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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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西村眞悟の時事通信
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おおみこころは祈る天皇から発せられる

平成28年8月3日(水)

 先に、天皇陛下に「生前退位」即ち「御譲位」の御意向あり
 との報道が連日続いたときに、
 マスコミの姿勢や報道を受け止める国民の反応に違和感を感じた。
 その違和感の依って来たる所以は、
 戦後日本における「国体観の欠落」に由来するものと思われた。
 
 そうする内に、天皇陛下が近々、
 御自ら国民に対してお考えを述べられるようだ、
 との報道が為された。
 そのとき、天皇陛下の国民に対するお言葉が発せられる前に、
 やはり、私の国体観を明確にして、その上で、
 天皇のお言葉をお受けするべきだと思った。

 それ故、
 出雲大社に参ったので、非才を顧みずに、本通信を書くことにした。
 何故、出雲大社に参ってからなのか。
 それは、
 畏れおおくも天皇について書くからであり、
 出雲大社が、
 「天皇を戴く君民一体の国」である現在に至る我が国の本質(國体)を、
 太古において鮮明にした地であるからに他ならない。
 即ち、出雲は、美智子皇后の御歌
  
   國譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びて止まず
 
 まさに、この場所であるからだ。

 そこで、一体、この場所で何があったか。
 世界諸民族の歴史上、我が国にしか起こりえない、奇跡のようなことが起こった。
 古事記は次のように伝える。
 天照大神のお使い、建御雷神(たけみかずちのかみ)が、
 出雲の国の海岸に上陸して、 
 その領主である大国主神に面談して次の言葉を発して國譲りを促す。
 「汝がうしはける葦原中国は我が御子の知らさむ国ぞと事依さしたまひき。
 故、汝の心は奈何に」

 天照大神の使者は、大国主神に言った。
 汝(大国主神)は葦原中国(あしはらのなかつくに)を「うしはく」
 つまり、この土地と人民を、我が物として領収し支配している。
 しかし、わが御子(天皇)は葦原中国を「知らす」
 つまり、この土地と人民を、我が身に受け入れて自他の区別なく一つに溶けこむ。
 それ故、葦原中国を、汝の「うしはく」ものから天皇の「知らす」ものに
 解放して土地と人民を天照大神の御子である天皇と一体のものとしたら如何か。
 すると大国主神は、
 建御雷神の要求を受け入れ、葦原中国を、
 自分の「うしはく」ものから
 天照大神の御子(天皇)の「知らす」ものに譲り
 出雲大社に祀られた。
 
 これが皇后陛下が詠われた、
 大国主の奇しき御業である。
 
 そして、この御業によって、我が国は天皇の知らす国となって現在に至る。
 天皇の知らす国、即ち、我が日本とは、
 天皇を戴いて、天皇と民が家族のように一体となって和を尊ぶ国、ということだ。

 さらに一歩深めて、天皇の知らす国の、
 天皇その方のこと
 を思いたい。
 如何なる、御存在であろうか、と。
 それは、国家と国民のために、常に無私にして祈る存在である。
 このことを元侍従次長木下道雄は次の通り表現した(同人著、「宮中見聞録」)。

  弘安四年、元兵十万余、軍船三千隻を以て博多湾に来寇し、
 祖国の運命まさに累卵の危うきに当たっては、
 亀山上皇の身を以て国難に代わらんことを、
 伊勢の大廟に祈らせるるあり、
 また、今時の大戦の終局に際して、
 今上陛下は、国民を庇って、
 戦争の全責任を自ら負うべき旨を、
 敵将に言明せらるるあり、
 その他、世乱れて庶民困窮のとき、如何に多くの祈願が、
 歴代の天皇様方によって行われたであろうか、
 これは、今に残る御詠のかずかずを拝見しても明らかである。
 これみな、「知らす」の重責を負わるる
 歴代天皇の聖なるみ姿でなくて何であろう。
 ・・・
 後に今上陛下(昭和天皇)は、東宮殿下(今上陛下)の御補導役を命いぜられた小泉信三の質問に対し、
 「これは我が家の(国を知らす)伝統である」とお答えになった(引用終わり)。

先にも書いたが、大日本帝国憲法を起草するに当たり、
 伊藤博文が、外国で外国人から「憲法とは何か」を教えられていたとき、
 井上毅は、国内で我が国の古典を研究し、
 歴史を貫いて現在に至る我が国の形、
 即ち、国体とは何かを不眠不休で見つけ出そうとした。
 そして、大国主神の国譲りの御業にある
 「うしはく」と「知らしむ」の統治原理の差に着目し、
 「知らす」を以て我が国体の原理として
 大日本帝国憲法を起案したのである。

 以上の通り、
 我が国の天皇とは、無私にして祈る御存在である。
 次は、昭和天皇の御製

   我が庭の宮居にまつる神々に世の平らぎを祈る朝々

 まさに昭和天皇は、毎朝、世の平らぎを神々に祈っておられたのだ。
 また、順徳天皇の「禁秘抄」には次の通り書かれている。
 「およそ禁中の作法は、神事を先にし、他事を後にす。
  朝夕に敬神の叡慮、懈怠なし」

 このように、天皇の本質は、「世のために民のために祈ること」にある。

 では、天皇は、如何にして祈られるのであろうか。
 
 「それは一子相伝で公表されることがない。
 侍従長も宮内庁の役人も中身を知らない。
 皇位の継承というのは、
 天皇から皇太子への秘伝の伝授、
 師資相承なのである」(宮崎貞行著「天皇の国師」)

 「昭和二十年元旦、午前五時過ぎ、
 陛下は、・・・これから賢所内にある綾綺殿で、
 御袍、衣冠束帯にお召しかえ、神嘉殿に向かわれて、
 この年のはじめての行事の四方拝が行われるのだが・・・
 警戒警報の発令だった。
 通常ならば侍従長以下、武官、皇宮警視は賢所裏門まで供奉し・・・
 掌典長の先導で神嘉殿に進ませられ、
 神嘉殿ではただお一人で、皇祖相伝の四方拝の儀式をなさるのだが、
 この儀式は侍従すら誰一人もみたことはなかった。
 一子相伝というか、陛下だけのものである」(藤田尚徳著「侍従長の回想」)。

 これ以上縷々書くこともないであろう。

 天皇陛下とは、
 知らしめる天皇として
 無私にして祈る御存在であらせられる。
 従って、天皇のお言葉は、
 この祈りから国民に発せられるのである。
 即ち、おおみこころ、とは
 祈る存在としてのお言葉なのだ。

 ここで、私の冒頭に記した違和感の依って来たる原因をお分かり頂けたと思う。
 つまり、天皇陛下の「憲法」に記載された国事行為などの「公務」は
 天皇の御存在の本質的な分野ではないのだ。
 その本質は、
 あくまで神秘な世界の神々に対する祈りにある。
 それ故、尊いのである。
 
 知らしめす天皇にとって、
 自ら執り行われるのは祭祀であって、
 国事行為などの政務は、臣下に任せて、
 それをあとで臣下から「きこしめす」のでよいのである。

 しかるに、天皇の生前退位に関する
 今のマスコミ報道と識者の声は、
 まるで一般社会における「引退」の話、
 「公務員の人事異動」の次元ではないか。
 
 断じてそうではない。
 マスコミと国民は、意識を転換しなければならない。
 天皇の祈りは、
 皇祖相伝、
 即ち、神武天皇以来の百二十五代にわたる相伝の祈りなのであるから、
 その祈りから発せられたお言葉を、
 神意として、
 全ての国民が一致して深く受け止めねばならない。
 
 そして、内閣は、
 お言葉が発せられたならば、
 そのお言葉に沿って、何も軽々しく云々せずに、
 粛々として務めを果たせばよいだけである。

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