
 そうすれば、このシベリア抑留者の社会に仕掛けられたことは、戦後の日本に仕掛けられたことと同じであると思い至る。
 私は、過酷なシベリアの日本人社会と平和な日本内地で進行したことは同じであると思う。
 そして、この「戦後」は、今も現在の政治を作っている。つまり、我々の政治は、ソビエト・コミンテルンに仕掛けられた罠に、今も「意識することなく」絡め取られているのである。

 本日の産経朝刊には、執行部批判をして解任された民主党副幹事長を小沢幹事長が復職させたと報じられている。そうすると、今まで小沢氏に迎合して「解任は当然」と語っていた小姓どもが、手のひらを返して「復職は当然」と言い始めたという。解任された副幹事長に代わって新たに副幹事長に任命された者はどうなるのか知らないが、漫画であることは確かだ。
 ともかく、一月十六日の民主党党大会を、小沢幹事長疑惑を捜査する検察への「権力の横暴糾弾大会」にして党内を締め上げてきた小沢執行部内の情況が、馬鹿らしくも見えた解任と復職劇である。そして、この社会こそ、戦後社会そのものである。小沢をコミンテルンに置き換えればよく分かる。
 この小沢氏に取り入って、見返りにヨダレして同僚を締め上げていく行動パターン。この小姓どもの行動パターンを操作するのが民主党の権力である。従って、政策はない。
 見られたし、民主党には、外交・国防、さらに国の誇りに関する重要課題は空白で、手当をばらまきながら参議院選挙を乗り切るという方針だけしかないではないか。それも唯、小沢幹事長と執行部を守るためだけにだ。早く帰国したい一心で、ソビエトの推進する「民主化運動」に狂奔したシベリアの赤旗組のようである。

 話戻して、シベリアに抑留された村松正造という方(故人)の「ソ連抑留中、高級将校は何をしたか」という手記をご紹介したい。
「ソ連は・・・軍事捕虜として六十万人以上の日本人を帰国という欺瞞によってシベリアに移送して過酷な建設工事に駆り立て、多くの犠牲者を出したことは周知の通りである。
 ソ連政治部の捕虜の扱いと、日本人抑留者の共産主義運動の実態を語らないと多くの犠牲者の苦しみや悲しみの真実の姿が見えてこない。帰国して出版された本の内容の大部分は「極寒、飢饉、過酷な労働」であり、これらを幾ら読んでも、真の苦しみ、悔しさ、死者の嘆き悲しみは見えてこないと思う。
 民主運動(共産主義運動)はソ連の政治部により相互扶助・親睦をスローガンに「友の会」が半強制的に組織され、それが逐次、共産主義運動へと導かれ「弁証法的史的唯物論」、「スターリン・レーニン主義の基礎」等の講習会やミーティングが開かれるようになった。
「ダモイ」(帰国)という最大の願望がいつ実現するか分からない不安に火を付けたのは、「友の会」に入り民主化運動に参加しないものは帰れないとの噂が、抑留者の間に流され、その不安から追随的行為に走り、民主運動は野火の如く、みるみるうちに拡がっていった。
 民主運動とは共産主義運動で、ソ連の五カ年計画の労働に参加しなければならなかった。大半は見せかけの共産主義者で、私たちは彼らを赤旗組と言った。・・・
 赤旗組は、強力なソ連政治部をバックにして、暇あるごとに極悪人扱いしてつるし上げ、精神的苦痛を与えて屈服させようとした。「日米反動の手先」、「天皇制打倒」、「白樺の肥やしにしろ」、「生かして日本に帰すな」と罵声をあげる。「帰さない」は、抑留者にとって「死ね」と言うに等しい残酷な言葉である。・・・
 高級将校もいつの間にか、赤旗組の圧力に屈して、跡形もなく潰され共産主義に、ソ同盟強化運動に励んでいた。
 唯一人、草地貞吾大佐の軍服には大佐の階級章が輝いていた。転属の度に、必ず階級章を外せと大勢が取り囲みつるし上げた。
 大佐は、「ソ連が我々を曲がりなりにも軍事捕虜として扱っているのは、日本国があるからであり、ここに日本の光りが燦然と輝いているからである」、「階級章を外すのは日本に復員したとき、次にソ連内務省が外せと命令したとき、第三に暴力で取られたときである」と言われたことを覚えている・・・。」

 以上、長文の手記の一部であるが、これを読んだとき、私は、これを特殊なシベリアの収容所内のことと思って片付けてはならない、日本人に対するこの屈辱のコントロールは、内地においてもそっくりそのまま行われており、今に続く「戦後」を創り上げたのだと思った。
 しかも、シベリアにおいてはソ連のむき出しの権力によって行われた洗脳が、内地においては民主化・平和運動によって隠蔽されるかたちでより隠微に広範囲に行われた。
 
 現在においては、アメリカのルーズベルト政権内には、二百名を越えるコミンテルン要員が潜んでいたこと、日本を軍事統治したGHQ内にもコミンテルンが入り込んでいたことが明らかになっている。
 また、我が日本国内にも、大正デモクラシー時代に学生生活を送った多くのコミンテルン要員がいた。この彼ら「インテリ」にとっては、GHQが書いた「日本国憲法」はもちろん大歓迎の代物であったと思う。
 そして、このインテリ層が大量に「検閲」に動員されたのが戦後である。
 私は、以前、何故、我が国の戦後において「検閲」が完全に成功したのか疑問であった。第一、誰が、毎日全国津々浦々で出される大量の出版物を検閲をしたのだろうか、と。アメリカ人には不可能だ。アメリカ兵は日本兵より文盲が多く、もちろん、日本語を自由に読み書きできるアメリカ人は極めて少ない。

 検閲をしたのは、英語を自由に読み書きできる日本人五千百人である。もちろん、知識人、インテリである。主に帝国大学が、彼ら検閲要員を提供したと思われる。
 以下、「日本人が知ってはならない歴史(戦後篇)」(若狭和朋著)三十五ページより。
「彼らは日給で千円から千二百円の高給を手にした。二十五日勤務として日給千二百円は月給で三万円である。これは当時の東條英機の資産(十五万円)が、彼らの月給の五ヶ月分に過ぎないという優遇ぶりだった。検閲の責任者の一人が高野岩三郎(東京大学教授・戦後初代NHK会長)である。」

 この検閲によって、日本はサダム・フセインと同じような悪い国とされ、憲法を書いたのはアメリカ人であるという事実は封印され、日本人の言論の自由は奪われ、日本人の心は占領軍と共産主義者によりコントロールされて現在に至っている。
 では、GHQから高給をもらって、密かにそして見事に検閲を成功させた五千百人のインテリ達は何処に行ったのか。
 多くは、検閲官であったということはおくびにも出さずに大学に戻って、定年に達する昭和五十年代までは大学に居ったであろう。そして、学生に政治経済、民主主義、人権また「検閲はこれをしてはならない」と規定した憲法を教えていた。また、その他も、戦後GHQによって官界や経済界や教育界から追放された二十一万人の後釜の要職に収まっていったのではないか。
 何より、五千百名を率いる検閲のリーダーの一人だった高野岩三郎東京大学教授が、言論と報道の自由の中心である戦後初代のNHK会長に就任する。これは象徴的である。この影響は、昨年のNHKの「ジャパン・デビュー」と言う反日的な台湾の歴史を扱った捏造番組を生み出している。
 このようにして、戦後は隠微に今まで続いてきた。

 今振り返ると、私が昭和四十三年に大学に入学したとき、その入学当日に当然のように、教室でマルクスの「資本論」の共同申込用紙が全新入生に配られた。共同購入すれば安くなるという説明があった。また、学内に、赤旗が乱立していた。そして、まだ経済学部には近代経済学とマルクス経済学の各講座があった。経済学部の入学生は、近経にしようかマル経にしようか話し合っていた。この情況は別に私の入学した大学に限らず、全国の各大学に共通だったのではないか。
 つまり、日本の大学は、マルクス主義つまりコミンテルンに席巻され、左翼的なことを言わなければインテリではなく、ソビエトと中国共産党に好意的でなければ、良心的ではないとみなされた。時あたかも、ベトナムでジョンソンが北爆を続行しており、「ベ平連」運動が盛り上がっていた。
 ある日の夕方、私は教養部のベンチに座っていた。
 その時、ふと歌を歌った。その歌は、戦前の軍歌、
「アー、アー、大君に召されたる・・・」だった。すると横に坐っていた同級生が、右翼反動のように私を見つめて笑った。大学は、このような雰囲気だった。

 この雰囲気のなかで、司法試験受験のために、あの「日本国憲法」を学んだ小沢一郎氏の頭が固定された。
 従って、彼の国連中心主義の国連信奉や、選挙に勝った者は、天皇に誰でも会わせることができるという昨年十二月の記者会見での放言は、戦後が作り出したもの、もっとはっきり言えば、コミンテルンの生み出したものと言える。
 よって、民主党は、シベリア抑留者社会で幅をきかせた自己の利益のために当局に迎合する「赤旗組」の党である。
 ソビエトは崩壊したが、中国共産党はコミンテルンの対日方針通り今も歩んでいる。コミンテルンはまだ健在で生きているのだ。
 昨年十二月の小沢一郎氏と百五十名近くの民主党国会議員の中共訪問は、コミンテルンへの赤旗組のご機嫌伺いだった。

 コミンテルンと中国共産党の歩み、そして我が国内のコミンテルン協力者である尾崎秀実などの動きとルーズベルト政権については、また日を改めて記載したい。

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