大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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現在における八紘為宇の実践

令和4年4月25日(月)

我が国がもつ神武創業の際に掲げた「八紘為宇」の志が、
開国・明治維新を経て、
如何にしてアジアに、
さらに欧州諸民族に広がったのか、
その軌跡を、
その地域で仕事をした情報将校の視点から概観したい。

我が国の陸軍情報将校の魁(さきがけ)である福島安正陸軍大將は、
ペリー艦隊が日本に来る一年前の
嘉永五年(1852年)に松本に生まれ
大正八年(1919年)、六十七歳で死去した。

明治十二年、彼が陸軍中尉の時、
支那人になりすまして、約五ヶ月間の清国偵察を行い、
その調査結果を、
我が国における初の情報書である「隣邦兵備略」にまとめた。
その結論の要約は次の通り。
これは現在の習近平主席の中共にも通用する警告なので記しておく。

・・・清国の一大弱点は公然たる賄賂の流行であり、
これが百悪の根源をなしている。
しかし、清国人はそれを少しも反省していない。
上は皇帝、大臣より、下は一兵卒まで官品の横領、横流しを平然と行い、
贈収賄をやらない者は一人もいない。
これは清国のみならず古来より一貫して変わらない歴代支那の不治の病である。
このような国は
日本がともに手を取ってゆける相手ではありえない・・・

その後、福島は東南アジアからインドを踏破して
欧州列強によるアジア植民地化と諸民族の奴隷化をつぶさに観た上で、
明治二十年、陸軍少佐の時、ドイツ駐在武官に任命され欧州に五年間滞在した。
彼は、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、支那語を自由に話せ
他の数カ国語も読むことができた語学の達人で、
アジア情勢を左右する欧州各国を入念に視察し調査した。
特に彼は、
国がなくなってロシア、ドイツ、オーストリアに領有されている
ポーランドに頻繁に足を運んだ。
そして、ポーランド滅亡の経緯を調べ、
国が亡くなったポーランド国民が如何に惨めか参謀本部に報告した。

当時の日本の陸軍首脳の最大の関心事は、
圧倒的な欧米列強の力を目の辺りに観て、
如何にしてポーランドの如く国を滅ぼされることなく
独立自尊を貫けるかにあった。
よって、福島少佐の報告は貴重であった。

明治二十五年、帰国するにあたり、福島少佐は、
知己となった各国の武官が、信じられない、と驚く中を
ベルリンから単騎東に向かって出発し、以後、一年四ヶ月をかけて
極寒期を撰んでシベリアを単騎横断して日本に戻った。
この福島少佐が参謀本部にもたらした
ロシア・東欧などの欧州諸国の情勢と
ロシアの対日軍事輸送路となるシベリアの情報は、
十二年後のロシアとの戦争準備に極めて有益であった。
また後の、日露戦争における明石元二郎大佐の
欧州における謀略活動、特に、
ロシアの内部分裂とロシア革命を起爆させるための活動の
貴重な基礎情報となった。

また、福島少佐は帰国後に新聞記者のインタビューに応じた。
その時、ポーランドにおける次の話をした。
単騎ドイツ国境をでて遙か東部に進んだ時、
ある寒村でみすぼらしい農夫に出会ったので、
ここは何処だ、と尋ねた。
すると、農夫は、応えた。
「昔、ポーランドと呼ばれたところです」
この農夫の悲しげな表情に、
福島少佐は、祖国を失う悲哀を感じ、思わず涙した。
この話は、新聞に掲載されて
日本国民を感動させ、
日本国民のポーランドに対する同情の念を喚起した。
そして、この話は
落合直文が作詞した
「波蘭(ポーランド)懐古」
という軍歌になって歌われはじめたのだ。

寂しき里に出でたれば、ここは何処と訊ねしに
 聞くも哀れやその昔、亡ぼされたるポーランド・・・

ここにおいて、注目すべきことは、
欧州列強の植民地支配に苦しむアジアの諸民族の苦境に同情した
日本国民の思いは、
欧州列強によって国を滅ぼされて苦しむ
欧州の諸民族にも及ぶに至ったということだ。
即ち、ここにおいて、
日本民族の神武創業之時から掲げられた八紘為宇の精神が
単に日本列島からアジアに拡げられたに留まらず、
欧州を含む世界の諸民族が
「一つの家の一つの家族である」
という思いに広がったのだ。

そして、この日本国民の思いが、
大正九年(1920年)の列強各国が尻込みして放置した
シベリアに残されたポーランド孤児七百六十五名の救出!
に繋がってゆく。
彼らポーランド孤児の救出は、
我が帝国陸軍と日本赤十字が実施した。
日本は、ポーランドの孤児達をシベリアから日本に連れ帰り、
保護すると共に、栄養失調や病気の子を治療した。
すると、日本国民は、
朝野を挙げて、不憫なポーランドの子供達に、
衣類や、おもちゃや、人形そしてお金などを続々と送ったのだ。
そして、日本は、
健康を取り戻した子供達全員を祖国ポーランドに送り返した。
ポーランドの人々は、
十五年前の日露戦争で、自分たちを支配していた大国ロシアを打倒した
勇猛なる日本人のやさしさに深く感謝したのだ。
しかも、日本は
帰国した孤児達で引き取り手がなく身寄りのない子の為に
グダニスク郊外にポーランド人とともに孤児院を建てた。
第二次世界大戦で、彼ら孤児院で育った孤児達が
地下レジスタン運動に参加したため、
ナチスが孤児院の強制捜査を開始したとき、
日本大使館の書記官が駆けつけ、
彼ら孤児達は、日本帝国の保護下にいることを明言した。
すると、孤児達は、ドイツ兵の前で、
「君が代」と「愛国行進曲」を大合唱した。
ドイツ兵は呆気にとられて引き上げた。

阪神淡路大震災の時、
ポーランドは恩返しとして
被災した孤児数十名をポーランドに招いた。
その中に、両親と兄弟を亡くした子がいて、
焼け跡でみつけた遺品や形見を入れた小さなリュックを
片時も離さず持っていた。
世話役のポーランドの女性が、それを知り、
涙が止まらなくなって、
この子の幸せを祈り続けた。
そこに、
まだ生きていたポーランドの元孤児四人が、来て、
一人一人に、涙ぐみながら赤いバラを手渡した。


昭和二十年八月、北海道、樺太、千島の守護にあたる
第五方面軍司令官兼北部軍管区司令官樋口希一朗陸軍中将は、
若いポーランド駐在武官の時、
コーカサス地方に偵察旅行を行い
グルジアの寒村を通った際、一人の老人に呼び止められた。
日本人だというと、老人は樋口を貧しい家に招き入れ、
目に涙をためて、ユダヤ人が欧州で迫害されていることを述べ、
日本の天皇がユダヤ人を救ってくれる救世主に違いない、
と樋口に言った。
このこと、樋口は生涯忘れなかった。
そして、このユダヤの貧しい老人の一言が、
樋口がユダヤ人救出に向かう引き金だと言われている。
しかし、
何故、コーカサスの貧しい老いたユダヤ人が
「天皇がユダヤ人の救世主だ」
と言ったのか、その説明は無い。

そこで、西村は思う。
イスラエル建国の父といわれる、
ヨハン・トランベルドール(1880~1920年)は
北コーカサスの生まれで、
明治三十七~八年の日露戦争に
コーカサスからロシア兵として出征し、
旅順要塞攻防戦において左腕を日本軍の砲弾に吹き飛ばされ、
旅順降伏開城とともに日本軍の捕虜となり、
はるばる大阪の浜寺ロシア兵捕虜収容所に来た。
日本国内の状況を観たトランベルドールは、
何故、この小さな貧しい日本が、大国ロシアを破ったのかと疑問に思った。
その時、一人の無名の日本兵が彼に言った。
「祖国の為に死ぬことほど名誉なことはない」
と。
その時、祖国の無いトランベルドールは、
「その為に死ぬことができるユダヤ人の祖国」をつくる決意をした。
そして、日露講和の後に
古里のコーカサスに戻ったトランベルドールは、
その郷里で、パレスチナにユダヤ人の祖国をつくる活動を開始する。
その彼の左腕は、
捕虜の時に明治天皇から下賜された義手であった。
彼は、日記に、
「来たるべきユダヤの国家は、明治の日本のような国であるべきだ」
と書いている。
グルジアで樋口希一朗に、
「天皇がユダヤ人の救世主だ」と語った貧しい老ユダヤ人は、
日露戦争から生還したトランベルドールから
「日本の天皇」のことを聞いていたのであろう。

昭和十三年(1938年)三月、
満州のハルビン特務機関長樋口希一朗陸軍少将は、
シベリア鉄道のソ満国境のソ連領にあるオトポール駅で、
ヨーロッパにおけるナチスの迫害から逃げてきた多数のユダヤ人が、
満州側の満州里駅に行けずに足止めされ、
極寒の中で命の危機に瀕していることを知らされた。

樋口少将は、ユダヤ人救出を決意する。
そして、
南満州鉄道総裁の松岡洋右に特別列車と毛布等の提供を依頼すると、
松岡総裁は、直ちに特別列車を仕立て、
オトポール駅で餓死と凍死寸前のユダヤ人を乗せて満州に脱出させた。
それを知ったナチス・ドイツから強い抗議が来たが、
関東軍参謀長東条英機中将は、
「当然なる人道上の配慮じゃ、日本はドイツの属国ではない」
と返答した。
以後、ドイツが同盟国であったが故に、
救出したユダヤ人の総数は公表されず不明ながら、
樋口は約二万人のユダヤ人を救出したと言われる。
我が国の東京の閣議で、
ハルビン特務機関長樋口少将のユダヤ人救出のことが議題になったが、
「八紘為宇ではないか、当然ではないか」
ということで何の異論もなく了承されている。

私は、約十年前にイスラエルに行ったとき、
エルサレムで、
七歳の時に両親と共に、
オトポールから救出された女性に会った。
モサドの元長官アドモニ氏の奥さんのニーナさんだ。
八十歳になっていた彼女は、
七歳の時、両親とともに日本の敦賀港に着いて
後に神戸に移り、
日本人の暖かい世話を受けたと
美しい目に涙を浮かべて語ってくれた。

一九三九年当時、
国家としてユダヤ人を救出したのは日本である。
世界各国に教会を持ち、
愛を説くカトリックの総本山であるバチカンが
ユダヤ人を救出したのか?
日本の神武肇國の志である八紘為宇が、
二十世紀に、現実に
シベリアのポーランドの孤児や、
シベリアのユダヤ人を救出したのだ。
このこと、日本人は忘れてはならない。

現在、日本国と日本人は、
ロシアに攻め込まれたウクライナに同情し、
支援物資を送りつつある。
このことも、
日本の肇國の志、八紘為宇に基づくことである。

国際政治に造詣が深い振りをして
ウクライナの非をあげつらう者達がいるが、
夫を亡くした妻、
子を亡くした母、
家を潰された人々
を見れば、心を動かすのが「人」ではないか。
八紘為宇とは世界諸民族に通じる「人の情」だ。

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