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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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チャーチルとゼークトを思う

平成21年6月13日(土)

 ウインストン・S・チャーチルは、1874年に生まれ1965年に亡くなったイギリスの政治家であり、ハンス・F・ゼークトは、1866年に生まれ1936年に亡くなったドイツの軍人である。

 近年における中国の急速な軍備増強、通常兵器の近代化と核弾頭ミサイルの開発と実戦配備、そして、北朝鮮の飽くなき核開発とミサイル開発の続行を観たうえで、目を国内に転じて我が国の政治状況を観るとき、
私は、チャーチルとゼークトという二人の人物をしきりに思い起こさざるをえない。
 
 この二人は、生前、お互いに会ったことはないと思われる。
 チャーチルは、第一次世界大戦中のイギリスの閣僚で、大戦後は政治的に不遇の時期を過ごすが、第二次世界大戦勃発とともに、イギリスの戦時内閣の宰相となり、ドイツと戦う。
 ゼークトは、第一次世界大戦では、ドイツ東部軍参謀長、トルコ野戦軍参謀長を歴任し、大戦後は1919年から1926年までドイツワイマール共和国軍の事実上の参謀総長を務める。この時期に、十余年後にイギリスを敗北寸前まで追い詰めるドイツ軍の基礎を築く。
 ゼークトの生涯で我が国に因縁があるのは、最晩年の日華事変直前に至る3年ばかりの間、蒋介石の招聘によりその軍事顧問となり中国国民党軍を世界最優秀のチェコ機銃やドイツ製兵器で武装した近代的軍隊に育てたことである。
 この中国における近代的軍隊の誕生が、蒋介石をして、上海における日本軍に対する大攻勢を実行させることになる。ゼークトの指導により上海近郊に造られた要塞は、日本軍を想定したゼークトラインと呼ばれ、日本軍を悩ませた。
 ゼークトの悲劇は、本人は知らないのであるが、その卓越した手腕が、結果的にはヒットラーが指揮する軍隊と蒋介石が指揮する軍隊の育成に当てられてしまったことである。これらの軍隊はともに独裁者に指揮された殺戮を目的とした軍隊であり、平和を確保する軍隊ではなかった。

 このチャーチルとゼークトは、次の一点で結びついている。
 即ち、ゼークトはドイツの軍人として、ベルサイユ体制下の敗戦国ドイツにおいて密かに精強なドイツ軍を創り上げ、チャーチルは、イギリスの政治家として、ゼークトが創り上げヒットラーが運用するドイツ軍の脅威をただ一人正確に知っていたという一点である。

 チャーチルは、第二次世界大戦を回顧して、「こんどの戦争ほど防止することが容易だった戦争はかつてなかったのだ」と述べ、この戦争を「無益な戦争」と呼んだ。
 チャーチルは、第一次世界大戦後のヨーロッパ各国、とりわけイギリスとフランスは、ヒットラーとナチスドイツの実態を知り、それに適切に対処していたならば、第二次世界大戦は防げたと言う。
 その適切な対処とは、軍事力においては、バランスをとるということである。しかし、この時期のイギリスは「軍縮」を進めていて、これに反対するチャーチルを「戦争屋」と呼んだ。
 1933年の情況をチャーチルは次のように書く。「労働党と自由党の平和主義は・・・相変わらず軍縮を進め、これに反対する者は、全て『戦争屋』、『人騒がせ』と呼んだ。彼らは、もちろん、何が起こりつつあるかを理解しない人々には賛成されているようだった。・・・十月の補欠選挙で平和主義の感情の波は労働党の投票を九千票増やし、保守党の票は一万票以上も減った。・・・(選挙結果を受けて)労働党幹部は言った。『全世界は完全な軍備縮小の予備行為としてドイツの水準まで軍備を縮小しなければならない』と。」
 1934年、イギリス空軍の予算があまりにも少額なのに関して、チャーチルは下院で取り返しのつかないことになると警告し、急速に増強されるドイツ空軍とのバランスを回復する必要性を説いた。
 これに応えてイギリス政府も不十分ながら空軍機の増強を決めるが、労働党は政府への不信任案を提出して党首が「我々はイギリス空軍強化の必要性を認めない。増強されたイギリス空軍が世界の平和に貢献するという主張に反対する。また、我々は均衡の主張も全面的に否定する」と述べ、不信任案に賛同した自由党党首も「ドイツに関して、何が問題なのか?」と発言した。
 チャーチルは、また警告して言う。
「ドイツ空軍が我々よりも強力であることを認めざるを得ない場合には、政府の諸侯は、国家に対する最高の任務を怠った責任を負わねばなりません」
 しかし、チャーチルの努力は空しく、戦後に次のように回顧することになる。
「過去を振り返ってみるとき・・・1933年なら、あるいは1934年でさえも、イギリスにとっては、ヒットラーの暴力行為を制止させるだけの空軍を造ることが可能であったろう。しかし、我々が最大の試練に直面するまでには、さらにまるまる5年の歳月を経なければならなかった」

 チャーチルが、第二次世界大戦を振り返って、現在に遺している教訓は、軍備増強に邁進している独裁者、独裁政権に対しては、それに対する軍事的バランスを維持する努力を怠ってはならないということである。
 しかし、イギリスもフランスも、平和主義のもとで眠っていた。
そして、ドイツの軍事力が優位になるのを見て見ぬふりをして放置した。これが世界大戦の引き金になった。
 つまり、平和主義が戦争を造ったのである。第二次世界大戦は「平和主義者が造った戦争」である。

 さて、チャーチルの回顧を借りてここまで書いてくれば、中国と北朝鮮が急速に進める核と通常戦力の増強に曝されている東アジアにおける現在と将来の平和は、如何にして確保されるのか、明らかであろう。
 それは、軍事的バランスの回復、である。
 では、この東アジアの軍事バランスを、何処が主体になって回復するのか。アメリカか?違う。日本である。
 今こそ我が国は、核抑止力を含む軍事力を充実させなければならない。イギリスと同じ島国である我が国は、チャーチルが強調していたように、特に空軍力と海軍力を増強すべきである。
 現在、対GDP(国内総生産)における軍事費比率(パーセント)は、日本1、アメリカ3.7、イギリス2.4、フランス2.6、韓国2.8、イスラエル9.5、北朝鮮25、世界平均2.7である。
 そこで我が国の軍事費の比率であるが、これをせめて世界平均並にしてはどうか。今世界で一番核の脅威に曝されているのが東アジアだとするならば、これは驚く数値ではない。まっとうな数値ではないだろうか。そして、これが、東アジアの平和を維持するための我が国の負担であると考えるべきだ。

 とは言え、我が国においては、1930年代にチャーチルが苦慮したイギリスと同じ国内的情況つまり「戦争を生み出す平和主義の風潮」があり、「平和のための戦略」を考えるこの西村などを「戦争屋」と呼ぶ人も多いであろう。従って、今現在ある牢固としたこの条件下において、如何にして軍事力を高めるのかと思いを巡らせざるを得ないのである。
 そして、しきりに思い浮かぶのが、ハンス・フォン・ゼークト将軍のことである。
 ベルサイユ体制下のドイツ軍は、その頭脳ともいうべき参謀本部という組織を禁じられた上で総兵力を10万人以下に抑制され、航空機も戦車も保有を禁じられ、加えて様々な制度的な手枷足枷をはめられていた。
 この条件下で、有事には一挙に数倍の規模に膨張できるドイツ国軍を建設したのがゼークトだった。
 ゼークト将軍の施策は、今学習中だから、ここで専門的なことを詳しく述べることはできないが、次のことは述べておきたい。
 ゼークトは、総数10万に抑制されたドイツ軍の下士官の給料を、同時期のフランス軍下士官の給料の6倍にした。そして、ゼークトは、一人一人の兵の質の向上を図り、下位の階級の者も含めた全員がいざとなれば指揮官の役割を果たすことができるようになるまで訓練して、有事には一挙に数倍の軍隊に拡大膨張できる体制を創り上げたのである。

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