平成十四年を待つとは、危機に立ち向かうこと
平成13年12月22日(土)
先日独り言を言ったように、私は平成十四年を待望する。なぜなら、最大の危機が来ると思うからである。
危機とは転機である。衰亡・衰退・亡国か、反転攻勢・維新達成か、の転機である。
以下、現状と鉈を振り下ろすべき急所を指摘したい。
自画自賛、実は、毎年繰り返し
平成十四年度予算の骨格がまとまりつつある。現総理大臣は、つくづく自画自賛するのがうまいと思う。
しかし、自賛する次元は、公共事業を押さえた、医療保険制度の三方一両損、表向きの国債発行三十兆円、などである。
そこで振り返ってみてほしい。この程度の「特色」は、毎年の予算編成期に、その時の内閣の特色として、自画自賛されてきたのではなかったか。その程度の細かい領域だ。
村山内閣の防衛費削減、橋本内閣のゼロシーリング、森内閣のIT革命予算、いろいろあった内の一つだ。
違うのは、自画自賛の仕方がうまいか下手かである。小泉さんはうまい。
要するに、これだけ「改革」を煽りながら、八ヶ月過ごしてこの予算を組んだ。泰山鳴動してネズミ一匹でもない。儚い夏の蝉の季節はずれの小便。
実は、世界が変わってしまった
今まで通りの「構造改革なくして景気回復なし」の路線を年末まで繰り返えしているうちに、実は世界が変わっている。
アメリカは、アメリカを守るために、世界の警察官になって前方展開能力を保持し、ヨーロッパとアジアに兵力を展開してきた。
しかし、肝心のアメリカ本土の中心、ニューヨークとワシントンがテロにやられたのだ。特に、ペンタゴンがやられ、墜落しなければホワイトハウスもやられていたという事態は、アメリカの戦略を根本的に変えた。
ブッシュ政権の自国本意の路線は、益々鮮明になる。国際地球環境を守るよりアメリカを守る。今までのように、兵力をヨーロッパ、アジアに前方展開する必要があるのか。特にうるさい朝鮮半島・台湾海峡からはおさらばしたい。
アメリカはABM条約を脱会した。これからは、なりふり構わずミサイル防衛に専念する。これが成功すれば、兵力を全てアメリカ本土に引き上げるかどうかは、アメリカが自由に決めることが出来る。
そして、世界は、各国が同等の問題意識と努力を尽くして、今や世界の脅威となったテロ対策に取り組むか否を点検する時代に入った。この対策を取り得無い国家は、事実上のテロ支援国家か、もはや国家ではない保護地域かに分けられる。
要するに本当に二十世紀が終わったということだ。二十世紀の第二次世界大戦後のアメリカ中心の国際秩序が変化して、我が国がアメリカに安全を委ねて安楽に経済だけに励める国際環境は永遠に終わった。
だから、標語を点検すべき
従って、小泉総理は、「構造改革なくして景気回復無し」の金儲けのためのちまちましたスローガンを、再編しなければならない。つまり、「構造改革なくして国家再建無し、維新なし」でなければならない。「構造改革なくして国民の安泰なし」でもよい。
要するに、真の構造改革とは、国家の根幹を確立することであると意識しなければ、国際社会で生きられず、国家の安泰は確保できない時代に入っている。このときに、「景気回復無し」つまり「金儲け出来ない」では、国家の品格を問われる。
新しい事態にふさわしい標語がいるのだ。
何を実践するのか
それは、自らが自らを守ることが出来る国家体制の確立である。すなわち憲法を改正して国防体制を確立し、国家戦略を策定して実践できる政治体制を建設しなければならない。
今までのように、自らを守れない国家の政治に、戦略が生まれるはずが無く、戦略無き国家に、経済再生もあり得ない。
以上の、真の急務である「構造改革」に取り組み始めれば、我が国家の存在感と国民の富とエネルギーは、相乗効果をもたらして、経済における構造改革、景気回復など、簡単に出来る。なぜなら、政治がそれを実行する力を既に蓄えているからだ。
ただ経済だけに関心があり、この期に及んでも国家の基本的な骨格をあらためるという発想を持たない政治は、結局、経済のことに関しても何も実行する力がない政治なのだ。
まさに、岐路である。
平成十四年には、まっしぐらにこの大業に取り組む政治が生まれることを念じて、今、心胆を練る。