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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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大東亜聖戦大碑の前で「日本国憲法」の無効を叫ぶ

令和1年8月6日(火)

草地貞吾先生は、陸軍士官学校三十九期、
明治三十七年五月に生まれ平成十三年十一月に九十七歳で亡くなられた。
先生は、昭和二十年八月十五日、
関東軍作戦参謀、帝国陸軍大佐として、満州で作戦行動停止の大陸令を受け、
同年九月六日、満州からソビエトに連行抑留され、
十一年後の同三十一年十二月二十六日に船で舞鶴に帰還された。
その時、舞鶴の祖国日本の土を踏んだ先生は、
声を張り上げて「天皇の國に帰る」歌八首を歌われた。
その冒頭の歌二首と最期の歌は次の通り。
  
  十有一年シベリアの  忍苦の皺を刻みたる
  今浦島は波分けて  夢寐に忘れぬ天皇の
  大和島根に着きにけり  大和島根に着きにけり

  千代に八千代に君が代を  亀も寿ぐ舞鶴の
  浜風清く雪晴れて  親潮寄する磯の香は
  母の乳にも似たるかな  母の乳にも似たるかな

  仰げば高し天の恩  俯すれば深し地の恵み
  昭々として和光満つ  天皇の國に帰り来て
  御稜威(みいつ)を永久(とは)に讃えなん  御稜威を永久に讃えなん

先生は、極寒のシベリアの収容所で、ソビエト当局に対して、
国際法上の戦時捕虜に対する待遇を要求して頑として大佐の階級章を剥がさず、
大日本帝国軍人としての存在を守り通された。
その為に、ソビエト当局から、
常人であれば気が狂い、生き延びることができない過酷な待遇を受けたが、
最期ま屈せずで耐え抜かれ、
他の多くの日本人被抑留者に、日本人の誇りと勇気を与え続けられた。
草地貞吾先生は、
私の最も尊敬する軍人のお一人である。
先日、訪れた奄美大島の笠利の民家の壁に、
その家の陸上自衛隊員になった息子に与えられた賞状が掛けられていた。
そこには、
「右の者に、銃剣道初段を授与する。全日本銃剣道連盟会長 草地貞吾」
と書かれていた。
その額を観たとき、奄美大島で草地先生に会えたような懐かしさを感じた。
次は、草地貞吾先生の辞世の歌
  大東亜 大みいくさは 万世の 歴史を照らす 鏡なりけり

さて、草地貞吾先生が石川県の「日本をまもる会」会長中田清康さんと出会われて、
憂国有志に呼びかけられて平成二十一年八月四日に建碑されたのが
石川県護国神社参道に建つ巨大な「大東亜聖戦大碑」である。
以後、毎年八月四日にはこの碑の前で「大東亜聖戦祭」が挙行されている。
本年、八月四日、念願かなって、
午前五時半に家を出発し午前十時半からの「大東亜聖戦祭」に参列できた。
その「大東亜聖戦祭」では、
参列者全員の国歌「君が代」斉唱と、戦没者への「黙祷」に続き、
神事があり、
宮司が、英霊にこの場に来ていただく降神の儀を行った。
そして、玉串奉奠をしたのだが、そのとき、
降りてきた英霊と、まさにともに、この場にいるような思いがしてきた。
それ故、
それから大東亜聖戦大碑護持会の田母神俊雄閣下の挨拶を聞き、
次に来賓の挨拶で「憲法改正の話」を聞いているうちに、
私自身が、英霊と共に聞いているような思いになったのだ。
英霊は、
この「憲法」と、
この憲法が有効な日本の「憲法」だと思っている我々を
どう見ているのだろうか、と。

するとその時、
二十歳の時にソ連にシベリアへ連行されて数年間重労働に使役された
今は亡き世話になったMさんが、
昭和二十三年の暮れに堺に帰ってきた時に受けた衝撃が思い浮かんだ。
彼は私に言った。

眞悟はん、堺に帰ってきたとき、街の様変わりした景色にも驚いたけど、
一番、うぁわー!と驚いたのは、
日本の若い女(パンパン)が、派手な洋服を着て
アメリカ兵の腕にしがみついて得意げに歩いているのを見たときやった。
これぞ、ボロボロの服を着た負けた兵隊の悲哀やで。情けなかったでぇ。

英霊は、國を守るため、つまり祖国が敵の支配を受けないために戦って没した。
しかし、今生きている我々は、
英霊が戦った敵が日本を支配しながら、
日本が二度と再び戦争ができないように書いた文書を、
自分たちの憲法だと思って扱っている!
これ、我々は、
お国が負けてから進駐してきた敵にしがみついて歩くパンパンと同じやないか!
英霊が、
敵が書いた文書を「憲法」だと思い込んでいる我らを見れば、
Mさんと同じ衝撃を受け、負けた兵隊と同じ悲哀を感じるではないか。

そう思っているときに、
私に挨拶をと司会者が促した。
そこで私は、壇に昇って言った。いや、怒鳴った。

大東亜聖戦大碑の前で、
そして、英霊の前で、
我らが、英霊が戦った大東亜戦争が、大義ある聖戦だと確認するならば、
我らは、敵が書いた「日本国憲法」と題する文書は、
我が国の「憲法」として無効だと確認すべきである。
彼らは(毛唐は)、
「日本国憲法」と題する文書の冒頭に、
「日本国民は、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意した」と書いた。
その上で、日本国民は自国の政府ではなく、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と平和を保持しようと決意した」と続ける。
さらに彼らは、我が国の「交戦権はこれを認めない」と書いているのだ。
独立国として、これほどの屈辱的文章があろうか。
だから論者は、
この「憲法」を改正するというが、無効なものを改正してどうする?
第一、改正など間に合わん。
危機、国難は、突然襲ってくるのだ。
従って、万策尽きた後の最期の一手として、
「憲法無効の確信」を保持すべきである。
「憲法無効論」は、救国の戦略なのだ。
我らは、毎年、
この「大東亜政戦大碑」の前で、
「日本国憲法」の無効を確認しようではないか。

それから、「大東亜聖戦祭」は、参列者全員で、
「大東亜聖戦の歌」、「空の神兵」そして「海ゆかば」を歌い終了した。

私は、それから、砺波まで走り、
旧知の砺波市五郎丸の「長田神具店」店主に会って純米大吟醸をもらい、
そして、高岡市に行き、河川敷で行われる花火を絵描き友の案内で見た。
FBで記したように、
花火は、降りてきた英霊が漆黒の大夜空全体に輝いたような炎の交響詩だった。

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