大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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五月三日に思ったこと

令和3年5月6日(木)

本年五月三日の「いわゆる憲法記念日」には、
自宅の玄関に「日の丸」を掲げなかった。
その理由は、
昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」と題する文書は、
「日本の憲法」ではないからだ。

安倍内閣の頃から、
「戦後体制からの脱却」とか「日本を取り戻す」とかのスローガンが掲げられるが、
選挙でそれを叫ぶ総理本人が、それは具体的には何か、分かって言っていたのか。
分かっておれば、
率先垂範、内閣総理大臣として靖國神社に昇殿参拝したはずだ。
それが、総理一人で実践しなければならない「日本を取り戻す」ということだった。
総理大臣として靖國神社に参拝することも出来ない者が、
「戦後体制からの脱却」そして「日本を取り戻す」とは笑止千万である。
また、総理大臣を辞めてから靖國神社に参拝するな。
それは却って、
「日本の現職総理大臣は靖國神社に参拝できない」
ということを内外にアピールする情けない女々しいことだ。
総理として参拝できなかった者が、
総理を辞めたらから参拝できるようになりましたとは、何だ。
英霊に失礼ではないか。

そこで、一体、脱却すべき「戦後体制」とは、具体的に何かを再確認する。
それは即ち、「昭和二十二年五月三日に施行された日本国憲法体制」である。
また、「日本を取り戻す」とは、
この「戦後体制のなかで奪われたものを取り戻す」ことだ。
このことを確認すれば、長かった安倍内閣の最大の功績が明らかになる。
それは、第二次安倍内閣が誕生して、初めて迎える平成二十五年四月二十八日に、
憲政記念館に天皇皇后両陛下をお迎えして、
内閣主催の「主権回復を祝う会」を開催したことだ。
この時の安倍総理の挨拶は、
敗戦直後の昭和天皇の御製
「降りつもるみ雪にたへて色かえぬ松そををしき人もかくあれ」
を引用した祖国への愛に満ちた格調の高いものだった。
では、何故、
この「主権回復を祝う会」の開催が安倍内閣の最大の功績になるのか。
その訳は、「主権の回復を祝う」ことによって、
「我が国が連合国との降伏文書に署名した昭和二十年九月二日から
サンフランシスコ講和条約が発効する同二十七年四月二十八日までの間」、
我が国には国家主権が無かったことが改めて内閣として鮮明に確認したからである。
そして、この確認から、論理必然的に
昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」の無効が明確になるからだ。
即ち、我が国が国家主権を剥奪されていたこの七年の期間に、
我が国に於いて、占領軍から「押しつけられたもの」を廃棄し、
また占領軍に「奪われたもの」を取り戻すことが
「戦後体制からの脱却」と「日本を取り戻す」ことに他ならない。
つまり、その間に奪われた大日本帝国憲法と皇室典範と帝国陸海軍(軍隊)を取りもどし、
押しつけられた日本国憲法と題する文書と新皇室典範を廃棄することが
戦後体制から脱却し日本を取り戻すことになる。
よってこの時、安倍総理は、政権に復帰する直前の総選挙で掲げた
「戦後体制からの脱却」と「日本を取り戻す」という公約の実現を、
政権復帰直後の四月二十八日に、「主権回復」を祝うことによって、ほぼ掌中に入れたのだ。
このことが、国家に対する安倍内閣最大の功績である。

そもそも我が国の政府は、
「戦後体制つまり日本国憲法体制」(以下、「日本国憲法体制」という)のなかで、
領土の保全と国民の保護という責務を果たし得てきたのか。
北方領土と竹島は、他国に奪われたまま為す術もなく、
多くの国民が北朝鮮に拉致されて放置されている。
さらに、現在、我が国と台湾の存立にとってキーストーン(要石)というべき要衝である
尖閣諸島の領海に、
中共の軍艦が侵入を繰り返しているが、我が国政府はそれを撃退しない。
これは、我が国政府が、尖閣諸島は、「中共の施政下にあること」を認めたに等しく、
まさに国を裏切る不作為ではないか。
さらに、一昨年、中共の武漢に発源したウイルスの蔓延は、
強制措置を実施することができない我が国の脆弱性を明らかにしている。
このように、「日本国憲法体制」は、全戦線において崩壊しつつある。
そして、安倍内閣は、
この国家機能の崩壊から国家を救出する切っ掛けを、
前記の通り平成二十五年四月二十八日に鮮明にしたのだ。
従って、私は、憲政記念館での安倍内閣主催の「主権回復を祝う会」を終えた後に、
井尻千男さんや小堀桂一郎さんらが毎年開催している「主権回復を祝う会」に出席して、
「日本国憲法を廃棄して帝国陸海軍即ち軍隊を回復することが即ち主権回復を祝うことだ」
と演説した。

しかし、安倍総理は、
それから退任するまで「主権回復を祝う会」を二度と開催しなかった。
そして、日本国憲法第九条に、自衛隊を明記する「憲法改正」を唱え始めた。
とはいえ、無効なものは改正できない。
しかも、無効という結論を導く前提事実である「主権の欠落」を
「主権回復を祝う」ことによって確認したのは、一体誰だ。
安倍さん、これ、まさに「始め脱兎の如く、後は匹夫の如し」ではないか。
また、安倍総理が、九条に自衛隊を明記する、と考えているので言っておくが、
日本国憲法九条を書いたのは、
GHQ民政局の職員であったチャールズ・ケーディス大佐であり
彼は晩年、弁護士事務所を開いているニューヨークで、
産経新聞の古森義久記者の取材に対して、
「九条を書いた目的は、日本を永遠に武装解除された状態に固定しておくためだ」
と答えている。
従って、九条二項は、次の通り
日本は、
「陸海空軍その他の戦力」はこれを保持しない。
「国の交戦権」はこれを認めない。
となっておる。
そこで、諸兄姉、この九条に新たに三項を加えて自衛隊を明記したらどうなる!?
安倍さん、一体、自衛隊と自衛隊員を何と思っとるのか。
彼らが毎日、汗を流し体力の限界まで訓練に励んでいるのは、何の為か?
一旦緩急あれば、「国の交戦権を行使して国家を守るため」ではないか!
自衛隊が、その訓練が出来なくなり
国家存亡の時に交戦権を行使できなくなるような「改正案」など
「亡国の妄想」だ。
自衛隊は、「日本国憲法」に明記されていない「令外の官」であるから
いざという時に、日本を守るために戦えるのだ。

安倍氏の祖父である岸信介元総理は、
昭和二十八年二月、ジュッセルドルフで、
第二次世界大戦中のドイツ銀行総裁であったシャハト氏を訪れた。
そのときシャハト氏は、
冒頭、今度の戦争で日本が負けたことについて、「おめどとう」と言い、次のように続けた。
「日本民族は非常に優秀であるが、今まで戦争に負けたことがない。
ために鍛え方が足りない。
そこにいくとドイツ人は百戦錬磨の経験を積んでいる。
戦争に負け、叩かれ、その度に強靱な民族性と力強い努力を発揮してきた。
優秀な民族とはそういうものなのだ。
今度日本が戦争に敗れたということは、
日本がより偉大になり、より立派になることで、そういう意味でおめでとうといったのだ。」
また、戦前はケルンの市長を十六年間勤め、
戦後は西ドイツ(西側連合国占領地)の初代ドイツ連邦首相となって十四年間勤めたアデナウアーは、
昭和二十年(一九四五年)末、
「ドイツは敗れたが、精神を屈してはいない」と明言している。
この西ドイツには、日本のような占領中の「憲法」などなく、
「ボン基本法」(ドイツ連邦共和国基本法)があるだけだ。
アデナウアーが言ったとおり、「敗れたが精神を屈してはいない」からだ。
しかも、そのボン基本法の中に、
「占領中に制定せられた法律は、占領解除後は無効とする」
という項目が入っている(以上、杉田一次著「国家指導者のリーダーシップ」より)。

この西ドイツの指導者たちの敗戦直後の措置を知って、
「目が覚めた」思いがするのは筆者だけではないと思う。
同時に、この西ドイツのやり方が、国際法上当然のことであり、
主権が無いのに「憲法」ができたと喜んだ日本人が国際法上異常なのだと知らねばならない。
しかも、我が国は今、
「日本国憲法体制」を温存して
日本がなくなるのか、
「日本国憲法体制」を排除して
日本を再興するのか、
二者択一の危機に直面している。
よって、今、如何なる決断をすべきか明らかであろう。
我が国は、西ドイツと同様に、
占領中に制定された日本国憲法は無効とする。
これが救国の決断であり国際法上当然の決断だ。

その上で、我が国はイギリスと同じ「不文の憲法」の国であると自覚しなければならない。
イギリスは、一〇六六年のウイリアム1世によるノルマン王朝の創設以来、
現在のエリザベス2世に至るまで四十人の国王が世襲の王統を継承して今日に至っている。
この安定性の最大の要因は、
一二一五年のマグナ・カルタ制定以来の「不文の憲法」の存在にある。
これに対して、フランスは、フランス革命以来、
立憲君主制憲法から現行の第五共和国憲法(ド・ゴール憲法)まで、
成文憲法の総数は十五を超えており、
政変や革命や敗戦で憲法が変わる度に激しい政敵同士の殺戮に至る政争を繰り返し、
古き歴史と伝統が損なわれてきた。
これに対して日本は、欧州の国々に比べて桁違いに古く、
神武天皇の創業以来、万世一系、百二十六代の天皇を戴く国である。
そして、この日本を律してきたものは、
神話と歴史と伝統のなかにある「不文の憲法」である。
日本を律する最高法規が、「不文の憲法」であるから、
国家を常に新しい事態に適合させて、敗戦を経て、現在に至ることが可能だったのだ。
昭和天皇は、昭和二十年八月十四日の終戦の詔書において、
「茲に國體を護持し得て」、また、「誓って國體の精華を発揚し」と
二度も「國體」の語を使用され、
その「護持」を宣言された。
その後、
昭和二十二年五月三日に、日本の神話も歴史も伝統も知らないGHQが書いた
「日本国憲法」が施行されたにも拘わらず、
「國體が護持されている」ことは、平成から令和への御代替わりにおいて、
大嘗祭や四方拝などの
神話と歴史と伝統のなかにある宮中祭祀が粛々と行われたことで明らかであろう。

なお、国会における「日本国憲法無効廃棄」の決議であるが、
それは「各議院の総議員の三分の一以上の出席と出席議員の過半数の賛成」による。
この先例は、
昭和二十三年六月十九日の国会での「教育勅語無効決議」である。
驚くべきことに、敗戦後の占領下の日本の国会は、
出席議員の過半数で「教育勅語の無効決議」をしたのである。
天皇の勅語を、国会の決議で無効にできないにも拘わらず、決議をしたのだ。
ならば、現在、占領中に占領軍が書いたものの無効決議など
同じく国会の出席議員の過半数でできる。
断じて
「日本国憲法九十六条の改正規定」でするのではない。
この条項はGHQの巧妙な罠である。
この罠に入れば、
無効なものを有効にしてしまう蟻地獄に陥る。
また、経験者であるから分かるが、
戦後の国会には、日本の國體が分からない馬鹿が半分以上いるのだ。
そこで総議員の三分の二以上の決議などできない。
最後に、我が国の「不文の憲法」の法源を記しておく。
①「天照大御神の天壌無窮の神勅」などの記紀に記された神勅や詔勅、
②聖徳太子の十七条憲法、
③明治維新から昭和二十一年一月一日までの重要な詔勅、
④大日本帝国憲法と旧皇室典範、
⑤現行の国会法・内閣法・裁判所法その他重要諸法。

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