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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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茂原で話したことと思ったこと

平成27年9月14日(月)

 十二日から十三日の午前まで、千葉の外房に近い茂原にいて、
 「日本と日本人」という題でお話をし、翌朝、森と田園のなかを通り、
 茂原出身の大田実海軍中将の生家のよこにある顕彰碑に参ってきた。

 この度の講演でいただいた課題は、「日本と日本人」であるので、
 事前に、危機に於ける日本人の姿について考え、
 昭和二十年四月一日のアメリカ軍上陸以降の本格的地上戦闘となった沖縄戦で戦った
 海軍根拠地隊の司令大田実海軍中将が、
 六月六日夜、海軍次官宛て発信した電報を読み返し、
 そこに県民の様子について次の表現があるのに注目した。
 
 「輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり」
 
 電文は、この表現のあと、
 「一木一草焦土と化せん。糧食六月一杯を支うるのみなりという。
 沖縄県民斯く戦えり。
 県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」
 と結ばれる。

 そして、茂原で次のように言った。
 
 危機に於ける日本人の姿は、『黙々として』と表現されることが多い、
 大田実海軍中将は、沖縄県民の姿を、
 『黙々として雨中を移動するあり』と表現した。
 
 関東大震災の一週間前に日本に来て大震災に遭遇したドイツ人のへルマン・ホイベルスは、
 宿舎の前を避難してゆく被災民の姿を観て、
『夜中に人々は黙々として荷物を担いで避難していった。
 その姿を見て、私は日本人が好きになった』と言って、
 それから四十年間日本に滞在して日本で死んた。

 また、アメリカ人の日本文学研究者ドナルド・キーンさんは、
 四年半前の東日本大震災の日本人を見て、
 『作家の高見順は空襲から疎開するために上野駅に集まっている人々を見て、
 日記に次のように書いている。
 黙々と避難してゆく人々を見て、私はあの人達と共に生き共に死にたいと。
 私は高見さんの気持ちがよく分かる』と言って日本人に帰化した。
 彼も高見順と同じように日本人として死のうとしたのだ。

 話を終えて、懇談になったとき、主催者の茂原の方が、
「先ほど話された大田実海軍中将は、茂原の出身です。
 明日、中将の生まれた家の前にある顕彰碑にご案内します」と言ってくれた。

 沖縄の小録にある帝国海軍陸戦隊の沖縄根拠地隊の地下壕の司令部は何度も訪れており、
 大田中将の自決した司令官室と隣りの参謀が手榴弾で自決した、
 漆喰の壁に手榴弾の破片が突き刺さっている部屋の様子は脳裏に焼き付いている。

 私は、大田中将が茂原出身の方であるとは知らなかったので、
 沖縄の暗い地下壕を思い浮かべ、
 あそこで亡くなった方が、
 こののどかな茂原で育った方だったのかとため息がでる思いだった。
 
 翌朝、抜けるような青空の下、森と田んぼの田園風景の中を走り、大田中将の家の前に着いた。
 そして、昭和二十年六月二十三日午前一時に自決する大田中将が、暗い地下壕の中で、
 
 「身はたとへ 沖縄の辺に朽ちるとも 守り遂ぐへし大和島根は」
 
 と辞世を詠むときに思い描いたであろう、
 故郷の、抜けるような青空と、朝の日差し、そして森と田んぼを眺めた。

 大田中将自決前最後の電報二通
 
 発 沖根 昭和20年6月12日 1335(13時35分)
1 朝来、敵戦車および歩兵、当司令部壕外に蝟集し、煙弾を打ち込みしあり
2、我が方、およそ刀をもって戦いうる者は、いずれも敵に当たり、しからざる者は自決しあり
3、74高地2か月余りの奮闘も、本日をもって終止符を打つものと認む

 発 沖根 昭和20年6月12日 1619
  これにて通信連絡を絶つ


 なお、
 「従四位勲二等功一級 海軍中将大田実 顕彰碑録」の署名者は、
 「級友 日本国防協会長 保科善四郎」とあった。
 
 私が、この保科善四郎の名を見て思い浮かべたのは、
 アメリカ、イギリスとの開戦を決定する昭和十六年十二月一日午後二時開会の御前会議の前日、
 昭和十六年十一月三十日における弟君である高松宮の
 天皇に対する開戦阻止の必死の諫奏に関わった人物だということだった。

 昭和十六年十一月三十日、高松宮は、
 天皇に謁を求め海軍は開戦を回避したいと願っていると告げて、
 翌十二月一日の御前会議での開戦決定を阻止しようとした。
 その時、ご兄弟は「激論」となり、
 天皇は弟に「出て行け」と申されたとも伝わっている。

 それから三十四年後、
 高松宮は加瀨英明さんのインタビューを受けられ、
 始めてその日のことについて発言された。
 「海軍省兵備局長保科善四郎少将から、天皇にそう申し上げることを依頼された」と。

 高松宮は真実を言っておられるが、
 一局長が、このような重大事を自らの判断で天皇に伝えるようにと動くはずがない。
 保科善四郎に「開戦不可」の伝達を頼んだ者のことは申されていない。
 
 それは誰だ。
 
 それは、連合艦隊司令長官山本五十六である。
 と、鳥居民氏は、断定されている。

 この開戦決定前夜のことは、
 昭和天皇も高松宮も、何も語られず、
 保科善四郎も山本五十六も、何も語っていない。
 しかし、大本営から北太平洋を東に向かう機動部隊に、真珠湾攻撃を命じる
 「ニイタカヤマ ノボレ」の暗号電が発せられる前に、
 それを阻止する動きがあったことは確かである。

 以上、茂原で思い浮かべたことを書き留めた次第。

 茂原で私の話を聞いていただき、
 私に色々お教えくださった茂原の皆様に、心よりお礼申し上げます。

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