大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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日本人同胞に告げる

令和2年5月7日(木)

「戦後という時代」においては、
保守にも
「色々な保守」
がある。
その理由は、戦後は、「日本の根源」が見えなくされているからだ。
よって、まず、眞の日本と保守とは何かについて検証する。

先ず第一に、
我が国と、アメリカ、イギリス等の諸国との間に、
昭和十六年(一九四一年)十二月八日に
大東亜戦争が勃発し、
同二十七年(一九五二年)四月二十八日に
サンフランシスコ講和条約が発効するまでの十年五ヶ月余の間は、
「戦争状態」にあった。
「戦闘」は、概ね、同二十年八月までに終わったが、
同九月二日からは、
我が国の連合国への降伏により、我が国開闢以来未曾有の
連合国による日本の軍事占領という「戦争状態」が
同二十七年四月二十七日まで継続する。
しかもその期間は、
戦争の継続期間なのであるから、
まさに連合国の対日戦争目的遂行の期間であり、
その為に降伏文書には
「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官の制限の下に置かれる」
と定め、
連合国最高司令官が我が国を占領統治した。
そして、この占領統治期間は、
昭和二七年四月二七日まで続く。
即ち、その日本占領統治の期間に
連合国は対日戦争目的を遂行したのだ。
では、
その六年半に及ぶ日本占領統治期間に占領側は何をしたのか。
その概要を知るために、一番適切な資料は、
スイス政府が編纂してスイス国民の全ての家庭に一冊ずつ配布している
「民間防衛」という冊子である。
この冊子をスイス政府が編纂して国民へ配布する目的を記すと、
「国民防衛」の「まえがき」には、
「国土の防衛は、我がスイスに昔から伝わっている伝統であり、
我が連邦の存在そのものにかかわるものです。
そのため、武器をとり得るすべての国民によって組織され、
近代戦用に装備された強力な軍のみが侵略者の意図をくじき得る」
と書き始め、
「今日では、戦争は全国民と関係を持ち、
国土防衛の為に武装し訓練された国民一人一人には『軍人操典』が与えられるが、
『民間防衛』というこの本は我が国民全部に話しかけものです。」
とされている。
その「民間防衛」の書き出しには、
「祖国」と「国の自由と国民それぞれの自由」
という項目がある。
その上で、スイスが受ける可能性がある攻撃と防御方法が記されている。
その攻撃には、
先ず、核兵器、そして、生物兵器、化学兵器、堰堤の破壊が挙げられている。
核攻撃に関しては、
爆心地からの距離に比例して浴びる放射能の量は減少すること、
また爆心地直下でも、放射能は急速に減っていくので、
核爆発の何時間後に、核シェルターから外にでても安全かが
核爆弾の規模に応じて分かり易く図示されている。
その上で、後段には
「占領軍の洗脳工作」という項目を設け、
不幸にして敵がスイス全土を制圧し占領したときに何をするかが記され、
それに対して如何に抵抗するかが述べられている。
これを読んだとき、
私は、スイス政府は、アメリカの日本占領統治を調べて本書を書いたと、
ほとんど確信したほどだ。
それほど、アメリカ占領軍がしたこととそっくりなことが書いてある。
この占領軍のやることに関し、
アメリカの占領統治もナチスドイツの占領統治も同じだ。
そこで、
スイス政府が「占領軍の洗脳工作」で書いていることを概観するので、
それに対応するアメリカ軍(以下、GHQ)が我が国で何をしたか思いだして頂きたい。
(1)占領軍は、ある時は残忍なまでに厳しい(戦犯裁判による処刑)。
(2)占領軍は、ある時は住民を手懐けようと約束や誓いを乱発する。
(3)占領軍に協力する者(裏切り者)が行政の主要ポストを占める(公職追放)。
(4)裏切り者にまかされた宣伝省はあらゆる手段を用いて
我々が間違っていたことを呑み込ませようとする(WGIP)。
(5)歴史の教科書の改作の作業が進められる(WGIP)。
教科書は勝利を得た占領軍のイデオロギーに適応するようにつくられる。
(6)青少年を新しい時代に熱狂するように洗脳する為、
家庭や教会や民族的伝統から引き離し、
新聞やラジオやテレビなどが、直ちに宣伝の道具として用いられる。
敵のイデオロギーはラジオを通じてテレビの画面から、一日中流れてゆく(WGIP)。
(7)誰でも公式発表意外の情報は聞けないように、聞いてはならないようになる(検閲)。
以上、
スイス政府が指摘したことは、GHQが、
東京裁判による七名の「A級戦犯」及び一千名以上の戦犯を処刑し、
政治・行政、実業界、教育界、言論界の数十万人の公職者を追放しつつ、
GHQに従順な者(裏切り者)を公職に就け、
あらゆる手段を用いて
WGIP(War Guilt Information Program)
という洗脳工作を実施し、歴史教科書を改作し、厳しい検閲を実施し、
このWGIPが、
未来永劫、日本人を呪縛する為に「日本国憲法」を制定したことと対応している。
なお、
GHQのWGIPは、
第一に、「日本の戦争は悪い戦争であった、日本の近代は近隣諸国侵略の歴史であった」
ということと同時に、
第二に、「日本の戦争は、軍部を中心とする軍国主義軍閥集団が行い、日本国民はその犠牲者であり被害者である」
と日本国民に思い込ませる洗脳宣伝である。
この洗脳の第二から、
広島や長崎への原子爆弾投下による惨害、東京大空襲等による惨害は、
アメリカ軍ではなく、
日本軍国主義が、日本国民にもたらした惨害だという認識に至る。
つまり、GHQは、
日本を占領しているアメリカ軍は
天皇に忠誠を誓う政府と軍国主義軍閥集団の残虐な支配から
日本国民を解放した「解放軍」だと日本国民に思わせたのだ。
よって、ここから、
「日本国憲法」の前文の
「日本国民は政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないように決意し」
と、
同九条の「陸海空軍はこれを保持しない。(アメリカは)国の交戦権はこれを認めない。」
という文言、
広島の原爆公園慰霊碑の
「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」
という、悪いのは日本だという文言が導かれる。
このように、GHQのWGIPは、
見事に「日本国憲法」と原爆慰霊碑に刻まれて固定化され現在に至っているのだ。
さらに、占領中のことに関して
スイス政府の「民間防衛」が指摘していることを記したい。
そこには、「武器を手にして戦う時期がまだ来ていない時」に、
国民は、何をすべきかが書かれている。
そこには、
「今為すべきことは、あくまでも祖国に対する忠誠を守り続け、
我々一人一人が道徳的な抵抗の模範を示すことである。」
「占領軍は、そういう国民を傷つけることはできるが、屈服させることは不可能である。」
と記した上で、
次の通り、見事な一文が記されている。

もしも、
小学校から大学に至るまでの先生達が、
われわれの自由の理想と国民的な名誉に対して、
あくまで忠実であるならば、
占領軍は絶対にその思想に手をつけられず、
従ってその思想を屈服させることはできないであろう。
精神的な抵抗運動を誰よりもまず最初に引き受けて実行するのは、
我が国の教育者達である。

私は、この「スイス」の一文を読んで、目眩がするような感がした。
何故なら、我が国においても、
この教育界、教育者が、
まさに、「占領からの脱却の急所」であるにもかかわらず、
「国民的な名誉」に無関心どころか、
さらに、それを敵視して生息する文部科学省と左翼日教組に牛耳られているからだ。
これでは、日本の教育界は、「占領からの脱却の急所」ではなく、
日本を「占領下に閉じ込め続ける張本人(急所)」である。
考えてみれば、
我が国の教育界のみではなく政界もマスコミ界も学会も、
伝統的にGHQの公職追放を免れて快適に生きることのみを求める者で
占められているではないか。
つまり、我が国の「七十年以上続いてきた戦後」とは
スイス政府の想定した占領下ではなく、
スイス政府が「民間防衛」の(3)で指摘している
「占領軍に協力する者(裏切り者)が行政の主要ポストを占める」
状態を続けている。
つまり、占領状態を固定して継続させる為にGHQが書いた
「日本国憲法」を
日本人が「憲法」として機能させている限り
「日本は占領下」であり続け、
従って「戦後」が続くのだ。

しかし、
この中においても、私は、
日本における、スイス政府が言う
「精神的な運動を誰よりもまず最初に引き受ける教育者達」
を知っている。
亡き恩師にも、今の友人の中にもいる。
その日教組と戦う友人には、
「学校の教室こそ国家再興の場所だ、
頼む、苦労を覚悟してお国の為に校長になってくれ」
と励ましている。

以上、我らが育ち生きている「戦後という時代の特殊性」を述べたうえで、
この時代はともかく、そもそも、我々の日本は、どの日本なのかを確認したい。
我らの日本は、
昭和二十年に始まる「戦後の日本国憲法の日本」か、
明治維新に始まる「近代の大日本帝国憲法の日本」か
天照大御神の天壌無窮の神勅に始まり神武天皇が創業した
「豊葦原の瑞穂の國の日本」か。

私の実感を言うが、
私は、平成二十五年夏、
伊勢神宮の式年遷宮における
御木曳行事と御白石持行事に「神領民」として参加させて頂き、
昨年の天皇の譲位と新帝の践祚そして剣璽承継之儀と
大嘗祭と本年元旦の新帝の四方拝を目のあたりにして
「豊葦原の瑞穂の國の日本」
に生きていると実感している。
即ち、「悠久の太古から天皇を戴いてきた日本」が、
今、我らの生きる日本である。
この何れの日本を「日本」と思っているのかで、
如何なる保守かが分かる。
例えば、今まさに主流を占める保守は、
「日本国憲法」の下の保守、つまり「戦後の保守」だ。
そうでなければ、
戦後のなかでは出世できないのでオポチュニストはそうなるのだが、
こんなのは、
昔の共産主義かぶれでエリート面したチンピラによく似ている。
また今は、
選挙直前に新しい党がマスコミの脚光を浴びれば、そこに走るチンピラだ。
そして、高級官僚になっても反日的な学生時代のままの者、
即ち、時流に乗る出世主義者、
スイス政府が言う、
占領軍に取り入って主要ポストをもらう者(裏切り者)だ。
もう少しましな保守は、「近代の日本」に生きる保守だ。
しかし、気をつけねばならないのは、
戦前は大日本帝国憲法下で高官となり、敗戦後はGHQにゴマをすって
日本国憲法を信奉して結構な公職にありついた輩が多いことだ。
これらは、戦前は薩長閥政府に取り入り、
戦後はGHQに取り入る出世主義者という点では「戦後の保守」と同じである。
とはいえ、戦前、明治の教育を受けて育った日本人は、
神話に淵源する日本を知っていた。
しかし、GHQの教育で育った現在の日本人は知らない。ここが決定的に違う。

そこで現在、
猖獗を極める武漢ウイルスの世界的な流行の後の世界情勢と、
その時の我が国を取り巻く内外の情勢を見通せば、
それは、まことに厳しく、
我が国を含む諸民族の抗争と存亡をかけた衝突は必至である。
従って、今こそ、我ら日本国民は、
命に代えても守らねばならない日本を明確に実感した者でなければならない。
これが、「戦後の保守」でもなく「近代の保守」でもない
「真の保守」である。
「真の保守」とは現実の真っ只中において、
天照大御神の天壌無窮の神勅による民族の起源と歴史と伝統と記憶、
即ち、
天照大御神と天皇と神話、
つまり、民族生命の根源を自覚しつつ生きる者のことである。
従って、
過去は過ぎ去った日付のところにあるのではなく現在の我々と共にある。
従って、我が日本は、
ナポレオン法典が書かれた十九世紀から西洋で流行って世界に拡がった
紙に文章を書いて「憲法」とする「成文法主義」の国ではなく、
歴史と伝統と神話の中に「憲法(國體)」があるとする「不文法主義」の国である。
つまり、
日本とは、一体「如何なる国」かを確認しようとするとき、
「成文法」の条文を確かめて確認できる国ではなく、
大日本帝国憲法の起草者である井上毅が、
ドイツとフランス留学から帰国してから、
古事記、日本書紀、万葉集などの古典の探究に没頭したように、
古典と神話と伝承に接して分かる国なのだ。
以上を確認した上で、これから、
我が国に迫る現在の情勢を概観し、それを克服する為に、
我らが、明確に意識しなければならない我が国の國體を語ろうと思う。


昨年の末に、
中国武漢に発源したコロナウイルス・COVID-19(以下、武漢ウイルスと呼ぶ)が、
世界に蔓延して感染した諸国の人々(人類)を苦しめ重傷者を死に至らせている。
これは、戦争である。
つまり、「戦争であるようで戦争でない、戦争でないようで戦争である」、
即ち「Other Than War(OTW)」だ。
よって、本稿で、敵識別の明確性を期して武漢ウイルスと呼ぶのだ。
何故なら、WHO(国連保険機構)命名のコロナウイルス・COVID-19などのように発源地、素性を隠したかのような名前にしているから、
中国共産党(以下、中共という)が、
「このウイルスはアメリカが撒いた」という大嘘を、臆面もなく言えたからだ。

まず、世界の主要国が、細菌戦の研究をしていることは常識であるところ、
中共自身が、この武漢ウイルスが、武漢における細菌戦研究施設のなかの実験過程で出現したウイルスであることを暗に認めている。
当初、中共は、「このウイルスは人には感染しない」と言っていたし、
最初にこの新型ウイルスの蔓延に気付いて警告を発した武漢の眼科医を、
中共は拘束して言論を封じていた。
これを、「語るに落ちる」という。
つまり、武漢ウイルスは、実験動物のなかにあるウイルスであることを中共は、当初から知っていたということだ。
そして、中共が、当初、このウイルスの発生源として放映していた少々汚らしい武漢の市場は、細菌戦研究施設が、使用済みの実験動物を業者に売り渡し、その業者がどう言う動物か分からん実験動物の肉をこともあろうに食用として卸していた市場だと言われている。
その肉を低収入の人々が買って食べ、ウイルスが人間に入ったということだ。
次に、武漢ウイルスが世界中の人々に感染してから、
中共は、「このウイルスはアメリカが武漢に持ち込んだ」と言った。
これも、語るに落ちたことだ。
中共は、というより中国人は、己がする悪事や残虐行為を
相手がしたと平然と言って相手を悪者にするパターンを繰り返す。
良民をなぶり殺して腹を裂き、その内臓を取り出して喰うなどの行為は、
歴史上、中国人がしてきたことであって、日本人がするはずがない。
しかし、中国人は、それを二十世紀の日本兵がしたと日本に汚名を着せてきたではないか。
中国歴代王朝の興亡の歴史は、
易姓革命によって、旧王朝を武力で倒して新王朝が誕生するという繰り返しである。
この易姓革命の際、時に、南京をはじめとする各主要都市で、住民の徹底的殺戮が行われた。
こういう動乱において、
都市で中国人が中国人を大量殺戮してきたという歴史を踏まえて、中共は、
昭和十二年十二月、日本軍が南京で三十万人の中国人を虐殺したという嘘を
執拗に繰り返している。
これ、加害者が被害者に転換する中共と中国人特有のトリックだ。
既に記したように、このトリックを使い難くするために、
武漢ウイルスもしくはシナウイルスと言うのが適切だ。
さらに私は、中共の、
「このウイルスはアメリカが武漢に持ち込んだ」という発言を聞いて、
反射的に、この中国人の自分がしたことを相手がしたことにする性癖を想起し、
中共はアメリカのニューヨークにウイルスを撒いたのか、
アメリカの空母セオドア・ルーズベルトの乗組員に接触して
空母船内にウイルスを入れたのかと思った次第だ。

明らかに中共は、武漢ウイルス感染拡大によって、
アメリカの経済力と軍事力が落ちることを狙っているからだ。
中共は、アメリカの空母を無力化する為には、
ミサイルや原子力潜水艦よりもウイルスが有効だと学んだ。
つまり、現在の事態は、
中共による「ウイルス戦の実証研究」という見方も出来る。
さらに、中共は、「放火犯が消防士になる」ことを始めた。
つまり、中共は、武漢ウイルスの鎮圧に成功したことをアピールし、
イタリアやスペインという感染者が増大している諸国に医療援助を始め、
現在百二十七カ国にマスク、防御服や検査キットを配布していると報道されている。
つまり、中共は、
医療先進国であり世界をウイルス禍から救う救世主であるという役割を演じ始めた。
しかし、この医療援助は、イタリアやスペインをはじめとする国際社会に勢力を伸ばすための方便、演技である。アメリカがニューヨークなどにおいてウイルス禍で苦闘している虚を突いて、中共は世界に影響力を伸ばし優位な地位を築こうとしている。
そもそも中共が長年にわたって国連の世界保健機構(WHO)に食い込み
手懐けたエチオピア出身のテドロスという男をWHOの事務局長にしているのは、
この度のような、細菌戦実習における自己の立場を有利にするための、
したたかな事前工作であろう。
しかし、中共は本当に武漢ウイルスの鎮圧に成功したのか疑問だ。
毛沢東を信奉する習近平中共主席は、
毛沢東が大躍進政策の成功を自画自賛するなかで、
五千万人の農民が餓死したことを隠し通したことを知っている。
また中共は、文化大革命で二千万人が殺戮されたことも、
天安門事件で何万人が殺戮されたことも封印してきた独裁権力である。
中共のウイルス鎮圧成功を信じるのは無理だ。

さらに、この中共は、
世界各国が武漢ウイルスの対策に忙殺されているこの時にも、
ロシアのプーチン大統領と連携して、北と南から我が国に軍事的攻勢をかけている。
中共は、尖閣を奪い、それを橋頭堡としてミサイル基地と港湾施設を造り、
西の台湾と東の沖縄本島を占領して
我が国のシーレーンを扼して我が国を掌中に入れるという軍事的野望を
一貫して実現しようとしていることを決して忘れてはならない。
しかし、結末を指摘しておく。
中共は、支那の昔に滅び去った王朝の先人が
「国、大と雖も、戦を好めば必ず滅びる」
と言った通りになる。
即ち、中共の習近平独裁体制の内実は脆く、必ず崩壊する。
そして、中華人民共和国は、必ず滅びる。

平成二十九年六月に、百三歳で亡くなった
元関東軍奉天特務機関情報将校門脇朝秀氏は、
支那、朝鮮そして台湾を知り尽くした隠者の如き真の勇者であった。
終戦直後、大連にいた門脇氏は、
奉天に二十五万人の邦人がソ連軍によって移動の自由を奪われ、
このままでは野垂れ死にするほかないことを知った。
その時、門脇氏は、身の危険を顧みず、
単身、大連から奉天に引き返してアメリカ軍事務所を訪れ、
アメリカ軍トップに、無辜の邦人の帰国の便宜を計ることを要請し、
二十五万人の日本国民の日本帰国を実現した。
しかし、この義挙実現のため、如何なる手を使ったのか、
特務機関将校らしく一切語らず、またこの功績を人に話すこともなかった。
この門脇翁の百歳前後の晩年に、
毎年一度か二度の割で、共に台湾を訪れて高砂族の旧知の酋長を訪ね回ったとき、
翁の人脈の深さに驚嘆するとともに、
戦後奪われた日本の歴史を回復した思いになった。
何故なら、門脇氏が訪れた高砂族の人々は、
皆、戦後の日本人ではなく、戦前のままの真の日本人だったからだ。
特に高砂義勇軍に参加した老兵士達は、
翁を上官として接し、考え方も態度も日本軍兵士のままだった。
インドネシア東端のモロタイ島に出征した九十歳代半ばの老兵士は、
昭和四十三年末に、モロタイ島から帰還した高砂族の兵士中村輝夫(台湾名ス二ヨン)の
上官で同じ村の出身だった。
彼と、同じテーブルで食事をしたとき、
帰還してきた中村輝夫に会ったかと尋ねると、
「会わない」とキッパリ答え、
次に「脱走兵とは会わない」と言った。
そして、中村を歩哨に立てていた地点に交替の歩哨を連れて行くと、
中村が向こうの峰の方に逃げていくのが見えたと説明した。
凄味のある話し方だった。
高砂族は夜目が効くと聞いていた。その彼の様子を見ていて、
小柄で九十歳を越えているが、夜、ジャングルでこの人に出くわせば、
確実に殺されるだろうという恐怖を感じた。
宴が進んだとき、彼は「海ゆかば」を歌った。

門脇翁が帰天される数日前、我らに次のように言われた。
「私は予測するだけで見られないが、
君たちは中国共産党独裁政権が崩壊するのを必ず見ることができる」と。
隠れた類いなき方の最後の言葉なので、ここでご紹介しておく。
そう、我らは、生きて、
人類史上、希に見るおぞましい中国共産党独裁政権の崩壊を見なければならない。
そもそも史上、「中国」という国はなく、
旧王朝が異民族の新王朝に打倒されて次々と王朝が交代していくのが支那の歴史だ。
その交代の仕方は、武力で異民族を根絶やしにする殺戮を伴う。
中国共産党も殺戮によって独裁政権を樹立し、そして維持し、混乱と殺戮の中で崩壊する。その易姓革命、つまり王朝滅亡の切っ掛けは、昔から言われてきたように、
水害、旱魃、大疫そして蝗害だ。
今、大疫(武漢ウイルス)に加え蝗が中共に迫っているという。

以上が、我が国の海を隔てた西の大陸にある中共の現在のおぞましい状況である。
問題は、この中共の断末魔の混乱と朝鮮半島に距離をおいて巻き込まれないこと、
これが死活的に重要である。
その為に、まず、現在進行中の人類の歴史においても「画期的」な、
「武漢ウイルスの世界への蔓延」という大事件が、
今後の世界史をどう変えてゆくのかを見通した上で、
我々は、我が日本の主体性を確立するために奮起しなければならない。
この主体性の確立が出来なければ、
我が国の歴史は、茲に終わるからだ。
言い換えれば、我々が、
我が国の戦後体制を構築している「日本国憲法体制」から脱却し、
太古からの我が国本来の姿を取り戻さなければ、我が国は滅びる。
何故、「太古から」なのか。
それは、我が国は、太古から一貫して天皇を戴く日本であるからだ。
我々が、生まれ育った「戦後」が日本ではないのだ。
従って、我らがこれから為すべきことは、
「無国籍な戦後の成功者」をまねることではなく、
江戸時代末期に生まれた先人達が、幕末維新から日清日露戦役を乗り切るに匹敵する
「救国の実践」である。これ、我らに出来ないはずはない。

そこで、まず、ソビエトと中国共産党が出現した二十世紀を概観し、
武漢ウイルスの世界への蔓延により、世界史はどう変わるのかを探り、
そのうえで、我が日本とは何かを確認したい。
十九世紀に一神教世界で生まれた共産主義と、それを地球に拡大するためのインターナショナリズムは、二十世紀前半の第一次世界大戦途中の一九一七年にソビエトを誕生させ、
次の第二次世界大戦を切っ掛けにして、
ソビエトの西の東ヨーロッパに共産主義衛星国家群が誕生し、
東方に一九四九年、中華人民共和国が誕生した。
従って、第二次世界大戦の勝者は、
ソビエトのスターリンとコミンテルン(国際共産主義運動組織)である。
そして、もう一国、即ち我が日本だ。
何故なら、我が日本が、戦闘で敗れたりとはいえ、大東亜戦争開戦にあたり、
アジアの諸民族と世界に対し「帝国政府声明」によって掲げた
「アジアを欧米の植民地支配から解放する」という戦争目的は、達成されたからだ。
その第二次世界大戦後、世界はアメリカを中心とする西側陣営とソビエトを中心とする共産主義東側陣営との「冷戦」に入るが、
誕生から七十二年後の一九八九年、ソビエトは崩壊し、
東欧の共産主義衛星国家群も崩壊した。
そして、冷戦は終結しインターナショナリズムは終焉する。
そして今度は、イデオロギーに基づくインターナショナリズムに変わって
イデオロギーのない利益を求めて国境を越えるグローバリゼーションの世界に入る。
そして、このグローバリゼーションの世界で急成長をしたのが中共だ。
中共ほど、グローバリゼーションの恩恵を受けたものはない。
とはいえ、ここで注意しなければならないのは、
インターナショナリズム、共産主義運動は終わっても、
共産党及びコミンテルンでエリートコースに乗った者は活躍中で、
こういう指導者を最も注意しなければならないということだ。
昭和二十年から十一年間ソ連に抑留されロシア人とその共産党を知り尽くした
内村剛介北海道大学教授は、
「無理難題に処してたじろがず、手段を選ばない者が共産主義的エリートコースに乗る。
彼等は何ものの前でもたじろがないから、当然、親友を裏切ることなど屁とも思わない。」と記している(同氏著「ロシア無頼」)。
この内村氏が言う共産党エリートコース出身者が、
現在のロシアのプーチンと中共の習近平である。
そして、我が国の総理は、こともあろうに、
この「人を裏切ることなど屁とも思わない」共産党エリート二人を信頼し、
プーチンをウラジーミルと呼び、
この春に習近平を我が国に国賓で招待しようとしていた。
また、我が国に於いても、
戦後体制真っ只中の時に、コミンテルンで育った者をちやほやした痛恨の時代があった。
我が国においては、
安保闘争の昭和の三十五年から四十年代がコミンテルンの全盛の時代だった。
その時代に大学にいてコミンテルンで育ったのが、菅直人で、
ぼんぼんながら影響を受けたのが鳩山由紀夫だ。
そして、日本人は、この二人を総理大臣にしてしまった。

さて、中共という「国」の構造は、
近世、十九世紀以前からの植民地支配で冨を蓄えた欧州諸国の国家構造とよく似ている。
その時、欧州諸国は南の暗黒大陸と言われた広大なアフリカ大陸を総て植民地として支配して、植民地から収奪した冨で繁栄していたのだ。
そして、現在の中共は、
この十九世紀の繁栄する欧州と南の植民地の暗黒大陸アフリカが一つになったような国なのだ。即ち、正確な計数は不能ながら、中共には十四億の人民がおり、彼等を約七千万人の共産党員が支配し、その共産党員を七名の政治局常務委員と主席が支配している。
この十四億の人民が欧州の植民地の「暗黒大陸」で
共産党員と政治局常務委員が「欧州諸国」である。
グローバリゼーションの風潮のなかにおいて中共は、
暗黒大陸の安い労働力を動員して安価な製品を世界に供給することによってGDP(国内総生産)世界第二位の国にのし上がった。
つまり、中共に膨大な利益を与えたグローバリゼーションとは、
中共が世界に「失業を輸出」できることであった。
これがトランプ政権になって始まった米中貿易戦争の原因である。
つまり、トランプ政権は、アメリカに失業が増え続け、
同時に貿易赤字で中共に冨が吸い取られることを拒否し始めたのだ。
その上、十九世紀がそうであったように、
暗黒大陸は何時までも暗黒ではない。そうなれば、中共は世界に失業を輸出できなくなる。アフリカには、独立国家群が誕生したが、中共の国内の「暗黒大陸」は、どうなる。
アフリカのように、独立国家群が誕生するならば大内乱で中共滅亡だ。
政治局常務委員と共産党員が、冨を暗黒大陸に分配できればいいが、
しないのが「シナの王朝」なのだ。
現在、中共の国内の人民の貧富の格差は危機的状態にある。
よって、中共は、ほっといても、何れ分解する。

そこで、この度の武漢ウイルス禍は、世界に何をもたらすのか。
それは、グローバリゼーションの終焉である。
この人類への大事件で、世界各国は、武漢ウイルスから自国民を守るのは
国家主権の発動による国境封鎖であると改めて確認したのだ。
何故、このように急速に武漢ウイルスが
中共から自国に持ち込まれ、自国民に、続々と死亡者がでているのか。
その原因は、中共が、武漢ウイルスを隠蔽し、
さらに、このウイルスは人には感染しないと言い訳をしている間に、中
国人が自由に自国に入国を続けていたからではないのか。
このグローバリゼーションの恐ろしさを世界各国は知ったということだ。
他方、グローバリゼーションのありがたさを知っていたのは中共首脳で、
特にアメリカのトランプ大統領が、一月末に、中国人の入国を全面的に禁止したとき、
中共は、ボーッと国境を開け続けている日本の安倍内閣を横目で見て「よい子」だと褒めるかの如く、アメリカのトランプ政権を非難した。
中共は、本能的に、アメリカが国境を閉ざすことが自国に冨をもたらす仕掛けである
グローバリゼーションの終焉に繋がると感じたのだと思う。
しかし、
十八年前の広東省を発源とするSARS(重症急性呼吸器症候群)の蔓延に際し、
中共の言うこと(ウソ)を信用して国内で多くの死亡者を出した経験を生かして、
この度の武漢ウイルスでは、当初から中共の言い分(ウソ)を一切信じなかった
台湾副総統の防疫学博士陳建仁氏が、
現在、中共のすぐ近くにもかかわらず、台湾国内の感染者を人口二千万人のなかで三百三十九人に抑えることに成功している例とアメリカの現状を見れば、
アメリカのトランプ政権の一月末の国境封鎖も遅かったのである。
では、我が日本の安倍内閣は、その時、どうしていたのか。
我が法務省は、二月二十七日、中国本土からの入国者は直近の一週間では、一日あたり一千人を下回ったと報告した(衆議院予算委員会)。
と、いうことは、これ以前は入国者が一日千人を超えていたのだ。
しかもこの時、中共は
日本からの入国者に感染チェックをして拘束期間を設けていたが、
日本側は中国からの入国者にそんなことはしていない。
では何故、中共は、日本からの入国者に感染チェックをしていたのか。
その理由は、日本国内に中国人が大量に入国を続けていたから
日本国内にウイルスがうようよあると判断したからである。
開いた口が塞がらないではないか。
中共は、日本(安倍内閣)はアホかとほくそ笑んだであろう。
事実、アホだった。無念である。
現在(四月中旬)、我が国の感染者が、欧米より格段い少ないのは、
国民の清潔な習慣と生活態度と不法移民がいないこと、そして僥倖だ。
以上の状況のなかで、
現在、中共は武漢の都市封鎖解除の情景を大々的に世界に流し、
世界の百二十七カ国に医療援助を始めて、
習近平主席は、武漢ウイルスの感染によるアメリカの国力と軍事力の低下を見越し、
早晩、中共こそアメリカを凌ぐ超大国として世界に君臨すると
夢想しているかの如くである。
習近平は、去年、二〇四九年の中共建国百周年には、
中華民族が世界を主導すると演説していた男なのだ。
しかし、中共の経済を上昇させてきた要因は、
天に向かって唾を吐くように、自らの武漢ウイルスが消しつつある。

さて、ここでいよいよ、
我が国の国家存亡をかけた国策は如何にあるべきかを見極める時が来た。
振り返れば、我が国家存続の歴史は、地理的要因からして
シナの歴代王朝に対する主体性の確立、独立自尊の自覚の歴史であった。
まず我が国の、大陸の王朝に対する態度を振り返れば、
古くは、西暦六〇七年の聖徳太子による隋の煬帝に対する「日出処の天子書を日没する処の天子に致す」との対等の国書の伝達、
そして八九四年の菅原道真による遣唐使廃止の決断。
次に、鎌倉幕府執権北条時宗は蒙古・元の使者を斬る。
そして、豊臣秀吉が、「爾を日本の王とする」という明の国書を怒って破り捨てた。
これらは、國體の自覚から導かれる
シナ文明とは異なる日本文明の一貫した姿勢が顕れた事例である。
この中で、菅原道真の遣唐使廃止は、唐末期の大陸の凄まじい混乱と、
日本人が間近に見た支那人の行状を見て(多分、今と同じ行状であろう)、
後世の福沢諭吉の「脱亜論」と同様に、
「このような相手は、共に歩める相手ではない」とシナを見限る絶妙の決断だった。
そうでなかったら、
おぞましく忌まわしいあの自ら男根を切断した「宦官」が、我が政界と官僚組織のなかで
出世する日本になっていたかも知れないではないか。
また、國體の自覚の国内的表明という観点から観るならば、
七六九年の、皇位に就こうとする道鏡を掃討し排除することを命じた
「宇佐八幡の神託」には、冒頭「我が国開闢以来君臣の分定まれり」とある。
また、その約六百年後、南北朝期の一三三九年に書かれたと言われる
北畠親房の歴史書「神皇正統記」の冒頭は
「大日本は神国なり、天祖始めて基を開き、日の神長く統を伝え給う、
我が国こそこのことあり、異朝にはこの類なし、よって神国というなり」とある。
そして、さらに約六百年後の「大日本帝国憲法」第一条は
「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」とある。
これ等は、約六百年ごとに発せられた日本民族の一貫した國體の自覚文書ではないか。
では、昭和二十一年に書かれ翌二十二年五月三日に施行された
「日本国憲法」と題する文書第一条
「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する国民の総意に基づく」とは何か。
はっきり、これは、ウソだ。
天皇は、宇佐八幡の神託にいう「我が国開闢以来」
即ち「天照大御神の天壌無窮の神勅」に基づいて天皇なのであって、
我が国が連合国に降伏してその統治下に入った
昭和二十年九月二日からこの文書が書かれる昭和二十一年二月までの間に、
国民投票によって天皇になったのではない。
第一、この文書を書いたのはアメリカ人で日本人ではない。
以上、これからの、まことに厳しい内外の情勢の中で、
我が国が誇りをもって存続するための決定的な前提要件は、
「戦後体制」つまり「日本国憲法体制」からの脱却なのであるから
キッパリと記しておく。

そもそも、日本人とは何か。
夫れ、日本人とは、
「国家開闢以来、天照大御神の天壌無窮の神勅よる天皇を戴いてきた民族である」
と言い切る者のことではないのか。

フランスの社会人類学者で民族学や神話学を修めた
クロード・レビ=ストロース(一九〇八年~二〇〇九年)は、
日本について次のように書いた。

「日本的特殊性なるものがあり、それは根源からしてあったのだ。
そしてそれが外部からの諸要素を精錬して、常に独創的な何物かを創りあげてきた。
我々西洋人にとっては、神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、
誰もが歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にあるのだ。」

また、ド・ゴール研究所初代所長のオリビエ・ジェルマントマ(一九四三年~)は、
平成二十五年の伊勢神宮の式年遷宮を目の当たりに見て、
フランスの「フィガロ紙」に「伊勢の聖夜」と題する次の一文を書いている。

「闇と沈黙のなか、女神アマテラスを聖櫃に奉じ、
これに生絹を掛けて神官の群れが粛々と運んでゆく。
生きとし生けるものの起源そのもののシンボルが、いま、眼前を通りすぎてゆく・・・
この景観に、われらの小我の殻など、微塵に吹っ飛んでしまう。
一月以来、すでに伊勢神宮参詣者は一千万人に達したという。さらに増加の一途をたどるとか。東日本大震災により、抑えがたき自然の猛威にさらされて、どこから己を取り戻すか、日本人が自覚していることの何よりも証拠である。
森羅万象の諸力を崇敬するという伝統維持であり、
そこに、日本的ジェニー(天才)はあるのだ。」

この二人のフランス人の方が、
戦後の日本人より、「日本を観た」、と思われないか。
この二人のフランス人も、
アメリカ人が占領中に書いた「日本国憲法」という文書が、日本の憲法として有効だということに疑念を持たずに、それを「改正」すれば済むと考えることは、
「戦後体制の擁護」つまり「敗戦体制の擁護」または「敗戦利得者のすること」
であって、日本の真の保守とは判断しないであろう。
そもそも、無効なものを「改正」してどうなる。

そこで、本稿を締めくくるに当たり、
我が国の天皇が、
この度の人類史を変える事件である武漢ウイルス禍が襲う遙か以前から、
「天皇の知らす国」である日本の統治者として、
何をされていたのかを記したい。
「知らす」とは、古代大和ことばで、
支配するのではなく他者と溶け合って一体となること、家族のようになることを意味する。
支配することは古代大和ことばで、「うしはく」と言った。
出雲の「国譲りの神話」は、
天照大御神の使者が出雲の海岸に上がり、大国主神に、
あなたの「うしはく葦原の中つ国」は、
我が御子の「知らす国」だと
天照大御神がおっしゃっておられるのですが、
あなたのお考えはいかがですか、
と尋ねると、
大国主神がそれに応じ、自分の支配する国の民を、
天皇と家族のように一体になる国の民にした高貴な物語で、
戦国時代の国盗り物語とは天地違う。
それ故、上皇后陛下は、
出雲大社に参られた際、
「国譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びて止まず」
と詠まれたのだ。
このように、「天皇の知らす国」とは
天皇と国民が一つの家族のようになっている「日本の国」のことで、
これは太古から現在まで不変で一貫している。
萬葉集第一巻冒頭の歌は、
春の野で野草を摘んでいる乙女に求愛される雄略天皇の御製であるが、
その冒頭の説明は、
「泊瀨朝倉の宮に天の下知らしめしし天皇(すめらみこと)の代(みよ)」とある。
そして、この万葉集から遙か後の現在の東日本大震災の時、
被災地を巡り、被災した人々を、
我が家族のように、一人一人、励まし慰めておられた
天皇陛下のお姿こそ、万葉の昔と変わらない「天皇の知らす国」のお姿である。
あの時、総理大臣菅直人は官邸と東電本社で喚いていただけで、
統治者ではなかったのである。
我が国を統治されていたのは、
即ち、知らされていたのは天皇陛下であった。
「大日本帝国憲法」の実質的起草者である井上毅は、
フランスとドイツに学び、帰国後は、古事記、日本書紀、万葉集などの古典研究に没頭し、
第一条を「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」と書いたが、
この「統治す」は「知らす」という意味であり、権力で支配するという意味ではない。
さて、昨年春、先帝は譲位され新帝が践祚された。
そして、昨年晩秋、新帝は大嘗祭に臨まれた。
大嘗祭は皇居の中に大嘗宮の悠紀殿と主基殿を建て、
そこに天皇がお一人で夜に籠もられる。誰も同席することはできない。
天皇はそこで、天照大御神の食されるお膳を自ら作られ、御自分のお膳も作られ、
天照大御神と共に食事をされる。
そして、徳島県吉野川上流域の畑で大嘗祭が執り行われる時のみ栽培される大麻で編んだ麁服(あらたえ)という織物を身体に巻いて、
天照大御神と同じ床で明け方までおやすみになる。
その時、天照大御神が降りてこられ天皇と一体になられる。
即ち、天皇は「現人神」になられる。
これが宮中祭祀のなかで最重要な儀式である大嘗祭だ。
よって、ここに、
万世一系の意味が明らかになる。
これは、天壌無窮の神勅を下した天照大御神が
初代の神武天皇から百二十六代の今上陛下まで生き通しているということだ。
次に、大嘗祭の後の令和二年の元旦、皇居で四方拝が行われた。
この四方拝も宮中祭祀の最重要の儀式である。
それ故、昭和天皇は、
昭和二十年一月一日午前五時、都内の各所から空襲警報が鳴り響き、
皇居内の高射砲陣地からサーチライトの光が空を照射するなかでも四方拝をされた。
四方拝は、元旦、寅の刻(午前四時ころ)から
黄櫖染御袍(こうろぜんごほう)に身を包まれた天皇が、
宮中三殿の神嘉殿の南側に設けられた建物にお一人で入られて行われる。
これは、遙か昔からの皇祖相伝の儀式(秘儀)であり、
侍従も見ることはできない(藤田尚徳著「侍従長の回想」)。
天皇は、伊勢の皇大神宮、豊受大神宮の両宮に向かって礼拝された後、
四方の諸神を拝し、そして、呪文を唱えられる。
その呪文は、
「総ての災厄などの悪いものは、皆、ことごとく我が身を通れ、我はそれを浄化したい」
という決意を表明した呪文である。
この呪文は、天皇御自身でなければ唱えられず、御代拝は認められない。
呪文は、次の通りと教えられている。

呪文
賊冠之中過度我身(ぞくかん しちゅう かどがしん)
毒魔之中過度我身(どくま しちゅう かどがしん)
毒気之中過度我身(どくき しちゅう かどがしん)
毀厄之中過度我身(きやく しちゅう かどがしん)
五急六害之中過度我身(ごきゅうろくがい しちゅう かどがしん)
五兵六舌之中過度我身(ごきゅうろくぜつ しちゅう かどがしん)
厭魅之中過度我身(えんみ しちゅう かどがしん)
萬病除癒(まんびょうじょゆ)
所欲随心(しょよくずいしん)
急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)

我が国は、
すべての悪いものは、皆、我が身を通れ(過度我身)、
我がそれを浄化したいと願う
天皇を戴く家族の国なのだ。
とはいえ、諸兄姉、
早朝の暗闇の中で、一人、この世の総ての悪いことは
皆自分の中を通れと唱えられますか。
身の毛がよだつではないか。
自分が生んだ幼児の為なら、母はそれをすると思うが、
天皇は、全国民の為に、
総ての悪いことは、皆我が身を通れ、我がそれを浄化すると誓われる。
とてつもない御存在ではないか。
このような元首を戴く国が他にあろうか!
ありがたさ、心にしみる!

さて、現在進行中の武漢ウイルス禍との戦い、
さらに、それが済んだ後の我が国を取り巻く内外の情勢は、
一段と厳しさを増してくると思われる。
その時、我らは、
我が国は大嘗祭と四方拝を行われた天皇の知らす国であるという
我が國體を忘れることなく、
自信と誇りを以て立ち向かおうではないか。
この國體への確信を堅持すれば、
最重要作業である
「教育の再興と不可分一体の国軍の創設」も、
掌中に入れたようなものである。
我が国の真の憲法とはこの國體なのであるから、
危機において國體が明らかになれば危機を克服できるのだ。
その例を挙げて本稿を閉じる。

平成五年七月十二日の真夜中午後十時二十七分の
奥尻島を襲った北海道南西沖地震は、
一年半後の激烈な阪神淡路大震災の影に隠れるように目立たないが、
奥尻島北方沖を震源地とする推定震度六の激震であった。
その数分後、
真っ暗な海から波の高さ二十九メートルの未曾有の津波が奥尻島を襲い、
島の北部の集落はほぼ潰滅し、津波を免れた集落には火災が襲った。
そして、死者と行方不明者は二百三十名となった。
人口4千余名の島で二百三十名が一瞬のうちにいなくなったのだ。
島民にとって、突然の信じられない大災害だった。
それ故、地震後、一週間ほど、
人々は呆然と瓦礫のなかに座り込んだまま無気力に海を眺めるままだった。
そこへ、天皇皇后両陛下が、
島に慰霊と激励に来られるとの報が入った。
すると、今まで呆然と座っていた年寄りの目の色が変わった。
彼等は、立ち上がり、
いそいそと道のゴミの処理し、潰れた家の前の後片付けを始めたのだ。
そして、天皇皇后両陛下に励まされた島民は、
一団となって復興モードに入っていった。
警察官僚出身で危機管理の専門家だった佐々淳行氏は、
この様子を驚きと目を見張る思いで見た。そして、
天皇の御稜威の凄さ、
天皇の底知れぬ力を感じたと報告している。

平成二十三年三月十一日に発災した東日本大震災の際、
昔の人が、「馬鹿な大将敵より怖い」と言ったとおり、総理大臣は最悪だった。
しかし、被災地で秩序を維持し譲り合い助け合う日本国民の姿は、
世界を驚嘆させた。
自衛隊は、敵より怖い馬鹿な大将の指示などを待たず、直ちに出動して
陸海空あわせて空前の十万七千の「被災者救出救援特別任務部隊」を編成し、
寝食を忘れて任務に突入して、
全生存救出数の七割の一万九千二百八十六名を救出した。
この時、
天皇陛下は皇后陛下と共に度々被災地の人々を見舞われ激励され、
また「お言葉」を発せられて、被災地の国民に対し
「この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれます」
と激励され、
さらに、自衛隊を筆頭に挙げられながら、
「余震の続く危険な状況のなかで、
日夜、救援活動を進めている努力に感謝し、
その労を深くねぎらいます」
と告げられたのだ。
天皇陛下が自衛隊を筆頭に挙げて感謝され労を深くねぎらわれたのだ。
そして、自衛隊の十万七千の特別任務部隊の指揮官である
君塚栄治東部方面総監、陸将は、
松島基地に被災地激励の為に自衛隊機で到着された
天皇陛下に、
鉄兜と野戦服の姿で正対して敬礼した。
この時、君塚陸将に指揮されている十万七千の自衛隊は、
天皇の知らす国の天皇の軍隊であった。
木更津に駐屯する陸上自衛隊「第一ヘリコプター団(金丸章彦団長)」の
二機の大型ヘリCH47が、三月十七日早朝、
福島第一原発の水素爆発で上部が吹っ飛んだ灼熱の原子炉建屋の上空にホバリングして、
合計四回約三十トンの放水を実施しようとする時、
その計画を知ったアメリカ軍将官は、
「人の命を何とも思わないような作戦はするな」と言った。
さらに放水後、中共軍の将官が、
「日本人は戦前と戦後、ちっとも変わらない。簡単に命をかけてくる。
日本に核ミサイルの照準を当てて発射準備をすれば、
日本人は確実に飛行機に爆弾を満載してミサイルに突っ込んでくるだろう」と言った。
また、多くの人が、
絶望的な状況の中で、逃げ遅れた人々を救うために、
あの真っ黒い巨大な津波に向かって走ってゆくパトカーの姿を見ている。
以上は、
危機に際して顕れる日本人の姿である。

諸兄姉、
日本を信じよう、
楠木正成のように国の為に死んでも生きると信じよう。
明治天皇の日露戦争の際の御製を記して筆を擱く。
敷島の大和心のををしさはことある時そあらわれにける

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