再び、正田邸へ
平成15年9月30日(火)
昨日、国会では本会議代表質問が行われたが、その夕方、都内品川区では、ささやかに、『正田邸を偲ぶ会』が開かれた。
昭和を象徴する建物、この正田邸から、妃殿下になるご婚礼の為に、歩みだして行かれた映像は、昭和を生きた国民の記憶のなかに刻まれ、皇室の喜びは国民の喜びとなった。
この正田邸は、建築史の上からも『特に保存すべき貴重な建物』(日本建築学会)であり、もちろん、文化史、国民史の上からも貴重な、皇后陛下のご生家である。
この正田邸が、本年春、付近住民を排除して解体されたことを忘れてはならないと思う。正田邸が、昭和という時代(御世というのがふさわしいか)を象徴する建物とするならば、その解体も、それを実施した現内閣とそれを生み出した時代を象徴している。即ち、カネとモノだにしか関心を示さない時代とこの時代を象徴する内閣によって、正田邸は解体された。
では、誰が解体を決めたのだ。それが、わからない。これが我が国行政組織即ち官僚機構の特徴である。
正田邸が国有財産となった時点で、それを管理する財務省の何処かの組織で、解体して更地にして売却するということが決定された。その理由は、建物は『無価値』でありそれを解体すれば、更地の価格が上がるというものである。しかし、これは嘘であり虚偽であった。正田邸には価値があった。解体しても更地価格があがり売却した財務省が得をすることはなかった。だが、日本の官僚機構は、正田邸の価値を如何に説明されようとも、頑として『価値なし』の前提を維持し、夜陰に乗じて一挙に解体したのだ。
アフガニスタンのバーミヤンの石仏を爆破したタリバンと同じだと感じた。価値を全く認めようとしないのだから。
さて、小泉総理大臣は、この正田邸の裏隣の『仮総理官邸』に住んでいる。しかし、何の関心も示さなかった。
財務大臣の塩川さんも、再三の要請にもかかわらず、役人の為すがままに任せた。そして、総理は昨日の本会議でも官僚の作文を朗読していたのだ。
これが、官僚支配というもので、この官僚機構に身を委ねて快適に与党暮らしをする議員集団によって、今まで、どれだけ国家が疲弊し、文化が失われたか!
さて、その晩、正田邸所在地の近くで、女性を中心とした三十名ばかりの『正田邸を偲ぶ会』が行われた。カネやモノより文化と国柄を重んじる方々ばかりだった。
始めに正田邸解体を財務省から請け負った会社の代表者が出席していたが、『あの正田邸を見て、解体などできないと感じて、請負を辞退した』と述べておられた。
私が、『それは、徳を積まれたんですよ』と言うと、『そうです、解体を辞退してから、不思議なほど、仕事に恵まれています』との返答があった。徳を積むことを忘れて、ただ金銭だけでは、会社経営も続かない。
では、『正田邸は価値がないので解体して更地にすれば、高く売れる』という破綻した論理だけで解体してしまった官僚機構に未来はあるのか。その中で、名前を隠して生きているものの人生と、彼等の為すがままに任せた内閣の政治家達の人生からは、明らかに徳は逃げ去り、仕事が終われば、もはや抜け殻しか残らないのではないか。
西郷隆盛は、政治の目標は、まず『文を興す』ことと述べている(南洲遺訓)。
したがって、正田邸を後世に、つまり我々の子孫に残そうとした方々は、近代国家日本を啓く初心を持っていたのだと思っている。