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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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明治百五十年、日本と西洋、どちらが野蛮か

平成30年11月7日(水)

今まで、時々断片的に、明治百五十年に関して私の中に浮かぶ思いを書いてきた。
その一環として、
日本と西洋、どちらが文明でどちらが野蛮か、
西郷隆盛とその同時代人の論議に触発された思いを記しておきたい。
「月刊日本」への投稿原稿に加筆したものだ。

維新にが成って、飄然と薩摩に帰っていた西郷隆盛が、
明治三年にはるばる東北から薩摩に来た庄内藩士達数十名に語ったことを書き留めた
「西郷南洲遺訓」に、次の会話がある。
「文明とは道の普く行はるゝを賛称せる言にして、
宮屋の荘厳、外観の浮華を言ふには非ず。
世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やら些とも分からぬぞ。
予嘗て或人と議論せしこと有り、
西洋は野蛮ぢやと云ひしかば、否な文明ぞと争ふ。
否な野蛮ぢやと畳みかけしに、
何とて夫れ程に申すにやと推せしゆゑ、
実に文明ならば、
未開の國に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、
左は無くして未開蒙昧の國に対する程むごく残忍の事を致し己を利するは
野蛮じぢやと申せしかば、
其人口をつぼめて言無かりきとて笑はれける。」

この西郷と或人との、日本と西洋、どちらが野蛮か文明かの論争は、
明治三年以前の明治維新直後に、おそらく東京において為されたのだろう。
 そこで私は、
その明治維新から百五十年にあたる現在においてこそ、
我が国を明治維新に突き動かし、
現在も直面している「西洋」について、
この西郷と或人の如く議論しなければならないと思う。
何故なら、
この「西洋」の本質が分からなければ、
近世そして明治維新からの百五十年間、
我が国が如何なる道を歩んだのかが分からないからだ。
戦後特有の自虐史観は、
野蛮な日本と文明の西洋との確執という観点から
我が国の明治維新後の近現代の歩みを捉える。
その反対に、
文明の日本が野蛮な西洋に対向した百五十年と捉えることもできる。
従って、改めて
「西洋」とは何かと見極めねばならないというわけだ。
 
我が国は、
十六世紀中期に始めて西洋人と遭遇したが、
それから約五十年後に彼らを我が国から排除した。
そして、約二百五十年間の鎖国を経て、十九世紀中期に再び西洋人と遭遇する。
彼らは、我々日本人とは全く違った。
それは、単なる動物としての肌や目や毛の色の違いではない。
彼ら西洋人は、キリスト教という宗教を、
神から与えられた使命として全世界に広めるために、
即ち、全世界をキリスト教徒の最高位のローマ教皇の支配地にするために、
十六世紀初頭からヨーロッパから海に乗り出して、約五十年間で、
遂に一番遠い(ファーイースト・極東)我が国に到達してきたのだ。
この西洋人が世界に乗り出して勢力圏を広げようとした衝動は、
「信仰」という旗を掲げた「物欲」であった。
従って、西洋を知り西洋に対処するには、
彼らが信じ彼らを突き動かしてきた宗教である
「西洋のキリスト教」
とは何かを知らねばならない。
 
まず、結論を言うならば、
「西洋のキリスト教」は、恐ろしい宗教であった。
異教徒を「人間」と見なさない宗教だった。
従って、西洋人は、牛や馬と同じ家畜のように
アジアやアフリカの異教徒を扱い、
野生動物を捕まえるように捕まえて奴隷として売買した。
また、狐やウサギの狩りをして楽しむのと同じように、
レジャーとして異教徒狩りをして、その射殺数を競うことができた。
また、異端、例えば、キリストの母聖母マリアは処女であることを信じない者、
を、一千年以上の間、異端者として火あぶりにする宗教だった。
中世のキリスト教国による
キリスト教の聖地エルサレムでのアラブ人の殺戮(十字軍)は凄まじく、
コロンブスがアメリカ大陸に到達した一四九二年から南米大陸で起こった
原住民に対する民族絶滅・種族絶滅に近いキリスト教徒の暴虐をみれば、
西暦三九二年に、ローマ帝国のテオドシウス帝が
キリスト教を「国教」として他の宗教を禁じ、
ローマ帝国の版図である「西洋」がキリスト教化したことが、
現在にいたる人類の惨害の出発点だと思はざるを得ない。
しかし、二十世紀に入り、明治維新を為した極東の日本が台頭し、
一九〇五年、アジア・アフリカの諸民族の目の前で、ロシア帝国を撃破した。
そして、一九四二年二月十五日、
日本軍は、大英帝国の東洋支配の牙城シンガポールを陥落させた。
その時、フランスのドゴールは、
数百年にわたった白人のアジア支配が終わったと言った。
これ、二十世紀において、
文明の日本が有色人種を差別する野蛮な西洋を破ったということだ。
 
さて、一五四三年、
この「西洋」から火縄銃二丁を持ったポルトガル人が、
始めて我が国の種子島に漂着する。
種子島の領主種子島時尭は、その二丁の銃を買い取った。
買値は現在の価値で五千万円だったという。
ここで、注意すべきは、
種子島時尭は、始めて会ったポルトガルの漂着民から、
銃を「買い取った」ということだ。
同時期、西洋人がアフリカやアメリカで原住民にしたことは「略奪」だった。
どちらが文明か野蛮か?
また、付言しておくが、
二丁の銃が五千万円という破格の価格で売れたので、
ポルトガル人は数年後に再び銃を持って種子島に売りに来た。
しかし、日本人は銃を彼らから買わなかった。
何故なら、日本の国産銃のほうが彼らの銃より性能がよかったからだ。
このことから明らかなことは、
我が国は、初めて遭遇した西洋と対等に対処していたといえる。
西洋から見れば、我が国は、
アメリカやアフリカで遭遇した簡単に支配できる相手ではなかった。

この鉄砲伝来から六年後の一五四九年、
イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが薩摩半島南端に来航した。
武器とキリスト教が相次いで、我が国に来たのだ。
そして、さらに来たのは奴隷商人である。
キリスト教の宣教師と武器商人と奴隷商人の三者は
連携して非西洋世界に乗り出していた。
この、ザビエル来航から三十三年後の天正十年(一五八二年)、
日本のキリスト教の信者は十五万人に達していたようだ。
 
天下人の織田信長が、
明智光秀に討たれた本能寺の変が起こるのはこの天正十年であるが、
同じ年この変の前、長崎から十三歳と十四歳の少年四人が欧州に向けて出発した。
天正遣欧少年使節団である。
彼ら四人の少年は九州のキリシタン大名の子弟で、
ポルトガルを経てスペインのフェリペ二世に拝謁し、
ローマではローマ教皇グレゴリウス十三世に拝謁しローマの市民権を得て、
八年後の天正十八年(一五九〇年)に、青年となって長崎に帰ってきた。
この少年使節派遣は、宣教師アレッサンドロ・ブァリニァーノの発案で、
ローマ教皇とスペインやポルトガル王から日本布教の経済的援助を受けるため、
また、日本人にキリスト教世界の偉大さを体験させ
日本布教に役立てるために実施された。
そして、四人の少年達は、八年間にわたる旅のなかで、
確かにキリスト教世界を見た。
さらに、自分たちよりも先に、キリスト教世界にいる日本の少年少女の存在を知った。
即ち、彼らは、
欧州の奴隷市場で、裸にされて売られている大勢の日本人女性達を見たのだ。
日本の少女は、従順で聡明だということで高値がつく奴隷だったという。
 
日本に来た西洋の宣教師と武器商人と奴隷商人はセットである。
これ、実に野蛮ではないか。
キリシタン大名が、清い信仰のためにキリスト教徒になったと単純に思ってはならない。世は戦国時代だ。この時代を制するものは武力だ。
我が国は、優れた鉄砲を造ることができた。
しかし、弾丸を発射する火薬の原料の硝石が日本になかった。
キリシタン大名になれば大量の火薬を獲得することができたのだ。
この時、本能寺の変の後に我が国の覇者となった豊臣秀吉は、
北九州でキリシタン宣教師と遇い、キリシタン大名の領地を見た。
そして、キリスト教を布教する宣教師の目的は、
日本をスペインやポルトガル王の領国にして
ローマ教皇の配下に置くことにあるのを見抜いた。
またキリシタン大名の領国では、
キリスト教の教会が建てられ、寺社仏閣が破壊され撤去されていた。
つまり、キリシタンは日本の権威を否定していたのだ。
また、宣教師と奴隷商人が各地から少女達を調達し、
武器や火薬と引き換えて、裸にし数珠つなぎにして奴隷船に乗せていた。
彼らは、火薬一樽をキリシタン大名に渡して、日本の女性(処女)五十人を連れ去った。
このようにしてヨーロッパに連れ去られた日本女性は
五十万人という(奥山篤信著「キリスト教というカルト」春吉書房)。
ここにおいて、秀吉は、
バテレン追放令を発した。

この十六世紀後半の非西洋世界で、
西洋から我が国に持ち込まれたキリスト教の危険性を
直ちに見抜いた文明国の指導者は、秀吉のみではなかろうか。
仮に秀吉自身が、火薬ほしさにキリシタンになっておれば、
日本は日本でなくなっていたであろう。
日本は、天皇を戴く国ではなくなって
国名もスペインのフィリペ二世にちなんで、フィリピンとなっていたかもしれない。

秀吉の慧眼と尊皇の志が、
日本即ち万世一系の天皇を戴く日本の國體を救ったのだ。

この秀吉の後に来る
徳川家康、秀忠そして家光によって確定されてゆく徳川幕藩体制は、
天皇から権威を奪う体制であった。
それ故、
慶応三年(一八六七年)十月十四日の
徳川慶喜の「大政奉還」の上奏を受け、
同年十二月九日に「王政復古の大号令」を発した新政府は、
翌慶応四年(明治元年)五月十日、
戦死者の慰霊に関する明治天皇の叡慮を反映した「御沙汰書」を発する。
新政府は、直ちにその冒頭で、次の通り、
豊臣秀吉と楠木正成を追賞している(小堀桂一郎著「靖國の精神史」)。
「大政御一新の折柄、
賞罰を正し、節義を表し、
天下の人身を興起遊ばされたく、
既に豊太閤・楠中将の精忠英邁、御追賞仰せ出され候」

現在、隠れキリシタンの遺跡が世界遺産とされ、
キリシタン大名も清い大名のように注目されているが、
その時、日本が直面した「西洋」は、
言葉の真の意味の西郷の言う「野蛮」だったのだ。
それ故、
隠れキリシタンの世界遺産もいいが、
それのみではなく、
同じ時期に、
キリシタンの奴隷となって西洋に連れ去られ、
裸にされて奴隷市場で売られていた多くの我が国の乙女達の
悲しく可哀想な人生を忘れてはならない。

・・・   ・・・   ・・・

なお、現在の西洋のキリスト教、
カトリックの総本山であるローマにあるバチカンの法皇は、
戦前は、ナチスに接近し、
現在は、シナ中共と接近し始めた。
中共の戦略は、
世界の数十億の信者に影響力をもつバチカンを利用して、
世界的な反日攻勢を強め、
さらに
習近平の野望である中華帝国の世界支配に一歩近づこうとするものと思われる。
よって、現在においても、我ら日本人は、
彼らの「キリスト教」とは何かを知る必要がある。
そこで、
私の友人、奥山篤信さんの書いた
「キリスト教というカルト」
        春吉書房、Tel 092-712-7729、Fax 092-986-1838
を読まれることをお薦めしたい。
奥山篤信さんは、
私と同じ昭和二十三年の生まれで、三菱商事で長い海外勤務を経てから、
還暦を過ぎて、突如上智大学に通い始め、
同大学大学院神学研究科を修了して神学修士号を取得し、
まだ止まらず、
こんどは金に任せて、
パリ・カトリック大学(ISTA)に一年間留学し、
完全な反カトリックになって帰国した
筋金入りの、あっぱれ、かつ、けったいな私の畏友である。

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