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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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再び、日本国憲法の無効を宣言する

令和1年6月19日(水)

平成二十八年八月八日、天皇陛下(今の上皇陛下)は、
国民に対して譲位の御意思を表明された。
その御意思に沿って
同三十一年四月三十日の御譲位と
翌五月一日の皇太子徳仁親王(今上陛下)の践祚がなされ、
そして本年十一月十四日と十五日の大嘗祭によって、
今上陛下は天照大御神と一体となられる。
即ち、現人神(あらひとがみ)になられる。
 
この大嘗祭が歴代天皇の御代に一回行われてきたということは、
天皇家の祖である天照大御神の「天壌無窮の神勅」によって初代天皇となった神武天皇以来百二十五代の天皇は、総て天照大御神の「生き通し」であり、
今上陛下も天照大御神と一体となって百二十六代の天皇となられるということだ。
これが、「万世一系の皇祖を践む」ということである。
 
従って、天皇陛下は、平成三十一年四月に入り、京都の御所に滞在され、
まず初代天皇である神武天皇御陵に参拝され、
次に天皇家の祖である天照大御神を祀る伊勢神宮に参拝され、
さらに先帝の昭和天皇御陵に参拝されたうえで、
三十日の御譲位に臨まれている。
そして、その瞬間に即位された今上陛下は、
これから、天照大御神と一体となる大嘗祭に向かわれる。
以上が、
我々日本国民の眼前に顕れた我が国の歴史と伝統に基づく皇位継承である。
我が国の歴史と伝統とは、神話と不可分一体ということであり、
皇位継承は神事そのものなのだ。
 
これに対して、唯一絶対の超越神ゴッドを戴く一神教のキリスト教を国の宗教とする欧米においては、新しい国家元首の就任において、
例えばイギリスでは、
英国国教会の大司教が神の代理として新しい王に王冠を授与する。
また、アメリカにおいては、
新大統領は聖書に手を置いて神に向かって宣誓する。
このように、キリスト教世界では、
元首(人)が「神」から王冠を授けられ、あるいは、「神」に向かって宣誓する。
つまり
人から超越した「神」という他者から権威を授けられ他者に誓うのが欧米なのであるが、これに対して、
多神教の八百万の神々がいる我が日本では、
天皇は、
大嘗祭によって天照大御神と自他の区別がなくなり神と人が一体になる。
ここが、決定的に違う。
 
このように、この度の我が国の皇位継承において、
我が国が「日本であることの本質」が顕れている。
そして、同時に、現在の我が国の、
昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」を土台として作られた
「戦後体制の法体系」が、
如何に「日本であることの本質」から乖離したものであるかも明確に顕れた。
これは、即ち、「日本国憲法」とは、
日本人として生まれた日本国民が、日本の本質に目を閉ざした無国籍人として生きることを促す占領中の特異かつ架空の法体系であることが明確になったということである。
これが、この度の御譲位の、
重大な歴史的・文明論的意義である。
 
冒頭に記したように、
天皇陛下(上皇陛下)は、御自ら譲位の御意思を国民に表明され、
そのお言葉通り皇太子殿下(今上陛下)に譲位されたのである。
このことは国民と世界に公知の明白な真実である。
しかるに行政権を担う安倍内閣は、
一貫して、この度の皇位継承を、天皇の御意思ではなく、
内閣の決定による「退位」として取り仕切った。
つまり、内閣は、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を制定し、
平成三十一年四月三十日に皇居宮殿正殿松の間で行われた
「退位礼正殿の儀」において、
まず内閣総理大臣が閣議で決定した「退位」を
(あたかもサラリーマンに対する解雇通達の如く)
「本日をもちまして退位されます」と天皇に告げ、
次に、天皇が、内閣の決定した退位の告示を承けられたうえで、
閣議で決定した「おことば」である
「今日をもち、天皇としての務めをおえることになりました」
と述べられることにした。
この時、
この「退位礼正殿の儀」を中継していたNHKの画面には、
日本国憲法第一条全文が映し出され、
解説者が、
「憲法に天皇の地位は国民の総意によるとありますから、
国民が天皇より上位でありますので、
まず、
国民を代表する総理から天皇退位決定の発言があり、
それを受けて天皇が応答されるという順になる」
という趣旨の解説をした。
この内閣が行った「退位礼正殿の儀」という儀式と、
それを中継したNHKの解説に接し、
私は、これは「重大な歴史の改竄」、
即ち、尊い事実を隠し「誤魔化すからくり」とみた。
 
では、何故、安倍内閣は、このような改竄をしたのか。
その理由は、尊い事実よりも「日本国憲法」を優先したからである。
つまり、安倍内閣は「戦後体制」を堅持し、
我が国の歴史と伝統よりも日本国憲法に仕え従ったのだ。
よって、この改竄は、
戦後体制とは日本国憲法体制であり、
そこからの脱却、つまり、日本を取り戻すとは、
日本国憲法よりも我が国の歴史と伝統を重んじることであるということを、
却って明確にしたといえる。
 
そもそも昔に紙に書かれた実定法が想定していないことが起こった場合、
実定法(形式的な法)に従って事実を改竄するよりも、
事実を重視して、
その事実を裏付けている実質的な法(歴史と慣例)に従うのが当然であろう。
しかし、現内閣は、それをしなかった。
 
以上の通り、
こともあろうに、
「万世一系の皇位の継承」という
我が国が「日本」であるところの最重要の中枢において、
我が内閣による、歴史の改竄という事態が起こったことを確認した上で、
私は、「戦後体制」から脱却し「日本を取り戻す」ことは、
日本民族の血に根ざす歴史的要請であり、
これはまさに、
国民が日本人として生きようとする力の源泉の回復であると確信する。
 
その上でまず、
「日本国憲法」を廃棄する方策を記したい。
「日本国憲法」の改正を論じるのではない。
廃棄すべきものを改正しても意味が無いどころか、
却って廃棄すべきものを温存し有害である。
「日本国憲法」を廃棄することは、
日本人として生きたいという我々日本人の生きる力、
即ち、民族生命を回復する力の躍動なのである。
まず、
上記の記憶に生々しい政府の行った「退位礼正殿の儀」が従った、
日本国憲法第一条は次の通りである。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

結論から言うが、明白であろう。
この第一条はウソである。

昭和二十年八月十五日から日本国憲法が施行される同二十二年五月三日までの間に、
天皇を決める国民投票でも行われたとでも言うのか。
天皇の地位は、国民が決めたのではなく、
太古の「天照大御神の天壌無窮の神勅に基づく」、これが正しい。
日本国民とは、
「天皇の地位は天照大御神の『天壌無窮の神勅』に基づく」
と正々堂々と言い切る者のことだ。
吉田松陰や三島由紀夫は日本人だ。
三島由紀夫は言った。
「命に代えても守るべきものが二つある。
それは三種の神器と天壌無窮の神勅だ。」と。
吉田松陰は斬首される十六日前に、
友人堀江克之助に次の通り書き送った。
「(天壌無窮の)神勅相違なければ日本未だ亡びず。
日本未だ亡びざれば、正氣重ねて発生の時は必ずある也。
只今の時勢に頓着するは神勅を疑ふの罪軽からざるなり。」と。
 
さて、この日本国憲法の、
こともあろうに、第一条が、ウソであると確認することは、
これは即ち、この「日本国憲法と題する文書」は、
日本の「憲法」としては、
無意味であり無効であるという結論が掌中に入ったということである。
「黒い烏は白い」と何度言っても無意味であるのと同じだ。
とはいえ、
独裁権力をもつ者が、権力によって「黒を白」と人民に強制的に思わせることは、
現在も独裁国家によくある。
GHQのマッカーサーもそれを日本にしたということだ。
しかし、その独裁者が去れば、
「黒を白」と思っている者は一人もいなくなる。
これと同様に、
「日本国憲法と題する文書」即ち「マッカーサー憲法」は、
同二十七年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効によるGHQの日本占領統治が終了するとともに、
我が国の「憲法」としては機能停止すべき文書として扱うべきである。
 
次に、
そもそも「憲法」とは何かという原点に戻って論を進めたい。
「憲法」とは何かという原点を把握すれば、
「日本国憲法と題する文書(マッカーサー憲法)」が、
我が国の憲法としては無効であることの確信を得るからである。
以下、
かつて御激励をいただき学恩ある
故三潴信吾博士の「日本憲法要論」に学んだことを記す。
 
およそ憲法は、
その国家の国民の精神的ないしは道徳的伝統と、
その顕現としての立國法即ち國體法に基づいて、
その国家の統治権力作用の組織や権限を定める基本法であって、
法律、命令、規則その他の諸政務法令に対し、最高法規の地位にある。
従って、この憲法は、
国家がある限りそこに存在しているが、
その存在の仕方によって、
紙に書かれた「成文の憲法」と紙に書かれていない「不文の憲法」がある。
また、成文であれ不文であれ、
憲法が先にあって然る後に国家ができるのではなく、
「国家生活の根本事実」が出現し、
これと同時に、又はその後の時点に於いて不文の憲法ができ、
次に紙に書かれて成文の憲法典が制定される。
そして、この憲法の果たす任務は、
まず、立國法に基づく国家存立の確保即ち國體の護持である。
その上で、国家の統治作用により、
国土と国の財産と国民の命と財産を保全し、
さらに国民の人権を保障することである。
 
この憲法の基礎となる不文の立國法は國體法と称されるものであり、
これは国の立国と同時に、その成立事実と不可分に存立し、
立国の精神的又は道徳的理想を根幹とする
国の最も基本的な伝統的秩序を樹立するものだ。
そして、この国の成立事実の中心は、
元首の立ち方であり、国の元首の地位の本質を定めることである。
 
以上の通り整理した上で、
我が国即ち日本の成り立ちを見つめ、
我が国の「憲法」とは何か、を把握しなければならない。
まず、我が国における
「国家生活の根本事実の出現」
とは何時か。
それは神武創業である。
そして、神武創業を促し、
神武創業で明らかになった立國法と國體法の法源は、
神話と天照大御神の天壌無窮の神勅と神武天皇の八紘為宇の詔にある。
ここに、
我が日本の天皇(国家元首)の立ち方とその地位の本質、
そして立国の精神的又は道徳的理想が明らかになっている。
 
神話のなかの大国主命の国譲りは、
天照大御神が使者を大国主命に使わして、
「爾がうしはける葦原の中つ國(日本)は我が御子のしらすさむ國」
と告げたところ、
大国主命がそれに応じ、
日本は「天照大御神の御子即ち天皇のしらす国」になったという話である。
そして、
天皇の祖である天照大御神の天壌無窮の神勅は、
「豊葦原の千五百秋瑞穂の國は、是吾が子孫の王たるべき地なり。
宜しく爾皇孫、就きてしらせ。」とある。
ここに鮮明にされた、我が国の御国振りが、
即ち、
「天照大御神の子孫である天皇のしらす國が万世一系続く」ということ、
これが我が国の不文の立國の法、
即ち、國體の法である。
そして、この我が国の立國法・國體法は、
以後、
詔(みことのり)、万葉集をはじめとする歌、また、聖徳太子の「十七条の憲法」や
「宇佐八幡の神託」や南北朝期の北畠親房の「神皇正統記」そして、江戸期の国学や水戸学を経て、明治維新の「王政復古の大号令」から
「五箇条の御誓文」と「国威宣布の宸翰」、さらに「教育勅語」を経て、
「大日本帝国憲法」という成文の憲法典に結実する。
これが、我が国の「憲法」である。
 
この「うしはく」と「しらす」という古代大和言葉の意味を探究したのが
江戸時代の国学者本居宣長であり、彼が「古事記伝」に書いた説明によれば、
「うしはく」とは、
ある地方の土地人民を、我が私有物として、領有支配すること。
「しらす」とは、
人が外物と接する場合、即ち、見るも、聞くも、嗅ぐも、飲むも、食うも、知るも、
みな、自分以外にある物を、我が身にうけいれて、他の物と我とが一つになること、
自他の区別がなくなって、一つに溶け込んでしまうことである(木下道雄著「宮中見聞録」)。
 
大国主命は、
土地と人民を自分の私有物として支配する國を、
天照大御神の御子と家族のように一つに溶け込んでしまう國にするために譲ったのだ。
これによって、日本が日本になった。
まことに尊い御業というほかない。
上皇后陛下がかつて大国主命が祀られる出雲大社にご参拝されたとき、
次の御歌を詠まれた。

國譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びてやまむ
 
以上の悠久の太古から続く不文の立國法・國體法を、
明治維新を経た近代のなかで、法的に表現して成文化したのが
大日本帝国憲法だ。
この憲法の起草者である井上毅は、
寝食を忘れた如く、我が国の神話と古典の研究に没頭し、
古事記から我が国が
「天皇のしらす國」
と表現すべきことを発見する。
そして、天皇(元首)の立ち方とその地位の本質を次の通り近代法的に表現した。

第一条、大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す。
第二条、皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男子孫之を継承す。
第三条、天皇は神聖にして侵すへからす。
第四条、天皇は國の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ。
 
起草者井上毅は、
「主権」という語を一切使っていない。
何故なら、「天皇のしらす國」は
天皇と国民が一つに溶け合った家族であり、
欧米諸国のように、
国内において、君主と人民を対立したように峻別して、
主権が君主にあるのか人民にあるのかを争う必要はなく、
当然その歴史もないからである。
なお、井上は、
「しらす」という大和言葉を憲法典に記載しようとしたが、
ドイツ帰りの伊藤博文に阻止され実現しなかったと聞く。
 
ともあれ、明治維新後の世は、
欧米化の風が吹きまくっており、鹿鳴館に代表される欧化の風潮のなかで、
日本語を廃止してローマ字を使用することを主張した有力者もいた時期である。
この欧米化の嵐のなかで、
井上毅は我が国の神話と古典研究に没頭して大日本帝国憲法を起草したのだ。
そして、その度重なる憲法案審議の場には、
明治天皇が御臨席されていた。
つまり、大日本帝国憲法は、
国家の運命的な重要決定が行われる御前会議のなかで出来上がった成文憲法である。
GHQの二十五人の若いアメリカ人が九日間で書いた作文との違いは天地以上である。
元産経新聞論説委員長の皿木喜久氏は
次のように記している(「明治という奇跡」展転社刊)。
「欧米列強に対抗するために
その文化、制度を取り入れるのは止むを得なかった当時の状況で、
憲法の中に色濃く日本の伝統を残すことができたのは、奇跡的とも言えた。」
さらに、
昭和五十四年三月、明治神宮が編纂した「大日本帝国憲法制定史」は、
冒頭に明治天皇の御製

をりにふれてさだめたる國のおきてはいにしへの聖の君のみこゑなりけり

を掲げた。
そして末尾に、
大日本帝国憲法制定史調査委員長で京都大学名誉教授の大石義雄博士が、
「大日本帝国憲法は、
明治天皇が皇祖皇宗の遺訓を体して欽定されたものであるから、
大日本帝国憲法の精神的基礎を成す日本思想を理解することなくしては、
大日本帝国憲法の制定史を語ることはできないのである。」
と書きはじめ、最後に
「大日本帝国憲法は、現憲法から見れば旧憲法である。
しかし、社会は刻々として変わる。
占領目的達成の手段として作られた現憲法も、
いつまでもつづくというふわけにはゆかないのであり、
いつかは変わらねばならないだろう。
その時は、
大日本帝国憲法の根本精神が新憲法の名においてよみがへって来るだろう。
この意味において、
大日本帝国憲法はこれからの日本の進路を示す光として今も生きているのである。」
と結ぶ「跋文」を記しておられる。
 
以上が、大日本帝国憲法の制定過程である。
では、日本国憲法は如何にして作られたのか。
これ、公知の事実。
即ち、起草したのは日本人ではなく、
外国人のチャールズ・ケーディス大佐以下二十五名の日本占領軍職員。
彼らが起草したのはもちろん占領下の同二十一年二月のたった九日間。
そして、
占領下に大日本帝国憲法の改正として帝国議会で議決され
同年十一月三日公布され翌年五月三日に施行された。
その間、我が国を占領していた占領軍は、
厳格で執拗な検閲を行って自由な言論を封じ、
罪もない者を含む「戦犯」を処刑(リンチ)し、
気に入らない二十万人以上の人物を追放していた。
日本以外の世界の法律家なら、
このような情況でできた「憲法」は国際法違反で無効だと言う。
仮に近い将来、
中共の人民解放軍が朝鮮半島全土を占領したうえで、
「朝鮮国憲法」を作れば、
日本を含む世界の法律家は、その憲法は無効だと判断する。
これと同じだ。
従って、まず、
日本国憲法も無効だという結論を記しておく。
 
そのうえで、最後に、
論じられることが少ない論点について記しておきたい。
それは、日本国憲法が、
大日本帝国憲法第七十三条の改正規定に従って
大日本帝国憲法の改正として施行された点である。
 
これも、結論から指摘する。
この改正は無効である、と。
既に記したように、
大日本帝国憲法は、不文の立國法に基づいて、
我が国の天皇の本質と成り立ち、
そして、国民の精神的乃至道徳的伝統を記し、
その國體を護持するために統治権力作用の組織や権限を定めている。
従って、
統治作用を担う内閣や国会は万能ではなく、
自らに権限を与えている立國法の本質を改正することはできないのである。
我々の身体で言うならば、
顔の一重瞼を二重瞼に整形したり鼻を高くしたりすることはできても、
首を切り落として取り替えることはできないということだ。
従って、
大日本帝国議会は、
「大日本帝国憲法」を「日本国憲法」に改正することはできない。
この改正は無効だ。
さらに之に留まらず、
議会が昭和二十三年に行った「教育勅語」の失効決議も無効である。
立國法を護持するための統治権力組織に、
立國法と不可分の「教育勅語」や「軍人勅諭」を無効にすることはできない。
 
さらに条文の形式的解釈に於いてもこの改正は無効である。
何故なら、
大日本帝国憲法第七十五条は、
「憲法及び皇室典範は摂政を置くの間之を変更することを得す」
と定めている。
摂政を置く時とは、天皇の能力に欠落があるときである。
では、占領下の天皇は如何なる地位に置かれていたのか。
それは、同二十年九月二日に調印された「降伏文書」により明らかだ。
即ち、そこに、
「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は・・・
連合国最高司令官の制限の下に置かれるものとする。」
と記載されているではないか。
これ、
我が国開闢以来最大かつ屈辱の天皇の能力の欠落した状態ではないか。
よって七十五条に基づき、
このような時に、憲法の改正はできない。
 
以上、
先帝陛下の御意思による万世一系の皇位継承を目の当たりにしたうえで、
今上陛下が現人神となられる大嘗祭に向かう今、
我々は、
日本国憲法の無効と、
大日本帝国憲法の甦り、
そして、
我が国の神話に淵源する不文の立國法と國體法が、
悠久の太古の神話の世界から綿々と歴史を貫いて、
今も脈々と生きていることを確認しようではないか。

         以上は、「伝統と革新」誌に送付した原稿に加筆したものである。

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