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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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小田実さんと阿久悠さん

平成19年8月5日(日)

 参議院選挙の報道で埋もれていたときに、小田実さん、そして阿久悠さんの訃報が続いた。共に、昭和の四〇年代の雰囲気を象徴したような方々だったように思う。
 この昭和四〇年代とは、昭和二十二、二十三、二十四と続く出生率が日本史上最大になったときに産まれた僕らのような世代が、大量に大学に通っていた時である。
 また、アメリカのジョンソン大統領が、トンキン湾事件をきっかけにベトナムに大規模な攻撃を始め、北爆を開始し、ドロ沼化していくのもこの時期である。
 従って、この時期、貧しい日本の中に生まれ、豊かになった日本で大学生活を送る大量の若者と、ベトナム戦争が絡み合って、日本社会の雰囲気を作っていたような気がする。
 小田実さんらが作った「べ平連」、「ベトナムに平和を市民連合」は、多くの若者を参加させた。

 何故、「べ平連」に多くの若者が参加したのだろうか。もちろん、マルクス主義が未だ若者をひきつけていた時代という背景があるのだが、僕の印象に残っているのは、今は亡き学友の次の言葉である。
 朝刊に、ベトナムの泥の中で泣いている少女の写真が載った。その印象的な写真のことが話題になったとき、彼は
「あの写真を見たとき、俺達は同じアジアなのだと実感した」と言った。
 僕も同感だった。そして、物量にまかせてベトナムを攻撃しまくるアメリカの正義の傲慢さが許せないと思った。これは学生に特有な感情ではなかったと思う。大東亜戦争で戦った時には二十歳代の元兵士達や空襲で逃げた女学生は、まだ四十歳代の時代だったのだ。
 従って「べ平連」に集まった人たちの中には、左翼だけではなく、アジア人のアジアを欧米列強から守ろうという明治以来の日本人の心情が脈打っていたことも確かである。

 賛同するもの反発するもの、いずれのものにとっても、昭和四十年代の始めの、日大闘争、東大紛争、京大のロックアウトそして、パリのカルチェラタンと似通った駿河台付近の騒擾とともに「べ平連」は、忘れ得ない青春の同時代史となっている。
 従って、我々の世代は、この青春の思い出と共にある人々は、未だ若いのだと思い込みたいのだ。また、勝手にそう思い込んでいる。
 しかし、小田実さんも阿久悠さんも、享年は、それぞれ、
七十五歳と七十歳であった。
 考えてみたら、その頃の学生はいま定年を迎え始めているのだから、小田さんも阿久さんも七十歳に達していたのは当たり前である。当たり前だけれども、彼らの享年を知り、改めて自分の年齢に愕然と思い至った僕と同世代は多い。少なくとも、同世代の友人は、同じ感想を僕に語った。

 さて、昭和三十年代に、小田実さんの「何でも見てやろう」を読んだ。中学生の後半だったと思う。その時、次の話が印象に残っている。
 小田さんは、アメリカからパリに渡った。そして、パリに住んでいるアメリカ人作家と連絡を取り、彼の家で会うことになった。約束の日(朝だったと思う)、彼の家に着いてみると、彼は朝からぐでんぐでんに酔っ払っていた。そして、その訳を次の通り話した。
「オレは、硫黄島で日本軍と戦った。機関銃を備えた我々の陣地に、一人の日本軍将校が軍刀を振りかざして突進してきた。オレは殺されると思った。しかし、彼はオレを殺さずに、機関銃に軍刀を振り下ろした。すると機関銃が二つに切れた。そして、彼はオレのほうに向き直った。オレは恐怖に駆られて彼を撃ち殺した。それ以来、日本人に会うのが初めてなんだ。だから、飲まずにはおれなかったのだ」
 
 この挿話、確かに「何でも見てやろう」に書かれていたと思う。しかし、いまある「何でも見てやろう」には見当たらないらしい。昭和三十六年か三十七年に購入した僕が読んだ「何でも見てやろう」は、どこかへ行ってしまって確かめようがない。
 しかし、僕の記憶の中に、このエピソードを残してくれた作家として小田実は存在し続けてきた。彼の他の著作は読んでいない。

 以上、二人の訃報に接し、我々の青春の時代と、過ぎ去った歳月を改めて感じたので。
 そして、お二人のご冥福を祈り申し上げます。
 
 なお、昭和三十年代に読んだ見聞記には「何でも見てやろう」以外に、ミッキー安川さんの「風来坊留学記」があった。わくわくして読んだ。ミッキー安川さんと会えば、未だにこの「風来坊留学記」の話をする。

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