幾たびか辛酸を歴て志し始めて堅し
平成21年8月10日(月)
表題の言葉は、西郷南洲の漢詩の冒頭の一節である。
久しぶりにこの時事通信を書き込める時間ができた今、ふとこの一節が思い浮かんだのは何故だろうか。
一つの理由は、私がこの漢詩を中学二年の時に父から教えられ、以後今日に至るまで愛唱し、自らの歩みを振り返り、この漢詩の作者である西郷さんの感慨と共通のものを感じたからである。私の今までの辛酸が、志を固めることを促しているならば、それは御国のために意義のあることになる。
もう一つの理由は、物事の本質が現れる時に、この漢詩と同じプロセスを歴ることがある。そしてこの度の衆議院選挙が如何なる選挙なのかと思ったときに、それが本日始めて明らかになった気がしたのだ。
まさに「幾たびか」何々マニフェストの発表を「歴て」、選挙の実態まさに明らかなりというべきである。
結論から言うならば、各党のマニフェスト発表を歴て、「選挙の争点」が明らかになったのではなく、我が国の「戦後政治の欠陥」が明らかになったというべきである。
総体としての戦後政治は、昨年十一月、一致して「日本はよい国だ」と述べた田母神航空幕僚長を更迭して提起された課題から逃れたつもりになり、続いて、肝心なものつまり「国政の真の課題」に蓋をし封印して選挙をしのごうとしている。
今まで、戦後政治は、北朝鮮が日本人を拉致していることを見て見ぬふりをして選挙を続けていた。それと同じ手法でこの度も「国家存立の条件」に関して見て見ぬふりをして「マニフェスト選挙」をしようとしている。
しかし、これ以上「真の課題」に見て見ぬふりを続けるならば、我が日本は存在を失う。既に戦後政治の不作為は限界に来ている。
此処において、各候補者の使命と責務は、戦後政治における政党のマニフェストではなく、各自の見解を明確にした選挙戦をすることである。国家的課題から目を背けたマニフェストが、全国三百の小選挙区で金太郎飴のように掲げられた選挙を許すほど、国際環境は甘くない。
たとえ一つの選挙区においてであっても、少数の選挙区であっても、国家的課題を提示する選挙が行われ、その課題に有権者である日本国民が反応していることが見えるならば、我が国の抑止力は確保され、我が国の持つ力は正当に評価される。
衆議院解散前後を振り返れば、マスコミも政党も、解散前にあった課題はキレイさっぱり無くなったと思っているのではないかと思うほどだ。
解散前には、北朝鮮のミサイル発射と核爆発実験があった。これを受けて、我が国は国連安保理において対北朝鮮制裁決議を強く望み、決議は実現した。
しかしながら、我が国自身は安保理決議にある北朝鮮貨物船の臨検は法の不備でできない。この不備を無くすため衆議院は北朝鮮貨物検査特別措置法を可決した。しかし、内閣不信任案を提出した民主党は、それが否決されたにもかかわらず、参議院における審議を拒否したので、この法案は七月二十一日の衆議院解散と共に廃案となった。
我が国の安全のための北朝鮮貨物船の臨検であるのに、我が国は何もできない。他国がしてくれればいいという態度である。
この事態が国際社会において如何に我が国の評価を低めて国益を害するか、審議を拒否した民主党は全く関知せず、既に忘れているかの如き無責任さである。そして、北朝鮮の核とミサイルも中国の核とミサイルも忘れてマニフェスト作りに喜々として没頭したのだろう。マニフェストからは、国防と外交が欠落している。
詳述する暇はないが、七月からの経緯を振り返っただけでも、このような無責任な態度が、国家の存立を左右する国政において許されるであろうか。
戦後政治のもたらした惨状、かくのごとしである。
此処において、私のこの度の選挙における主張は決まった。
すなわち「国防」である。
大阪第十七区においては、国政の真の課題である「国防」を掲げ続ける。そして、必ず圧倒的な多くの支持をいただく。この堺市における国民の動向こそが、我が国の抑止力を確保するものと確信している。
この度の衆議院選挙は、十三歳の横田めぐみさんの拉致が発覚してから四度目になる。
さらに、選挙直前に北朝鮮がミサイルを発射し核実験をした。
また、終戦の日である八月十五日には、解散によって衆議院議員は一人もいない。これが、この度の衆議院選挙の特徴である。
従って、強い日本となり、北朝鮮に拉致された日本国民同胞を救出することと、我が国が核の抑止力を確保すべきことが当たり前の国家的課題である。
そして、国家の名誉を取り戻すために、衆議院議員が一人もいない今、麻生総理は国民を代表して正々堂々と靖国神社に参拝すべきである。
考えてみれば、戦後政治の不作為が窮まった今、たった一人であろうとも、国家的課題を掲げる救国の選挙ができる。
また、麻生総理は、たった一人で国家の名誉を取り戻すために靖国神社に参拝することができる。
してみれば、この八月は、国民が国家を取り戻す絶好の夏である。