最前線は日本に移った
平成21年12月2日(水)
天皇陛下の御即位二十周年をお祝いする大阪の提灯行列の感動をお伝えしてよりご無沙汰し、はや、師走。
その間、福岡筥﨑宮における「第三十九回憂国忌」の記念講演の講師を勤めさせていただき、福岡、熊本、佐賀、大分の多くの同志にお目にかかることができた。
この福岡憂国忌の講師は二回目で、前回は平成十六年であった。その時、主宰者である福岡黎明社の辻幸男さんより、中川昭一さんが父親の中川一郎さんの学んだ九州大学の地に来て父親を懐かしんでいたと聞いたことが印象に残った。中川昭一さんは、私の二年前の平成十四年に福岡憂国忌の講師をされていたのだ。
そして本年十月四日、つまり中川昭一さんの死去の知らせが朝にあった日、福岡黎明社の辻さんから本年の憂国忌の講師をしてくれとの依頼があった。その時、とっさに中川さんが福岡の地で父中川一郎を懐かしがったことを思い起こした。そして福岡行きを即座にお請けした。中川さんのなつかしい地からのありがたいお誘いだった。
憂国忌当日の福岡筥崎宮境内の木々には、三十九年前の十一月二十五日の京都と同じ、のどかな優しい晩秋の日差しがあたっていた。三十九年前のこの日、この日差しの中で、三島由紀夫の市ヶ谷討ち入りの知らせを聞いたのだった。京都左京区大文字山麓の学生寮の玄関前だった。
ここ五年ほど、対馬に渡る前後によく筥崎宮にお参りする。筥崎宮は、北に向かい玄界灘に面して建てられている。其の門には巨大な額が掲げられ、額には「敵国降伏」と書かれている。
この敵国とは、支那つまり元である。多々良浜に上陸してくる敵・蒙古は断じて降伏させねばならない。
また、私の携帯電話には、小さい金属の額がぶら下がっている。それは、筥崎宮でいただいた「敵国降伏」の額を小さくしたアクセサリーだ。
この敵国も、支那つまり中共(中華人民共和国)である。中共の対日謀略には断じて屈してはならない。
さて、本日、雑誌「正論」一月号に掲載された金美齢さんの一文「二つの祖国のはざまで、私はなぜ日本国民となったか」を読んだ。そして、まざまざと思い起こし、また、気づいた。
思い起こしたのは、台湾の国民が、目の前に経済の餌をぶら下げられて、自らの投票によって、ずるずると馬英九を台湾総統に撰んでいくのを目の当たりにした悔しさだった。
私は、あの台湾総統選挙の時、昨年の三月の夜、台北の公園で二万人ほどの人々の中にいた。そして京都大学の先輩である謝長廷の演説を聴いていた。謝長廷候補の後ろに立つチベットの美しい数名の娘さんが泣いていた。謝長廷候補は、台湾維新を掲げ、演説の最後を自らのオカリナ独唱で締めくくった。そのメロディーは「竹田の子守歌」だった。
そして、気づいたのは、この昨年三月の台湾総統選挙の情況は、本年の夏の、日本国民が目の前に「補助金」をぶら下げられ、ずるずると「東アジア共同体」の鳩山政権を撰んでいくときの情況とそっくりだということだ。
台湾は総統に、台湾を否定する中国国民党の中国人馬英九を選んだ。その結果、台湾は、急速に台湾の独自性を捨て去り中国のブラックホールに吸い込まれる道に陥りつつある。
そして、金美齢さんは書いている。「無念にもポイント・オブ・ノーリターンを越えてしまった」と。
そして、「最前線」は日本に移ったのだ。
しかし、次に誕生した日本の政権は、鳩山友愛内閣である。「悪夢を見ているようである」。
案の定、鳩山内閣と与党は、選挙中は隠していた「外国人参政権付与実現」を推進している。
これが、リターンとノーリターンを分けるポイントである。外国人に参政権を渡せば、大量の中国人が昨年の四月二十六日の北京聖火リレーがあった長野市のように組織的に行動して我が国の政治的決定を左右し、我が国を中国の属国に転落せしめるであろう。つまり、我が国も中国というブラックホールに転落するのである。
次に、中国共産党は、我が国の多数の与党国会議員が北京に伺候すべき日を指定してくるようだ。すると、与党は国会日程をその中国の指定日にそって短縮し、国会を閉会にしてしまう。
そして、この十二月に、多数の国会議員が小沢一郎幹事長に率いられて北京に伺候するという。
中国から見れば、この日本の国会議員の行動は、明らかに属国の民の行動である。何しろ、国会議員が、その本来の仕事である国会を中国に参るために閉会にするのであるから。
中国共産党の高笑いが聞こえる。
民主党の幹事長を初め数だけは膨れあがった多くの議員諸侯には、もはや日本人の誇りがあるのかと問うこと自体馬鹿らしくなる。
台湾人ではない者を台湾総統に選んだのが台湾国民であるように、「日本は日本人だけのものではない」というようなとてつもない妄想に駆られた人物を総理に選んだのが、日本国民である。
しこうして、今や、日本が最前線に立っている。
そして、金美齢さんは、戦うと覚悟を決めて日本に「回帰」された。共に戦う、嬉しいではないか。
応神天皇(八幡大神)と神功皇后を祭神として国家鎮護の為に延長元年(西暦九二三年)に醍醐天皇により玄界灘に向かう地に創建された筥崎宮に掲げられている「敵国降伏」の額は、海に向かって、
何のために、何時のために、掲げられているのか。
それは、断じて支那・中共に屈しないために、
そして、まさに、今、
我々日本国民の眼前に迫る危機克服のために掲げられている。