大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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FBでヘイトだとして削除された我が文章

令和3年1月9日(土)

この度、正月早々、
私のFBに記した文章が削除され、しばらく入力できなかった。
その理由は、「ヘイト」であると説明されていた。
曰く、私の次の三つの文章が「ヘイト」であるという。
「ヘイト」とは、何じゃ!
という思いと共に、
気持ちよく快適に運転しているのに、
突然、警笛を鳴らされて停止させられたような思いになった。
そこで、諸兄姉に、
私の「ヘイト」と言われた三つの文をご紹介し、
ご参考に供したい。
我が国の言語空間は、
今、得体の知れない検閲即ち言論統制に晒されているようだ。
・・・       ・・・       ・・・
(第一稿) 平成二年二月四日投稿「拉致被害者救出問題」
今やるべきことは、
断固、
拉致被害者を救出し、教育を振興し、国防力を増強する
ことである!
本日二月四日の産経新聞朝刊に、
十三歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母、
横田早紀江さんの「めぐみへの手紙」が掲載されていた。
その見出しは、
「お母さんは84歳になりました」
「残された時間は 本当にわずか」 
「救い待つ拉致被害者 心に描いて」
そして、次のように
母の娘への手紙は綴られている。

病院で必死にリハビリするお父さんの姿を見ると、
「一刻も早く、めぐみと会わせてあげなければ」
という焦りで全身がしびれます。
私たちに、残された時間は本当にわずかです。
全身全霊で闘ってきましたが、
もう長く、待つことはかないません。
その現実を、政治家や官僚の皆さまは、
どう考えておられるのでしょうか。
私たちはテレビで、
のどかにさえ見える方々の姿を、
見つめ続けています。
めぐみちゃんたちはこの瞬間も、
日本が助け出してくれると信じて、
極寒の北朝鮮で耐えていることでしょう。
でも、国会などを見ていると、
拉致事件が取り上げられることは、ほとんどありません。

この「めぐみへの手紙」を読んで、
全身に怒髪天を衝く思いが駆け巡り、
この84歳になった身体が弱ってきた母が、
娘のめぐみちゃんが、
13歳の時に北朝鮮に拉致されたと分かった平成九年一月から現在まで、
我が国政の最重要の課題、我が国家の存立に関わる最重要の課題を
担い続けてきたのだと、畏敬の念に満ちて実感した。
我が国家の最重要問題を担いつづけるという
とてつもない任務を果たしてきたのは
この母だ。
この時、政治家や官僚の皆さまは
「のどかにさえ見える姿」で過ごしてきたに過ぎない。
即ち、平素、
「反戦・平和」そして「人権擁護」、
また、「憲法9条を守れ」、「ヘイトスピーチ糾弾」
を叫んでいる連中は、
平和な国で起こってはならない残酷な拉致、
最も平和に反し最も人権を蹂躙する拉致
に無関心で、
当初、拉致はでっち上げだ、北朝鮮に対するヘイトスピーチだと
拉致被害者救出を訴える運動に敵意を剥き出しにしていた。
他方、
戦後体制内保守=日本国憲法内保守は、
拉致問題に国民の関心が集まったときには、
救出運動の場に群れてきて
拉致問題を己の知名度を上げ出世する道具に使った。
本当に、拉致被害者救出を腹の底から決意した者が、
総理大臣ならば
先ず第一に、
我が国内の北朝鮮の出先機関である朝鮮総連という組織に
強制捜査のメスを入れ
自衛隊と国家警察を強化し、
スパイ防あつ法を創設するはずだ。
時あたかも、
「のどかにさえ見える」マスコミと国会の関心は、
支那の武漢発「新型ノロウイルスの蔓延問題」と「櫻を見る会」と「IR汚職」
であるので記しておく。
それは、幕末の傑出した偉人、陽明学の備中松山藩の山田方谷先生の次の言葉。
「総じて善く天下の事を制する者は、事の外に立って事の内に屈せず」
ということだ(「山田方谷に学ぶ改革成功の鍵」野島 透著、明徳出版社)。
「事の内に屈することなく」とは、
以下の事である。
まず、
「中国人観光客四十万人訪日中止」(読売見出し)で、
観光地やホテルやら百貨店などでの売り上げ下落の不安・不満に駆られず、
それが当然と受け入れることだ。
むしろ喜ぶべきではないか。
大阪や東京の生鮮魚を扱う黒門市場や豊島や築地の場外に
四十万人以上のイナゴのような中国人の群れが満ちることを思えば、
これは地獄で、
コイツら来ない、これ幸い、ではないか。
以前、バブルの時に、大阪のタクシーは、
会社のチケットを掲げて会社のカネで乗るやつしかタクシーに乗せず、
我らのように自分のカネで乗る弁護士などは乗車拒否だった。
しかし、
バブルが崩壊したら人のカネで乗っていた奴はタクシーに乗らなくなって
タクシー業界が困った。
これと、同じだ、
イナゴに頼って儲けようとすれば、
イナゴが来なくなったら倒産する。
もうすぐ、
中国共産党独裁体制そのものが崩壊するのだ。
我が国のホテル、百貨店、商店は、支那に頼るな、
将来の保障の為に、日本を信じ、日本人客を大切にすることだ。
それから、我が国の政治家や官僚や財界人は、
支那に便宜を計ってもらうな。
そのうえで、政府は、
習近平主席の国賓招待は、今から中止と伝達しとくべきである。
次に、「櫻を見る会」に関し、
のどかにも未だやっとる。
蓮舫とかいう妙な名前の議員が、
一時間以上の持ち時間の全部を使って安倍総理に質問していたようだが、
のどかな不細工な九官鳥がしゃべっていたとおもって忘れるべきだ。
最期に、「IRの汚職」、
これは警察と検察に任せて、
我らは、
我が国の伝統からみて外國のカジノは我が国に合わない。
それにもかかわらず、
国や自治体は、カジノ博打で、それほど儲けたいのか?
我が国は、そこまで堕ちるのか!
バカ野郎!
と、横浜のおばはんに言ったらそれでええ。
そのうえで、
博打はなくならないから、我が国の伝統に従って、
清水の次郎長など、映画「座頭市」に出てくるような親分を探し出し、
賽本引きや花札などの伝統的博打を再興させ、
いかさまや眼に余ることがあれば取り締まる。これでええ。

その上で、
「事の内に屈せずに天下の事を制する」とは何をするべきか。
それは、山田方谷先生曰く、
「道議を明らかにして人心を正し」
「正道を尊重して文教を振興し」
「士気を振るい武備を張る」
ことである。
具体的に言えば、
第一は、国家の主権を侵されて拉致された国民は断じて救出する
これを決断できない国に未来はない。
そのうえで、
信と愛と勇気を尊重する教育を振興する
同時に、
士気旺盛なる軍隊を創設して国防力を強化する
これだ!
以上


(第二稿) 平成二年四月二十七日投稿「台湾問題」
台湾を思う。
台湾を守ることは我が国の自衛権行使そのものである。
四月二十五日、
産経新聞の「話の肖像画」欄で連載していた
台湾元総統の陳水扁さんのインタビューが三十三回目で終了した。
陳水扁さんの総統の任期を終了した後の
二〇〇八年十一月に逮捕され
二〇一五年一月に保釈されるまでの獄中の日々、
また、
起訴された罪状の内容について、改めて知ることができた。
政府の「機密費」に領収書が必要とされれば、
「機密費」なのであるから、
本当に手渡した相手は領収書など書けるはずがない。
我が国でも、民主党政権下の際、
官房機密費に領収書を必要とするとなりかけたと記憶する。
もし、領収書が必要となったとしたら、
民主党時代に出たあの、三人の総理も陳水扁さんと同じことをしただろう。
陳水扁さんの次の総統になり、陳水扁逮捕を実施して、過酷な獄中生活を強いた
馬英久総統も陳水扁さんと同じことをしている。

ただ、陳水扁総統のスキャンダルが、
まるで支那の歴代王朝の典型的な腐敗と同じように執拗に報じられていたので、
僕は、かなり、その捏造に影響され、陳水扁さんに失望していたことがあり、
この度の産経の連載を読んで「誤解して悪かった、申し訳ない」と思った。
陳水扁さんが、獄中にいるとき、
高雄で蒋介石時代の「白色テロ」を体験した人々と会食をしている時、
私は、「陳水扁に面会したいが、可能か?」と彼等に訊いた。
その時の彼等の反応は、「とんでもない!」という雰囲気だった。
この度のインタビューを読んでその訳が分かった。
彼等には、国民党の馬英久政権の陳水扁への処遇を見て、
蒋介石時代の白色テロの恐怖が甦っていたのではないか。

陳水扁さんの次の総統を選ぶ選挙の前、
国民党候補の馬英久氏と民進党候補の謝長廷氏が、相次いで日本に来た。
馬英久氏と同行の国民党幹部に会ったとき、
僕は、
「貴公等は尖閣に行ったことがないだろう。
私は、行ってきた。
何故なら、日本の領土だからだ。
よって、尖閣は日本の領土だと、改めてここで貴公等に言っておく。」
と言った。
馬英久は、ハーバード大学で、
「尖閣は中国の領土」という論文を書いて学位をもらったと聞いていたからだ。
しかし、馬氏は、無言で何も言わなかった。
次に謝長廷氏とは京都大学の構内で会った。
彼は京都大学大学院で法哲学を学んでいたから、
日本に来て京都大学の学園ホールで集会を開いたのだ。
いろいろ話をして、意気投合した。
丁度、謝長廷氏と大学院で共に法哲学を学んだ先輩が、
謝長廷は、中華料理店でバイトをしながら、講義の時には、
必ず原書を総て読んでから出席する頑張り屋だったと教えてくれた。

総統選挙の時、台北へ謝長廷応援に行った。
朝、台北の路地を散歩していると、
謝長廷と馬英久のポスターが仲良く貼ってある塀の側に
ステテコ姿の、おっちゃんが座っていた。
彼に誰を応援すると聞いたら、謝長廷と答えポスターを指さした。
僕は、馬英久のポスターを指さし、これはどうか?と尋ねた。
すると、おっちゃんは、手を横に二往復振って言った。
ダメ、ダメ、コレ、チャンコロ、コレ、チャンコロ!
僕は、なるほど、チャンコロは国際語だと知り、
それから、チャンコロと言うようになった。
夕方、台北の公園で、謝長廷の演説会が開かれた。
大勢の人が集まってきた。
薄暗い木々の向こうを候補者の謝長廷が数人に囲まれて
明るい演壇に向かって歩いていた。
僕は、日本語で大声で叫んだ。
「京都大学、頑張れー!」
明らかに謝長廷は、反応した。
演壇に登った謝長廷の第一声は、
「私は、明治維新の地、京都大学に学んだ!」だった。
そして、オカリナを取り出し、
ジュディーオングの「竹田の子守歌」を演奏し始めた。
謝長廷の後ろには
十名ほどの中共の強権的な惨い弾圧によって家族が同胞が苦しんでいる
ウイグルとチベットの綺麗な娘さんが民族衣装を着て立っていた。
「竹田の子守歌」のメロディーがながれるなかで、
彼女たちは、涙を拭いていた。

台北から高雄に行き、旧知の人々と会った。
もちろん、全員、チャンコロを支持していない。
話は、尖閣とその周辺の漁業の話になった。
僕は言った。
尖閣と周辺の漁場を開拓したのは日本人だ。
その日本人のなかには台湾の日本人が入っているんだ。
高雄の人は、一瞬、話を止めてシーンとなった。
彼等の目頭に熱いものがにじんでいた。

以上、
産経新聞の陳水扁氏の話を読みながら、浮かんだ台湾の思い出を記した。
その上で、
我が日本が、国家の安泰を確保する為に
認識しなければならないのは何かを記したい。

それは、先ず第一に、
尖閣諸島を中共から断固として守らねばならないということだ。
何故なら、中共が尖閣を奪おうとする戦略は、
奪った尖閣を橋頭堡として南西の台湾と北東の沖縄本島を奪うためである。
先にも書いたが、
台湾と沖縄本島を中共が奪えば、
これは即ち、中共が我が国の生命線であるシーレーンを扼したということである。
これは、日本の滅亡だ!

従って、次の第二は、
尖閣や沖縄本島はもちろん、
台湾防衛も、
我が国の自衛権の領域にあるということだ。
即ち、台湾防衛は我が国の個別的自衛権の行使なのだ!
国際法には、
明確に台湾防衛は我が国の自衛権の行使であるとする前例がある。
それは、
デンマーク艦隊引渡請求事件、
当時国、イギリス×デンマーク、1804年
これは、
イギリスにとってナポレオンがデンマークを占領し、
そのデンマークの艦隊を強奪すれば、
その艦隊は、イギリスの最大の脅威となるとき、
ナポレオンに先駆けて、
イギリスがコペンハーゲンを砲撃してデンマーク艦隊を強奪することは
イギリスの自衛権の行使だという自衛権のケースだ。
よって、
中共が、台湾を占領し、台湾を基地として
台湾の最新鋭戦闘機や海軍を日本攻略に使えば、我が日本が存亡の危機に立つならば、
中共の台湾占領を阻止するために我が国が台湾を中共から守ることは
我が国の当然の自衛権の行使である。
デンマーク艦隊引渡請求事件のように、
イギリスが、デンマークのコペンハーゲンを砲撃して
その艦隊を強奪する海賊行為が自衛権の行使なら、
我が国が、台湾を攻撃せずに、
台湾そのものを守ることは
イギリスよりも真っ当な自衛権の行使ではないか。
台湾と沖縄こそは不可分一対の、
日本防衛の死活的な要なのだ!
以上

(第三稿) 本時事通信の令和三年一月五日投稿の
「覚悟を決める年が始まった」
と題する文の後半、「旧臘十二月二十三日」から始まる部分をお読みいただきたい。

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