選挙戦を終えて
平成15年11月9日(日)
拉致被害者救出国民運動としての西村眞悟選挙戦
十月九日、衆議院議員会館において、拉致議連総会を開会し、幹事長(西村)提案で、「明日、衆議院は解散し、われわれは選挙に突入するが、単なる選挙戦ではなく、議連加入議員は、拉致被害者日本人救出国民運動としての選挙を、全国各地で展開しよう」と決議した。
西村の大阪17区すなわち堺の南部の選挙区においては、法定配布ビラは、もちろん拉致問題を特集した。そのビラを、全戸のポストに配布し、数万枚を街頭で配った。
ポスターには、「拉致被害者を救出しよう」と大書しブルーリボンをシンボルマークとした。
候補者の、街頭での演説や集会所での演説は、すべて、拉致問題を柱にした内容で一貫した。
演説会などで配布する資料の中には、ブルーリボンのシールを入れた。
このブルーリボンシールを、車の後ろに、郵便箱に、門の柱に貼る有権者が徐々に増えていった。
街頭や複数の大集会では、選挙運動ではなく、明らかに拉致被害者救出国民運動としての本質が前面にでた。
その中で、西村は、拉致救出運動の議員側のシンボル的人物として扱われたことに身の引き締まる名誉を感じた。
ある夕方の街頭で、横田めぐみさんのお母さんの話に聞き入っていた人々の目には涙があふれていた。涙が頬に流れた人々は、その涙をぬぐった。
晩秋の薄暗闇のなかに数百名の人々がシーンと静まりかえってたたずんでいた。
そこには、選挙の熱狂も宣伝もなく、十三歳であった横田めぐみの失踪を、我が子の失踪と同じように受け止めた悲しみの共感と、必ず北朝鮮から救い出すという決意が漂っていた。
そしてその決意は、偶然そばを通りかかって足を止めた人々に直ちに伝わり、静かな集まりは一刻一刻とその数を増やしながら、深い人間としての日本人としての共感を広げていった。
その場には、「祖国日本に対する愛」をもち同胞を救おうと願う「日本人」が集まっていたのだ。
西村は、
「拉致被害者の救出なくして、真の福祉国家の建設はできない」
「拉致被害者の救出に取り組まない国家に、教育の改革はできない」
「国政の最重要の課題である国家と国民の防衛に言及しない候補者は、国会議員の資格はない」と街頭で繰り返した。
反対陣営は、
「拉致問題だけが、国政問題ではない」
「青いぼろきれを胸にぶら下げているだけではないか、与党自民党でなければ、拉致問題は解決しない」と西村を非難した。
以上のように、西村の十二日間の選挙戦は、終了した。
この西村選挙区のこれからの動向を、北朝鮮の独裁者が気にしていると、西村は全身で感じている。
選挙戦を終えて、腹のそこから湧き上がってくる思い。
それは、拉致被害者救出である。
そのために、公約を実行する。
即ち北朝鮮に経済制裁を断行する。これを実現するために全力を挙げる。
「スパイ防止法」があれば拉致は防げたと痛恨の思いで振り返るとき、その法整備を妨げて拉致を容易にし無防備国家日本を理想とする「戦後憲法」を早期に清算する任務を感じる。
やはり、国家の基本法(憲法)を早急に創らねばならない。
国家と国民を守るという国防の原理の確立と国防軍創設は、新たに議席を得た議員の急務中の急務である。