大阪堺市出身!国家の安全保障や国益優先の信念を貫く行動派!

日本のこころを大切にする党 西村眞悟

  • 西村眞悟 Facebook
  • 西村眞悟 twitter
  • 西村眞悟 RSS
西村眞悟の時事通信
  • HOME
  • 西村眞悟の時事通信

令和の御代がマッカーサー憲法廃棄を促す。救国の改革は大日本帝国憲法への回帰だ

令和1年11月27日(水)

先帝の御譲位と新帝の践祚(せんそ)によって始まった我々の生きる令和元年は、
今、師走から令和二年の正月を迎えんとしている。
この間、
我が国に太古から伝えられてきた新帝の践祚に伴う
第百二十六代天皇の
「即位礼正殿の儀」や「大嘗祭」などの重要行事が次々と行われてきた。
そして、年末が迫る現在も、
天皇は、
天皇の祖である天照大御神を祀る伊勢神宮
そして奈良の橿原の
初代天皇である神武天皇御陵
さらに京都の
幕末の百二十一代孝明天皇御陵と
明治維新の百二十二代明治天皇御陵に参拝を続けられている。

この、我が国の「天皇である」ということを、
昔は(戦前は)、
「万世一系の皇祚を践(ふ)める大日本帝国天皇」
と表現していた。
そこで、令和元年が過ぎつつある今、
この「万世一系の皇祚を践める」とは如何なることかに注目し、
改めて我が国が「日本である根源」、
すなわち
「日本の根本規範」は何かを確認しておきたい。
そうすれば、
我々が、戦後教育において「憲法」として教えられてきた文書、
つまり昭和二十二年五月三日に施行された
「日本国憲法」(以下、マッカーサー憲法という)が、
実は我が国の根本規範である「憲法」ではなく、
その時に我が国を占領統治していたD・マッカーサーをトップとする
連合軍総司令部(GHQ)の「日本占領統治規則」に過ぎないことが分かるであろう。

今、我らが、
この我が国が
「日本である根源」を確認することは、
これからの日本の独立自尊の確保と誇りある日本の将来にとって
死活的に重要なことであると申したい。
哲学者の西田幾多郎は、
昭和天皇への御進講において、
「日本の改革とは復古であると存じます」
と申し上げた。
この西田博士の言葉を裏付けるように、
明治維新は「王政復古の大号令」によって始まっている。
この「大号令」は、
黒船来航(嘉永六年)以来明治維新までの十五年間を
「未曾有之国難」と位置づけた上で、
幕藩体制からの脱却を宣言し、
神武創業の古に還ることを以て新時代の幕を切って落としたのだ。
同様に、これから、
大陸の中国共産党独裁体制の暴発と崩壊という
「未曾有之国難」が始まる。
従って、現在、
戦後体制、即ち、日本国憲法体制からの脱却を宣言し、
神武創業の古に還った明治維新に回帰して
真の改革を成し遂げ、
この国難を克服しなければならない。
 
そもそも、我が国は、
初代の神武天皇の建国以来、
現在に至るまで、
百二十六代の天皇を戴く国であり、
現在の世界で唯一の「元号」をもつ国である。
従って、
天皇の存在は、
我が国が「如何なる国かを定める憲法」の中心に位置しなければならない。
このことを確認した上で、
この度の、
先帝の「御譲位」と新帝の「即位礼正殿の儀」と「大嘗祭」に注目して、
何が我が国の根本規範、即ち「憲法」であるのかを確認する必要がある。
 
先ず第一に、
この度の御代替わり、
すなわち第百二十六代の新帝の誕生と令和の御代の始まりは、
先帝の「譲位」によることを確認しなければならない。
このことは、平成二十八年八月八日に
先帝が全国民に対して発せられた「譲位」のご意思を告げるお言葉によって
全国民が明らかに知ったことだ。
「譲位」とは天皇のご意思に基づく皇位の皇太子への移譲のことである。
しかし、日本国政府は、
マッカーサー憲法に基づき、
この明白なる「譲位」のご意思を否定し、
天皇の意思ではなく内閣の決定に基づく「退位」としたのだ。
これは明らかに「事実の改竄」であり
姑息な「歴史の捏造」だ。
この度の践祚は、先帝のご意思に基づく。これが真実である。
よって、この先帝のご意思を無視して真実を捏造するマッカーサー憲法は、
我が国の憲法ではない。
 
次に、「即位礼正殿の儀」は、
天照大御神が天孫降臨する皇孫に授けた
「三種の神器」である剣と勾玉の「剣璽」をお手元においたうえで、
新帝が即位を内外に公表する儀式であるが、
この公表に先立って新帝は、
皇居内の天照大御神を祀る賢所に参拝して天照大御神に即位を報告し、
次に、皇霊殿と神殿に参られて、
神武天皇を始め総ての先代天皇の霊と日本の総ての神々に践祚の報告をされた。
明らかに、これら三つの儀式は一体不可分の一連の神事である。
しかるに、日本国政府は、
内外への公表である「即位礼正殿の儀」だけを国家の行事すなわち「国事行事」とし、
他の二つの儀式は、単なる天皇家の私事として処理した。
何故なら、マッカーサー憲法は、政教分離を定めているからだ。
しかし、
我が国の古代からの重要儀式は「即位礼正殿の儀」も含めて総て神事であり
このことに適切に対処できないものは我が国の憲法ではない。
 
最期に天皇の御代に一回だけ行われる最重要な「大嘗祭」について述べる。
この「大嘗祭」こそ、
我が国家誕生の最深の神秘を秘めたものだ。
大嘗祭において、
新帝は十一月十四日から十五日までの間に、
大嘗祭の為にだけ建てられ悠紀殿と主基殿に一人籠もられて、 (き)
天照大御神の為にお膳を作られ、
自らもお膳を作り、天照大御神とともに食事をされる。
そして、
徳島県吉野川上流の三木というお家で太古から栽培されてきた大麻で編んだ
麁服(あらたえ)という特別な織物を体に巻いて床にお休みになる。
すると深夜、天照大御神が降りてこられる。
即ち、
新帝は天照大御神とともに食事をされ
天照大御神と同じ床で休まれて天照大御神と一体になられる。
つまり、新帝は、神人一体、「現人神」になられる。
これが「大嘗祭」だ。
従って、我が国においては、
天皇とともに天照大御神も生きつづける。
即ち、万世一系の歴代天皇は天照大御神の生き通しなのだ。
この、神人一体、これが日本だ。
恐れ入ったか、マッカーサー、貴公には理解不能だろう。
従って、マッカーサー憲法は我が国の憲法ではない。
 
以上の通り、
我が国の天皇は、
欧米では一神教によって封殺され忘却の彼方に消去された
ギリシャやローマそしてゲルマンやケルトの多神教の世界を
現在に至るまで維持している日本文明の根源にある元首である。
天皇が天照大御神の子孫であるように、
ギリシャのミケーナイの王アガメムノーンは海神ポセイドンの子孫だ。
この神人一体の多神教に対して、
一神教では神と人は絶対的に隔絶している。
従って、一神教では、神の代理人である聖職者が存在し、
国王は神の代理人から王冠をもらい、
大統領は聖書に手を置いて神に誓う。
しかし、
我が国の天皇は、
他者から冠をもらい、他者に誓う必要はない。
大嘗祭を経て、
自らが民のために祈る天壌無窮の神勅を発した天照大御神と一体化した存在なのだ。

そのうえで、言っておく。
この天皇を、
こともあろうにマッカーサー憲法の枠に閉じ込めている現日本国政府とは、
未だマッカーサーとGHQの忠犬だ。
このマッカーサートGHQの忠犬が、
これからの国難に対処できようはずがないではないか。
よって、我らは、
迫りつつある国難を克服する為に、
マッカーサー憲法から脱却して、
明治維新によって神武創業の古に還った上で発せられた
「大日本帝国憲法」に還らねばならない。
これが真の改革であり、
救国の決断である。

新着記事

アーカイブ