大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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日本が日本である限り、英霊は甦る

令和3年7月1日(木)

七月の中旬に梅雨が明け、
八月にはいると、お盆で、戦没者慰霊の日がくる。
そこで、現在の我々日本人が、
未だ我が国を占領していたGHQに洗脳された通りに、
自らの思考を停止していることを指摘しておかねばならない。
まず、第一に、
総理大臣として英霊が祀られている靖國神社に参拝できない者が、
長期の政権を許され、退任しても、いまだちやほやされていること自体、
戦後の思考停止と言わざるをえない。
何故、
お国の為に戦場に赴き戦死した英霊に
総理大臣として靖國神社に参拝して
慰霊の誠を捧げることが出来ないのか。
これを、とことん見極めなければ、
思考停止の誹りを免れぬことを知るべきだ。

この靖國神社以外で、
私が、具体的に、この戦後の思考停止に愕然とした場所は、
平成二十六年(2014年)十月二十四日の東京晴海埠頭と、
翌二十五日の愛媛県西条市大町楢本神社前であった。
海上自衛隊は、
毎年、練習艦隊に幹部候補生学校を卒業した実習生を乗り組ませて、
六ヶ月間の遠洋航海訓練を実施している。
平成二十六年度の練習艦隊は、
北米コース、南米コース、世界一周コース等五コースがあるなかで、
環太平洋コースを廻った。
そして、同年九月に、
英連邦の一つである赤道下のソロモン諸島の首都ホニマラに寄港して
大東亜戦争の激戦地であるガダルカナル島で戦没した将兵百三十七柱の御遺骨を
遺骨収集団から受け取って旗艦に収容し、
一ヶ月をかけて東京晴海埠頭に帰ってきた。
これは、戦後初めてのことである。
従って、その年の練習艦隊帰還式典は通常と異なり、
「戦没将兵御遺骨並びに練習艦隊帰還式典」
となった。
ガタルカナルの御遺骨を旗艦「かしま」の艦内にお迎えしてから
晴海に帰還するまでの一ヶ月間、
旗艦の御遺骨の安置所に、
実習生及び乗員は昼夜絶え間なく参拝に訪れていたと聞いた。
実習生に対して、これほどの深い精神的な教育効果を与え得る者は、
祖国の為に戦った英霊以外にない。

まず、平成二十六年十月二十四日、
晴海埠頭に接岸した旗艦「かしま」(全長143㍍)から、
海曹長の号令により、
総員が挙手注目の礼をするなか、
白い布に包まれた百三十七個の箱に納められた御遺骨は、
一つ一つ乗員の二の腕にしっかりと抱かれてタラップを降り
七十年ぶりに祖国の土のうえに降りてきた。
その時、海上自衛隊軍楽隊の奏でる「海行かば」が流れた。
その瞬間、埠頭をおおう時空は戦時に戻った。
涙をこらえた人々が見守る中、
祖国の大地に降り立った御遺骨は、
「かしま」乗員から、
厚生労働省の職員に引き渡された。

地上での献花の後、御遺骨の引渡を受けた厚生労働省の高官(女)が挨拶した。
そして、その挨拶のなかで引き渡された英霊を「戦争の犠牲者」と言った。
凶悪犯に人質に取られた少女を救出に行って殉職した警察官を、
「犠牲者」とは言わない。
しかし、厚生労働省の高官は、
お国の為に戦い戦没した将兵の御遺骨を前にして
「気の毒な戦争の犠牲者」と言ったのだ。
そもそも、
外地で戦死した軍人を、
厚生労働省が受け取るとは何だ?
軍隊が受け取るべきではないか。
英霊は、
酔って寒い凍った路上で寝ていてなくなった気の毒な行路病死者ではないぞ。

翌日の二十五日午前十時三十分、
私は愛媛県西条市大町の楢本神社前にいた。
そして、昭和十九年十月二十五日午前七時二十五分、
フィリピンのマバラカット飛行場から最初の特攻出撃をした
関行男海軍中佐以下五軍神を慰霊する
「神風特攻敷島隊五軍神、愛媛県特攻戦没者慰霊追悼式典」
に参列した。
主催は「神風特攻敷島隊五軍神・愛媛県特攻戦没者奉賛会」。
そこで、主催者側から挨拶にたった年配の女性が、
また言った。
関行男中佐等五軍神を「戦争の犠牲者」だと。
おのれ、
前日の厚生労働省高官のおばはんといい、
このおばはんといい、何だこいつら。
私は、自分の中に、
「ババア、何を言うか!」と
怒鳴ろうとする衝動が走るのを感じた。

英霊は、平和な時代に安楽に暮らす者が、
「気の毒な時代の犠牲者よ」と憐れむ存在ではない。
我らは、英霊を顕彰し、慰霊しなければならない。
そして、英霊に対して、
我らも国が必要とするならば、
英霊と同じように祖国の為に命を懸けると誓わねばならない。
さらに、英霊とは、
単に慰霊と顕彰をされる対象ではなく、
逆に、我々を叱咤激励する、
まことに大きな存在であることを知らねばならない。

昭和十六年九月六日、我が国は御前会議において、
同年八月一日のアメリカ大統領F・D・ルーズベルトの対日石油全面禁輸断行に対する
「帝国国策遂行要領」を採択した。
この国策は、
アメリカ大統領による我が国に対する石油全面禁輸によって、
早晩、我が国の工場は稼働不能となり、
船舶、車両及び航空機は動けなくなって、
遂に亡国必至という事態に至る、
よって戦うもやむなし、
と決定したものだ。
それ故、この御前会議に出席した永野修身海軍軍令部総長は、
会議終了後に次のように言った。
「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、
戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。
しかし、戦わずして国滅びた場合は、魂まで失った眞の亡国である。
しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、
死中に活を見いだしうるであろう。
戦って、よしんば勝たずとも、
護国に徹した日本精神さへ残れば、我らの子孫は再三再起するであろう。」
英霊とは、死中に活を見いだすために戦い、
護国に徹した日本精神を我々に遺す勇者なのだ。
従って、英霊は、
我々に再三再起を促し、我々を叱咤激励する存在なのだ。
この英霊が存在すれば、日本は必ず再興する。
反対に戦わないで亡国に至るは永遠の亡国だ!
と、永野軍令部総長は言ったのだ。

そして、この前年の昭和十五年五月、ブリテン島で、
戦うか戦わないかの二者択一を迫られたイギリスの首相チャーチルも、
永野修身軍令部総長と同じことを叫んで、
イギリスを戦争に突入させたことを知らねばならない。
昭和十五年五月、
ドイツは東部戦線から突如西部に転進して
オランダ、ベルギー、ルクセンブルグを突破して
電撃戦で瞬く間にドーバー海峡に達し、
北から、イギリスとフランスの連合軍四十万をダンケルクに追い詰め、
イギリス軍の主力三十万が包囲殲滅される危機に陥った。
この時、
イギリス国内には外相のファリファックス卿を中心に、
イタリアのムッソリーニを仲介人にして
ドイツのヒトラーと和平交渉に入ろうとする動きが起こった。
この時、チャーチルは、
突如、下院に乗り込んで、次の演説をした。

「この長い歴史をもつ私たちの島の歴史が、
遂に途絶えるのなら、
それはわれわれ一人ひとりが、
自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで
戦ってからのことである。」

そして、チャーチルは、内閣から圧倒的な支持を得た。
イギリスは戦う、交渉はしない、と。
現イギリス首相のボリス・ジョンソンは、
自著「チャーチル・ファクター」で次のように書いている。
「この決断から一年以内に、
三万人に及ぶイギリスの男女と子供達がドイツによって殺された。
屈辱的な和平か、
罪なきイギリス国民の大量殺戮か、
この選択肢を前に
『交渉しない』という選択が出来るチャーチルのような気骨ある政治家を、
現代において想像するのは難しい。」
さらに、
「戦い続けることは恐ろしい結果となるだろうが、
降伏はさらに悪い結果をもたらすだろう。
そのことを理解できるほど大きな、ほとんど無謀ともいえるような、
道義心と勇気を、彼は持っていた。チャーチルは正しかった。」

そう。我が国も、チャーチルと同じ決断をした。
戦えば恐ろしい結果となるが、
戦わざればさらに悪い結果がもたらされる、と。
我が日本は、戦った。
そして、「戦闘」では負けた。
しかし、「戦争」では勝った!

我が国の掲げた戦争の目的、
世界の人種差別撤廃と植民地解放による諸民族の共存共栄は実現された。
大東亜戦争がなければ、
アメリカに黒人の大統領は誕生せず、
イギリス王室に黒人の血をひく嫁はなかったであろう。
もちろん、
アジア・アフリカにおける欧米の植民地は維持された。
我が国の「大東亜共同宣言」と
英米の掲げた「大西洋憲章」は、全く天と地ほど違う。
英米は、人種差別とアジア・アフリカの植民地を維持しながら、
ナチスドイツに支配された欧州の白色人種(キリスト教徒)の
解放と政治的自由の回復を唱えたに過ぎない。
よって、我が国は、戦闘には負けたが、
戦争という「手段を変えた政治」に勝利したのだ。

確かに、大東亜戦争における戦闘で、
膨大な日本人が亡くなった、いや、殺された。
そして戦後、我が国を占領統治したアメリカ軍は、
己が殺した膨大な戦死者と戦没者を、
日本が「悪い戦争」をしたことによる「犠牲者である」
と日本国民を洗脳した。
従って、英霊を「犠牲者」だと言うのは、
英霊を殺した側、つまり敵国の側に立つことである。

日本が悪いから戦闘に負けたのではない。
八月が迫る今、
改めてこのことを明確に確認すべきだ。

このことは、
昭和二十二年五月に山形県酒田市で、
二日間に亘って行われた東京国際軍事裁判の
石原莞爾将軍唯一人の証言を聞くために開かれた
異例の「酒田臨時法廷」において、
石原将軍が、裁判長と世界に向かって公言したことだ。
即ち、石原将軍は言った。
「作戦よろしきを得れば、日本は敗北するものではなかった。」
さらに
「原子爆弾を投下して数十万の民間人を殺した
アメリカ大統領トルーマンこそ第一級の戦犯ではないか。」
つまり、石原将軍は、
東条ではなく、
俺が日本の戦争を主導する立場にあり、
作戦を指揮すれば、
大東亜戦争は日本が勝った。
その時は、
アメリカのトルーマンを第一級の戦犯として裁く、
と言ったのだ。

昭和二十年四月二十二日午前十時、
台湾桃園飛行場から陸軍特攻誠第119飛行隊の、
十八歳と十九歳の少年兵十名と学徒兵四名が、
沖縄周辺海域に向かって出撃していった。
その前の午前八時三十分頃、
彼ら十四名は滑走路の側で、陸軍整備隊長の関忠博氏に
「今、ここで死ぬのが、自分にとって最高の生き方です」
と言って全員が微笑んだ(この写真は、西村のホームページの表紙にある)。
この少年兵の微笑みは、
建武三年(1336年)五月二十五日、
湊川で「七生報国」を誓って自決した楠木正成の微笑みと同じだ。
日本が日本である限り、
「七生報国」の誓い通り楠木正成は甦ってくる。
写真に写る微笑む十四名は、まさに楠木正成の甦りだ!

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