八月十五日の靖国神社
平成15年8月17日(日)
昨八月十五日の靖国神社は、滂沱の涙のような雨に包まれていた。
その無限の雨の雫のもとで、人々は、黙々と参拝し、思い思いに境内を歩いていた。
私も、その中の一人であった。
雨は冷たい雨であった。
既に残暑の過ぎた頃の十月下旬の冷たさであった。
昭和二十年八月十五日と同じ、照りつける太陽の下のうだるような暑さ、白い地面、その中で頬をつたう、汗と涙。
この例年の靖国の八月十五日の情景ではなかったのだ。
これは、何だ。
英霊が泣いて滂沱と流す涙か。ふと、そうつぶやいてしまう。
では、英霊は何を悲しむのか。それは、国土と国民を守る意思と体制のない我が日本の姿を悲しむのである。
「われらは、このような祖国を出現させるために、山に海に屍を晒したのではないぞ」
北朝鮮による日本人拉致問題が、日本の政党政治に突きつけてきた課題は、あまりにも重大であった。
然るに、その課題から目をそらし続けてきた政党政治のつけを、これからわれわれは払わねばならない。
国民は、やがて始まる六ヵ国協議において、当事者として扱われない被害国であるわが国の姿をまざまざと見るであろう。
国際社会で、国民と国土を自力で守ることができないまま、怠慢を放置してきた国家が、正当な扱いを受けるはずがないのである。この当然のことを、これから見ることになる。今までは、金を出したのに、金額に見合った扱いを受けていないという不平程度で済んできたが、拉致問題だけは、そうはいかない。
当然の朝鮮総連徹底捜査も、経済制裁も決断できなかった日本政治のレベルでは、いかに懇願しようが、生きているものが死んだことにされ、北に拉致されたものが入国の事実なしにされるのだ。これは、戦後政治が自ら招いた国の恥、屈辱である、と同時に、国民の悲劇を放置する政治の姿である。
この政治の構成員である与野党各党の団子が、こぞって福祉の充実を図るという公約やらマニフェストやらを流す。だまされないでほしい。これほど笑止千万なことはない。
では聞く。拉致された横田めぐみさん有本恵子さんらの福祉をいかに充実するのかと。
まず、この切実な問いに答ええる者に、初めて福祉を語る資格があるのだ。
よって、この切実な問い、切実で具体的な福祉の確保、これを突き詰めれば、「最大の福祉は国防である」となる。
これが、現下の政治の課題である。このためのマニフェストを書いている政党はどこだ。