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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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大阪の尾立源幸君とともに

平成16年7月3日(土)

 昨二日は、堺で大阪選挙区からこの度の参議院選挙に立候補している「尾立源幸」君とともに、国政報告会を午後と夕方の二回開いた。

 尾立源幸君(おだち もとゆき)は、四十歳の公認会計士である。昨年の、自由・民主合併までは、私と同じ選挙区の民主党の衆議院候補者であった。合併により、彼は、候補者調整の為に衆議院候補を辞退して、この夏の参議院議員候補者に立候補する決断をしたのである。
 従って、私には、尾立君に恩がある。
 この恩は、人の道として忘れてはならない。

 それで私は、昨年の晩秋の衆議院選挙の投票日の当選決定のときに、当選のお礼の挨拶の中で、
「私の選挙は、尾立君の参議院選挙が終わるまで、終わらない」
と言ったのである。

 その後、私が、体調を崩して春が過ぎるくらいまで十分な支援活動ができなかったが、今は体調も元に戻り、多くの仲間とともに尾立当選の為に参議院選挙を大阪で闘っている。

   大阪選挙区の、尾立源幸君
   比例区の、  渡辺義彦君

 この二人が、私にとって自分自身の選挙のように思える候補者である。今日もまた、事務所の仲間とともに、この二人の候補者支援の為に活動している。

 さて、今の時点で、国政報告をするとは、「何を」報告することなのか。
 自民党なら、自民党のしてきたことがすべていいと報告し、民主党なら、民主党の言っていることがすべていいと報告すれば、「政党人」として報告したことになるのか。

 私は、自分なりに、この問いに対する答えを出している。
 即ち、まず第一に、自らの考えを語らねばならない。
 つまり、議員として当たり前のことである。
 
 ところが、このことは我が国の政界では当たり前のことではないのだ。我が国では、先進民主主義国には珍しく、党の決定に従えという圧力は説明抜きで強いのである。
 そこで仮に、私が駆け出しのころに、議員としての質問や行動において、政党幹部や党の「総務会」への事前の報告を済ませてから言動を起こしていれば、尖閣諸島の視察や、横田めぐみさんの拉致被害や、核武装に関する議論の必要性などの問題提起は決してなしえなかったであろう。つまり、私は、選ばれた西村眞悟という議員ではなく、顔のない政党幹部の三下として生きるだけであった。

 そこで、少しだけ、政治史を振り返ると、三下としての議員の頭の数を増やすことが政治力であると割り切った時代があった(田中角栄氏は、この中で育ち総理になった)。
 この時代は経済史において、儲けた金の額を増やすことだけが力であると下品にも割り切った闇市に始まる高度経済成長からバブルの時代と符合している。符号というよりも、一卵性双生児であろうか、守銭奴の金の額が総てという下品な経済感覚を政治に投影すれば、「三下の数が力」の政治になるのである。

 「金の力が総て」と「議員の頭数が総て」は決して間違ってはいない。この二つには誰も反論できずに、政治が運営され時代が動いてきた。
 しかし、その時代の果てに、現在の政治経済の低迷と思考力の欠如つまり「国力の衰退」が起こってきたのをなんと見るか。即ち何か重要なものが欠落していたのだ。

 では、今現在の我が国の政治は、この時代にまだあるのか。それとも別個の時代に入っているのか。
 残念ながら、何かが欠落していると分かりつつも、数で割り切ったほうが勝ちということで、「三下の頭数が総て」の時代にある。
 いずれ詳しく書くが〔自由党始末記〕、自由党と民主党の合併や自社連立や、そのまえの細川内閣の成立なども、角栄時代の発想であった。色々と舞台が変わっても、時代の欠落部分が補強されることは、ついになかった。

 そこで、どうするのか。
 私は、昨日の国政報告で、「党議拘束を廃止する」努力を開始すると述べた。
 つまり、「党議拘束」は、党が決めればその決定に所属議員は拘束されて別の意見を表明できないという我が国議会の慣例である。
 
 この「党議拘束」があるから、議会運営は各政党の数だけで自動的に決まり、議案の結果も始めから決まっている。従って本会議や委員会などの各会議は「儀式化」している(議員がうとうとん眠るのは無理もない)。
 この「党議拘束」があるから、議員は最後まで頭を使う必要がない。よくこんな馬鹿が議員をやっていたなあ、というのが時々いるが、頭を使わなくとも死ぬまで議員でいられるのも「党議拘束」のおかげである。
 この「党議拘束」があるから、議員がサラリーマン化する。

 結局、現在日本の政治から思考力と活力と個性を奪っているのは「党議拘束」なのだ。
 この「党議拘束」の慣例はどこから始まるかは、さらに調べるが、このような慣例を後生大事に守って外が如何に大変でも天下泰平と議会を眠たくなるように運営しているのは、日本くらいのもである。
おそらくこの「党議拘束」は、二十世紀初頭の政党政治の発達期に、鉄の団結を誇るボルシェビキあたりから影響を受けて我が国の政治風土に根付いたのではないか。

 ともあれ、意外に大きな変動をもたらすのは、この「党議拘束廃止」であると確約する。
 党議拘束がなくなれば、各議員は、群れに寄りかかって思考停止することはできない。
 抗議拘束がなくなれば、各議員は、国民に自分の考えを説明しなければならない。党本部から送られてくる「マニフェスト」のとおりしゃべったり、ニュースで党首の街頭演説を聴いて、そのとおりしゃべる者は、すぐ見抜かれ皮がはげる。
 以上、議員として当たり前のことをしなければならなくなるということ。

 さらに党議拘束がなくなれば、本会議における内閣総理大臣を決める首班指名が、激動化する。今までのように、親分が決めたから自動的に決まるでは済まなくなる。
 これこそ、待ちに待った、真の政界再編の導火線であり、激動する国際環境と国際情勢に如何に迅速に対処するかという課題に、ぴったりと合致する内閣を機動的に生み出せる状況が議会に生まれるのである。

 また、「党議拘束」がなければ、社会党の村山富市内閣など作る必要がなかったし、「戦後五十年謝罪決議」などできるはずがなかっただろう。

 わが国政治の停滞の原因である手かせ足かせは実は議員から思考力を奪う「党議拘束」であることを記憶に留めておいてほしい。与野党を問わず、党議拘束で安楽に暮らせている多くの議員の反対があるが、これを廃止する時期に来た。

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