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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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日本のこころを語る

平成28年3月28日(月)

 二十五日の夕方、札幌市の厚別区民会館で、
 日本のこころを大切にする党主催の集会が開かれた。
 その集会で、「日本のこころ」を語ることになった。

 我が国に内外の危機が迫っている。
 まさに内憂外患である。
 そして、この内外の危機に如何に対処し、如何にそれを克服するか、
 真に国家と国民のためにそれを言うならば、
 自ら「戦後体制」から脱却して言わねばならない。
 何故なら、迫る危機は、
 もはや「戦後の危機」ではなく、
 既に、「戦前の危機」だからである。

 この時に際し、この危機克服の前提として、
 「日本のこころ」を自覚することは最も重要なことである。
 死活的に大切なことである。
 何故なら、守るべきもの、子孫に伝えるべき大切なもの、
 を自覚せずして何も守れないからである。

 三島由紀夫が言った、
 「日本はなくなって、
  その代わりに無機的な、からっぽな、ニュートラルな・・・
  抜け目がない、或る経済大国・・・」
 を何で命をかけて守ることができようか。
 
 我々は、まず、この観点から、
 「日本のこころ」を自覚しなおすことが必要である。
 そして、これが、戦後体制からの脱却の第一歩である。
 何故なら、「戦後」とは「日本のこころを封印していた時代」だからである。

 まず、我々はあまり自覚していないが、
 台湾(海外)からみて、
 日本人および日本のこころ(精神)の様相はよく見えるようだ。

 台湾の蔡焜燦さんは戦前の日本統治時代に生まれ育った方で
 司馬遼太郎を案内して台湾を歩き、司馬さんから老台北といわれた方だが、
 自らの生い立ちと台湾と日本の体験的関係を書き記した著書の表題を
 「台湾と日本精神」とされた。
 
 また、李登輝時代に生まれ育った二十歳代の台湾青年達は、
 一昨年の馬英九政権による中国よりの政策に抗議して国会内に座り込んで占拠し、
 馬政権に中国より政策を転換させた。
 この世代の青年の一人が、
 台湾は中国の一部とする前提での中国人観光客の意見に対して
 次のように反論したと産経新聞が伝えていた。
 押し寄せる中国人観光客が驚くのは、台湾の人々が秩序正しく街が綺麗で整然としていることである。
 そこで、中国人観光客が言った。
 「中国は文化大革命で中国の古典の勉強が途絶えたが、
 台湾ではそれを続けていたので台湾は綺麗なのだ」
 それに対して、台湾の若者が、それを否定して次のように応えた。
 「違う、台湾は日本時代を経験しているから綺麗なのだ」

 この台湾の戦前の世代と二十歳代の若者の世代は、
 ともに日本人と日本の精神(こころ)の在り方を我々よりも実感している。

 また、フィリピンのルバング島で、
 戦後三十年間にわたって命令を遂行するために投降せず戦い続けた
 帝国陸軍少尉小野田寛郎さんの
 日本への帰還(昭和四十九年)と死亡(平成二十六年、九十一歳)に際して、
 海外のマスコミが掲載した記事には、
 戦後に日本人に封印されていた「日本精神(ココロ)」を持続し続けて生きた
 日本人小野田が紹介されていた。
 
 「彼は、戦後の物質的繁栄の中で、
 多くの日本人が喪失していると感じていた誇りを喚起した」、
 「彼がフィリピンのマルコス大統領に投降の印として軍刀を差し出した光景は、
  古いサムライのようだった」・・・ニューヨーク・タイムズ
 「彼は、忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」・・・ワシントン・ポスト

 ここに、以上を記したゆえんは、
 戦後ではなく、既に戦前の危機に直面しつつある我々は、
 いまこそ、太古から日本人の血に根ざして連続して流れている
 「日本のこころ、精神」を自覚しなければならないと思うからである。

 そこで、
 昭和二十二年五月三日に施行された
 「日本国憲法」という文書(以下、二十二年文書という)を点検するに際し、
 一つの重大な観点を指摘しておきたい。
 それは、
 「我が国における国家統治とは何か」
 ということである。
 
 何故かというに、これこそ欧米諸国の国家統治の観念と全く違う
 我が国の根本的な要点であるからである。
 しかし、二十二年文書は、
 明らかに欧米諸国の国家統治の観念に依拠している。
 つまり、我が国の在り方と根本的に違うのである。
 この文書を書いたのは、
 アメリカ人であるから当たり前であるが。

 さて、
 万葉集は、その第一巻冒頭の歌の前に
 「泊瀨朝倉の宮にあめのしたしろしめししすめらみことの御世」
 と記してある。
 その「あめのしたしろしめす」とは何か。
 それは、天皇が天下におられる、という意味である。

 泊瀬朝倉の宮におられ統治されたのは、
 第二十一代の雄略天皇であるが、
 我が国が神武創業以来、万世一系の天皇を戴くということは即ち、
 初代の神武天皇から続く全ての天皇、
 二十一代の雄略天皇も、
 百二十五代の今上陛下も、
 「あめのしたしろしめししすめらみこと」
 として今日に至っておられるということである。

 ここで確認すべきは、我が国の天皇による統治の在り方は、
 「しろしめす」つまり「しらす」
 というやまとことばで示されているということだ。

 この「しらす」という言葉は、
 古事記の神代の巻の大国主神の國譲りの物語にでてくる。
 高天原におられる天照大御神の使いである建御雷神(たけみかずちの神)が
 出雲に上陸して、そこを統治する大国主神に対して
 次のように國を譲るように言う。
 
 「汝が『うしはける』葦原の中つ國は、わが御子の『しらさむ』國」と。

 ここにおいて明らかなことは、
 古事記は、
 統治の在り方として、
 「しらす」と「うしはく」とを明確に分けて、
 大国主の統治を「うしはく」とし、
 わが御子即ち天皇の統治を「しらす」と述べていることだ。

 では、「うしはく」と「しらす」の違いは何か。
 本居宣長は次のように説明している。

「うしはく」・・・或る地方の土地人民を、我が物として、
         我が私有物として、領有し支配すること。
「しらす」・・・見るも、聞くも、嗅ぐも、飲むも、食うも、知るも、
       みな、自分以外にある他の物を、
       我が身に受け入れて、他の物と我とが一つになること、
       即ち自他の区別がなくなって、一つに溶けこんでしまうこと。

 ここにおいて明らかなことは、
 天照大神が使者をして大国主神に伝えさせた
 「葦原の中つ國は、わが御子のしらさむ國」
 とは、
 日本とは、天皇と民が、一体となって、
 自他の区別なく一つに溶けこんでいる國ということである。
 そして、この「しらす」が、
 天照大神の「わが御子」の建国と統治の大原則であるという言葉を聞いた大国主神は、
 自分の統治よりも、
 天照大神の御子である天皇と民が一体となることが尊いと思い、
 國を譲るのである。
 
 この「うしはく」と「しらす」という統治原理の違いを踏まえて國譲りの物語をみるとき、
 皇后陛下の次の御歌どおり、
 なんと尊い物語かと思うとともに、
 この物語によって我が国の創業があり、
 その創業から東日本大震災の時に、世界に前に明らかに顕れた
 現在に続く天皇の統治の在り方があるとしみじみ思うのである。
 そして、この天皇と民の一体としての絆から、
 日本のこころが生み出されてきた。

    國譲り祀られましし大神の奇しき御業を偲びて止まず

 この天皇と一体となった民が生みだすものは「和」である。
 従って、聖徳太子は十七条の憲法の冒頭に、
 日本のこころ、「和を以て貴し」と記された。

 さて、この我が国の太古から現在に続く天皇の統治のあり方において、
 天皇と民とが一体であるということは、
 統治において、
 統治する者と統治される者を統治者と被統治者に二分しないということである。
 二分するのは、「しらす」ではなく「うしはく」であり、
 現在においては、欧米の統治思想である。

 明治二十二年二月十一日、大日本帝国憲法が公布された。
 この大日本帝国憲法は、
 伊藤博文、井上毅、伊東己代治、金子堅太郎らの
 長年の必死の真剣勝負のような日本の歴史と伝統の探求の末に
 井上毅を中心として起案されたものである。

 そのとき、井上は、古事記の「しらす」と「うしはく」との違いに深く着目し、
 我が国の統治の原理である、やまとことばの「しらす」に含蓄される
 我が民族の伝統と思想の保全に細心の注意を払う。
 
 従って、井上の起案にかかる大日本帝国憲法の如何なる条文にも
 「主権」という文字はない。
 主権は、国家の生命であり、
 それは我が国にあっては、
 君民合体のなかにこそ在り、
 国家の構成員を統治者と被統治者に分割して、
 主権は、その何れかにあるとすることは観念上あり得ないからである。

 しかるに、二十二年文書には、「主権」という言葉をむやみに使う。
 まるで新興国家の「独立宣言」の如きである。
 曰く、「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)
 曰く、「・・・(天皇の)地位は主権の存する国民の総意に基づく」(第一条)

 しかし、これはウソである。
 第一に、「この憲法」を確定したのは「日本国民」ではなくGHQである。
 第二に、「天皇の地位」は、天照大神の天壌無窮の神勅による。
 
 このようなウソを書いた者は誰か。
 それは、日本人ではなく、GHQ民政局の
 三十歳代のチャールズ・ケーディス大佐をチーフとする二十五名のメンバーが、
 昭和二十一年二月四日から十二日までの
 わずか九日間で書いたのだ。
 従って、こいつらは日本の歴史も伝統も何も知らずに
 「日本国憲法」を書いたのだ。
 書いた内容がウソになるのは当たり前だ。

 彼らGHQの二十五人のスタッフの頭の中にある統治原理とは、
 まず、統治者と被統治者を二分し、
 統治者は、神から与えらえれた主権を行使して被統治者を統治するとしていた。
 そして、次ぎに、
 その主権が被統治者にあるとするのが主権在民で民主主義だというものである。
 
 その上で、彼らは、日本において、
 「主権は国民に存することを宣言」さえすれば、
 日本は民主主義の國になると思ったのである。
 つまり、日本はそれまで民主主義国家ではなかったと、
 彼らは思い込んでいたのである。
 
 アホか。

 日本は神武創業の時から、
 彼らの想像もできないほど、君民一体の民が主体の國だ。
 そして、古代において、
 聖徳太子が「和」と「衆議」を以て物事を決める原則と宣言し、
 近代化を始める明治維新に当たり、
 日本は「広く会議を興し万機公論に決する」ことを宣言している。
 即ち、日本は、
 神代においても、古代においても、近代においても、
 一貫して天皇を戴く君民一体の民主の國であり、
 天皇を戴いているが故に民主の國である。

 以上、北海道札幌の区民会館と翌日の街頭で「日本のこころ」を話したので、
 さらに詳しく書き留めた次第です。
 なお、多くを教えられた書に、
 木下道雄著「宮中見聞録」(日本教文社)があり一読をお薦めする。

 
 

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