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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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今上陛下のお言葉は明治天皇の願いと同じである

平成28年8月10日(水)

 天皇陛下に「お気持ち」をお伝えいただいて二日を経た本日十日、
 天皇陛下は、「天皇のしらす国」の、
 現在におけるあり方を、
 皇后陛下と共に身をもって体現されてきたと思わせられるのである。
 そして、この御姿勢は、
 明治天皇が、明治の初めに鮮明にされ、
 それを受け継がれた昭和天皇から、
 今上陛下が現在に引き継がれたものである。

 先に指摘した、
 出雲大社に祀られる大国主神は、
 国を「うしはく」ものであったが、
 天照大神の使者の建御雷神という者から、その国を
 我御子(わがみこ・天皇)の「しらす」国に譲れと言われて譲る。
 そして、我が国は、「天皇のしらす国」になる。
 
 では、「うしはく」と「しらす」の違いは何か。
 終戦時の侍従次長であった木下道雄が、
 本居宣長の「古事記伝」に基づいて
 次の通り分かり易く説明している(同人著「宮中見聞録」)。

 「うしはく」・・・ある地方の土地、人民を、我が物として、
         即ち我が私有物として、領有支配すること。
 「しらす」・・・人が外物と接する場合、即ち、見るも、聞くも、
        嗅ぐも、飲むも、食うも、知るも、みな、
        自分以外にある他の物を、我が身にうけ入れて、
        他の物と我とが一つになること、即ち、
        自他の区別がなくなって、一つに溶けこんでしまうこと。

 この度の今上陛下の、
 「伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し」
 さらに、
 「我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、
 これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、
 相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」
 というお言葉にある「伝統」そして「我が国の天皇の長い歴史」が、
 皇室自らの編纂にかかる「古事記」に明示された
 「天皇のしらす国」への国譲りの物語に発するものであることは、明らかである。

 従って、今上陛下がおっしゃった次のお言葉は、
 現在における「しらす」天皇のお姿であり御実践である。
 
 「私が天皇の位についてから、ほぼ28年、
 この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、
 人々と共に過ごしてきました。
 私はこれまで天皇の務めとして、
 何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えてきましたが、
 同時に事にあたっては、
 時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、
 思いに寄り添うことも大切なことと考えてきました。」
 「天皇として大切な、
 国民を思い、国民のために祈るという務めを、
 人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、
 幸せなことでした。」

 そのうえで今上陛下は、これが日本国憲法のいう「象徴の務め」だとされ、
 加齢のために、その務めを、「全身全霊をもって果たしていくこと」が、
 難しくなるのではないかと案じられているのである。
 これは、反対から申し上げれば、
 今上陛下は、
 「しらす」とは、国民の安寧を祈るだけではなく、
 事にあたっては、
 全身全霊をもって、時として人々の傍らに立つ行動力、 
 が必要なのだとおしゃっているのだ。
 そして、八十歳を過ぎた自分(朕)にその体力があるのかと危惧されている。

 江戸時代の二百六十年間以上、
 天皇は京都の皇居の中に住まわれ、
 生涯その外にお出になることはなかった。
 明治天皇は、その「旧習」を打破し、
 自ら全国を行幸されて、
 藩しか知らなかった津々浦々の国民に 
 国家を目の当たりに認識させ、
 陸軍の演習においては、馬上にあって西郷隆盛陸軍大将を随行させ、
 豪雨の習志野の原野で野営されて兵士を激励された。

 この度の今上陛下の、
 「事にあたっては、時として人々の傍らに立ち」のお言葉に接したとき、
 明治天皇のお姿と、それを受け継がれた
 昭和天皇の全国巡幸のお姿を思った。
 
 この度のお言葉の起点は、
 明治天皇の願いと御実践にありと拝するので、
 次ぎに、明治天皇が、明治の初め、五箇条の御誓文と同時に発せられた
 国民に対する真情溢るる清冽なる「宸翰」(天皇の手紙)の冒頭を掲載して、
 この度の今上陛下のお言葉が、
 この「宸翰」を発せられた明治天皇と
 同じ天皇の務めへの自覚と恐懼、そして
 国家と国民に対する無私の願いから発せられていることを確認し、
 さらにこの天皇の願いの
 依って来たる「伝統」と「長い天皇の歴史」に改めて思ひを致したい。

   「億兆安撫国威宣布の宸翰」   慶応四年戊辰三月
 朕幼弱を以て猝(には)かに大統を紹き
 爾来何を以て万国に対立し列祖に事え奉らんかと
 朝夕恐懼に堪えざるなり。
 ・・・
 今般朝政一新の時にあたりて天下億兆一人も其所を得ざるときは、
 皆朕が罪なれば、
 今日の事朕が躬(みずから)
 身骨を労し、心志を苦しめ、艱難の先に立ち、
 古列祖の尽くさせ給ひし蹝(あと)を践(ふ)み、治績を勤めてこそ、
 始めて天職を奉じて億兆の君たる所に背かざるべし。
 ・・・

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