大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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覚悟を決める年が始まった!

令和3年1月5日(火)

令和二年末の十二月二十九日、TV画面に、
電話会談をしたプーチン大統領と習近平主席の写真がそろって映し出され、
我が国の北のロシアと西の中共の中露の協調連携合意が報道されていた。
この報に接し、
日清戦争後の一八九六年に締結された露清密約を思い出した。
この密約は、露清両国の対日攻守同盟であり、
清国の李鴻章がロシアから多額の賄賂をもらって満州をロシアに実質的に売り渡す密約である。
ここからロシアの「鉄道と銀行による満州併呑」が開始され、
これが日露戦争勃発につながっていく。
しかし、日本は露清密約を知らず、
清国がロシアに売り渡した満州から、
血を流してロシアを退去させ
満州を清国に戻してやったのだ。
なお、
日清戦争後の三国干渉と露清密約という「東亜五十年の禍根」をつくって
多額の賄賂をせしめた李鴻章の子孫は、
現在、アメリカで名前を変えて富豪として住んでいると聞いた。
支那の高位高官とはこういうものだ。
共産党独裁の今も同じだ。

ロシアのプーチン大統領も中共の習近平主席も、
ロシア共産党と中国共産党でのし上がったエリートであることを忘れてはならない。
共産党のエリートは、
「親友を裏切ることなど屁とも思わない」(内村剛介著「ロシア無頼」)。

この度の中露協調合意は、
中露両海軍が、毎年一度の頻度で、
オホーツク海、西太平洋、南シナ海そして日本海
つまり日本の東西南北の周辺海域で合同軍事演習を積み重ね、
陸上では二〇一八年に実施されたロシア軍の第二次世界大戦後最大規模の
兵員三十万人、航空機一千機、戦車三万六千輛を動員した
シベリアでの軍事演習ボストーク(東)に
中共軍が参加して連携を深めてきた成果である。
また空においても、
北のロシアと南西の中共との連携は、
我が航空自衛隊の対ロシア軍機、対中共軍機へのスクランブル発進回数が、
冷戦期を上回っていることからも明らかだ。
即ち、中共とロシアは、
我が国周辺の陸海空の領域において軍事的連携を積み重ねてきている。
従って、これは、
中露の百二十五年前の露清密約と同様の現在版対日攻守同盟である。
このように、
中露が我が国周辺で軍事的連携を見せつけているなかで、
ロシアのプーチン大統領を「ウラジーミル」と呼んで親愛の情を示し、
中共の習近平を「国賓」として迎えようとしていたのが
我が国の首相の外交だった。
これも、「日本国憲法」を病原とする友好病の発症だったのか?

旧臘十二月二十三日に、外務省が一般公開した
平成元年(一九八九年)六月四日の中共の天安門事件に対する
外務省の方針を明記した文書をみれば、
多くの一般市民を殺戮した中共政府に対し、
外務省は欧米諸国と共同して制裁を実施することに、
「長期的、大局的観点から得策ではない」
と判断して反対する方針を打ち出している。
従って、安倍内閣の、中共の習近平主席を、
「国賓」として我が国に迎えようとする対中錯誤は、
総理個人の病気ではなく、
日本外交宿痾の対中思考麻痺から産み出されるものと思わざるを得ない。
そして、同じ誤りを繰り返さないために、
今こそ徹底的に歴史を振り返り教訓を得なければならない時だ。

痛恨のポイントは、一九二七年(昭和二年)三月二十四日の
「南京事件」である(これが本当の南京事件、一九三七年十二月の南京事件は捏造)。
時の外務大臣は、対中協調外交の幣原喜重郎である。
一九二六年七月、孫文死後の国共合作の中で軍事力を掌握した蒋介石は、
各所の軍閥を掃討して中国統一を実現するために、
広東から北京を目指して国民革命軍(北伐軍)を率いて北伐を開始する。
北伐軍は二年後に北京に入城するが、
その過程で諸外国の権益と居留民に対する攻撃を繰り返した。
北伐軍には、次のモスクワからのコミンテルン指令を実行するために
多くの共産党分子が入り込んでいたからだ。

「あらゆる方法を用いて国民大衆による外国人排斥を引き起こさねばならない。
この目的達成のためには各国と大衆を武力衝突させなければならない。
これによって各国の干渉を引き起こすことができたならば、
方法を選ばず、それを貫徹すべきである。
略奪や多数の惨殺をもたらしても構わない。
大衆が欧州の軍隊と衝突した時には、
その機を決して逃してはいけない。」

北伐軍は、一九二七年(昭和二年)一月、
漢口・九江のイギリス租界を奪取して欧米に衝撃を与えた後、
三月二十四日午前五時半頃に南京に入城してきた。
するとまもなく、正規兵が青天白日旗を掲げて、
我が国やイギリス、アメリカ、フランス、イタリアなどの領事館に乱入した。
我が国の領事館には二百名余の兵士が侵入して
館員を狙撃してその所持品を奪い金庫を開いて金品を略奪し、
婦人を辱めた。
続いて女子供を含む数百名の一般中国人が押しかけて略奪に加わり、
便器や空瓶に至るまで総て持ち去った。
午後三時四十分、
英米両国は、避難民救援のために揚子江上の軍艦から南京城内を砲撃した。
しかし、
現地に駆逐艦を擁する我が国は砲撃に参加しなかった。
そして、東京の外務大臣幣原喜重郎も、現地の領事から、
「南京事件は北伐軍内の共産党代表及び共産党下級将校が
南京共産党支部と打ち合わせて行った組織的排外暴動である」
との報告を受けたにも拘わらず、
一切の武力行使に反対し、絶対不干渉の方針を堅持した。
当然、事件をコミンテルンの前記革命戦略に基づいて行われた暴動と見抜いて
城内を砲撃し我が国にも共同対処を申し入れた英米などの列強と一線を画したのである。
この幣原の無為は、
彼の言う支那に対する「理解と忍耐と同情」から生まれたが、
これほど無責任な外交はない。
この無為の結果が何を呼び込んだのか。
それは、
十年後の盧溝橋事件(昭和十二年七月七日)である!

コミンテルンと中国共産党は、革命のために、
「各国と大衆を武力衝突させねばならない」
という戦略を実行する機会を狙っていた。
そして、攻撃のターゲットを日本に絞った。
何故なら、米英ら欧米諸国は、攻撃すれば厳しく反撃してくるが、
日本は反撃せず無抵抗であったからだ。
中国共産党にとって、無抵抗な日本こそ、
最も少ない犠牲で最大の効果を上げうる絶好のターゲットとなった。

ここが日本人と支那人の違いだ。
日本人は無抵抗な者を攻撃することを控えるが、
支那人は無抵抗だから攻撃する。

ここにおいて、中国共産党は、
日本に対する大衆の攻撃を開始させることによって、
十年後の盧溝橋事件から日中戦争への道を拓き、
レーニンの「内乱から戦争へ、戦争から革命へ」の革命戦略の実践に向かう。
そして、盧溝橋事件から十年後、
毛沢東の言うように、銃口から中華人民共和国が誕生した。
即ち、南京における「暴動」に武力で対抗した欧米諸国と
共同歩調を執らず無抵抗を貫いた日本外交が、
おぞましい中華人民共和国という中華帝国を誕生させた。
そこで言う。
一九八九年六月四日の天安門事件に際し、
欧米諸国と共同して中共に対する厳しい制裁を実施することが、
「長期的、大局的観点から得策ではい」と判断した我が国の外交が、
三十年後の現在、
世界の脅威となっているグロテスクな核ミサイル大国の膨張と
悲惨な香港そして台湾と尖閣の危機つまり日本の危機を生みだしているのだ。
即ち、我が国の外務省の「長期的、大局的観点」を信用してはいけない。
これが我が国の存立を危うくする
「宿痾の病根」
であることに気付かねばならない。

我が国は、聖徳太子の
隋の煬帝に対する対等の外交を申し込む国書(六〇七年)、
また、易姓革命で王朝が交替する支那の体制を観た上で
「我が国開闢以来君臣の分定まれり」
との自己認識を表明して道鏡追放を示唆した宇佐八幡の神託(七六九年)、
そして菅原道真が、
唐の政情と唐からの遣日使として来日した支那人の人品を観た上で
遣唐使を廃止(八九四年)したことで明らかなように、
東アジアにおいて中華の「華夷秩序」に属さなかった唯一の誇りある国である。
それ故、
南朝の臣北畠親房は、支那と対比して「大日本は神国なり」と断じ(神皇正統記)、
支那の明から「爾を日本王とする」との国書を受け取った豊臣秀吉は怒ってそれを破ったのだ。
そして、明治維新後も、
明治十二年の情報将校の草分けである福島安正陸軍中尉(後の大将)が支那を偵察して
「清国の一大弱点は公然たる賄賂の流行であり、これが百悪の根源をなしている・・・このような国は日本がともに手を取ってゆける相手ではありえない」と記した報告書「隣邦兵備略」、
明治十八年の福沢諭吉の「脱亜論」そして
大正二年の内田良平の「支那観」など、
支那に対する認識を正す有益な書物が世に出ている。
しかし、我が国の外務省は、前記の通り
戦前も現在も対支那認識が狂い国益を害すること甚だしい。

そこで最後に、
日本と欧米国際社会が下すべき決断を記したい。
現在の国際秩序は、
一六四八年に締結されたウエストファリア条約で確立された
独立主権国家相互には基本的に支配や統制は存在しないというものである。
我が国は前記の通り、
東アジアで、聖徳太子の昔からこの原則を貫いてきた。
しかし、
中共の政治権力の本質は支那の伝統的王朝と変わっていない。
つまり、中共の政治権力にとっては、
中共を中心とする華夷秩序に基づく国際関係つまり朝貢関係しか存在しないのだ。
従って、
中共は、大国になったのだからと、
南シナ海で人工島を造成してミサイル基地を建設しようが、
尖閣周辺海域に公船を派遣し続けようが、
支那の伝統的な華夷秩序に基づいた当然の行動をしているつもりなのだ。
習近平は、二〇四八年の建国百年には
「中華民族は世界に聳え立つ」
と特有の宦官のような支那顔で豪語したが、
それはモンゴル人の王朝である元を倒した明の永楽帝が
万里の長城を補修拡大して北の元の脅威に備え(現在はロシア)、
陸路はユーラシアの西の果てに使者を送り
海路は宦官の鄭和にアフリカ東岸まで往復させて(これは現在の「一帯一路」)、
自分(中華)を中心とする広大な朝貢体制を築こうとしたのと同じ「中華的妄想」だ。
しかし、この明も北方の満州のアイシンギョロ・ヌルハチに滅ぼされ、
満州族の清が二十世紀まで支那に君臨することになる。
そして、現在、
核ミサイル大国となった中共が、力によって周辺を飲み込み
世界に聳え立とうとしている。
そこで、自問しよう、
中共主席の下僕になるより死んだ方がましか!
死ぬより中共主席の下僕になる方がましか!
よって、
日本と国際社会が下すべき決断は明らかであろう。
それは、
「長期的、大局的観点に立ち」、
この共産党独裁体制を倒し「中華の夢想」を粉砕することだ。
元が倒され、次の明が倒され、次の清が倒され、次は中華人民共和国が倒される。
これ、支那の歴史の当然のサイクルである。
日本人が、覚悟を決めるのは、本年、令和三年だ!

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