|
平成二十年が過ぎてゆきます。私にとっても忘れ得ぬ年、平成二十年です。 本年一月九日には、私の長男の林太郎が二十六歳で、 九月二日には兄勇三が六十三歳で相次いで天に帰りました。そして、私は息子も兄も、永遠の安らぎのもとにいることを信じています。 日々、発作のようにこみ上げる悲しみがありました。し…
今朝十二月二十七日の産経新聞朝刊、「産経抄」を読み深く感動した。京都黒谷にある会津藩士の墓に、会津若松の高校生が修学旅行の途上で詣でるという。また、曾祖父が会津藩士だった早乙女貢さんの著書「会津士魂」のあとがきにある、「彼らの怨みは、ひとしく、討幕派によって、朝敵・賊軍の烙印を捺されたことにあ…
今日は天皇誕生日である。 昨夜、最終の新幹線で堺に戻り、今朝は、自宅近くの仁徳天皇陵に参拝し、天皇皇后両陛下のご健勝と御皇室の弥栄、そして、日本再興を祈った。 思えば、この仁徳天皇は、今に続く皇室の 「民の幸せを祈る天皇」の原像を歴史に刻まれた天皇である。 即ち、仁徳天皇は、民のかまどから煙が…
十七日には、「改革クラブ」として官邸に赴き、麻生首相を激励するとともに緊急に政策提言を行った。 提言の経済面における骨子は、総需要を喚起する為に思いきった財政出動を促すものである。 日本経済を支えているのは内需であり、輸出ではない。輸出はGDPにおいて十六パーセント余の割合を占めているに過ぎな…
五日の夜は福島県白河の林養魚場において、その近隣のみならず遠く会津若松や仙台そして郡山などから有志が集まり、教育再生・日本再生について勉強会と忘年会が行われた。講師は、戸塚宏さんである。私もしばし語らしていただいた。 七日は、大阪の国民会館で「大東亜戦争顕彰講演会」が行われ八尾市会議員の三宅…
現在、北京で北朝鮮の核査察に関する六者協議が行われている。正確には、今のところ、協議を行うために各国主席代表が北京に集まっているだけ。 何をしたいのかと言えば、十月にアメリカ国務省のクリストファー・ヒル国務次官補が、核開発に関して北朝鮮と「合意」したという内容の確認だ。 その内容たるや、核施設の…
今日は、十二月一日。早朝街頭に出てから既に二ヶ月が経った。その街頭で、私は何を訴えてきたのか。 その訴えの大きな柱は、「北朝鮮による拉致被害者の救出」である。拉致被害者救出の国家的課題が、通勤を急ぐ人々の心に響き、その願いが大きな国民の力になってくれよと念じながら、「北朝鮮に拉致された人々を救…
昨夜、陸海空の各自衛隊の若手(少佐)を交えて率直に懇談する機会があった。 その席から、私が最初に退席したが、その時、思わず言った。「諸君ら、まことにすまん。本来、政治家が戦わねばならないのに、田母神一人に戦かわせてしまっている。選挙区に戻るので今日はこれで失礼するが、選挙区では、『北朝鮮に拉致…
昨日十一月二十五日は、三島由紀夫と森田必勝自決の日である。昨日の東京の日差しは、三十八年前の十一月二十五日に京都の大文字山麓にある学生寮の玄関にさしていた日差しと同じであった。その時、私は寮に戻ろうとしていた。すると、玄関から寮生が飛び出してきて、私に「三島さんが、防衛庁に討ち入っている」と言…
田母神前航空幕僚長の歴史論文に関する更迭劇では、政府与党は、村山談話を理由に田母神氏を更迭し、野党は村山談話を武器に政府を攻撃している。 これでは、与野党対決しているように見えているだけで決して対立はない。与野党仲良く村山談話体制を守っているだけだ。そして、これと戦っているのは田母神氏ただ一人…
今日も早朝、通勤に向かう人が、「田母神前航空幕僚長の言っていることは当たり前ではないか」と話しかけてこられた。そして、「今の政治は、おかしい」との感想を述べられ駅への階段を登って行かれた。実は、私が会うほとんどの人は、田母神さんの言っていることは当たり前だとの感想を述べられる。 ところで、今の…
「強い国」とは歴史の真実を堂々と明言できる国・さらば村山富市
本日十一月一日の朝刊は、歴史認識に関する二つの事件を報道している。一つは、沖縄の集団自決訴訟の控訴審判決であり、もう一つは田母神俊雄氏の航空幕僚長更迭である。 この二つとも、我が国が未だにいわゆる自虐史観・日本悪玉論に縛られていることを示している。前者は司法が、後者は政界が、自虐史観のうんざり…
麻生総理は、解散せずという政治的決断をいよいよ表面に出したようだ。これに対して、民主党は、解散を前提にした「しゃんしゃん」の国会対策を変更し、昨年の福田・小沢の「大連立」頓挫後の国会対策、つまり、「牛歩無き牛歩戦術」に戻るという。ひょっとしたら、本当に「牛歩」をするかも知れない。 この政界のな…
麻生総理大臣の、所信表明演説で、「強い日本」と「明るい日本」という言葉が印象的であった。それは、その言葉が単純で明快で、その通り、と思うからである。と、同時に、いつも私自身が使ってきた言葉だからである。 そして、私は付け加える。日本が強く明るくあるためには「誇りある日本」でなければならない、と…
新しい政党である「改革クラブ」が立ち上がって二十二日が経った。麻生総理大臣を国会で首班指名した九月二十四日に誕生したのが「改革クラブ」だ。 それから毎日、街頭でそして集会で、「改革クラブ」と私の目指すところについて、多くを語ってきた。 今机の前に座る時間を得たので、次の通り、話した内容をまとめ…
十一日午後0時四十分ころ、アメリカが北朝鮮テロ国家指定を解除したらしいという情報に接した。この時、午後一時から奈良文化会館で開かれる「拉致被害者救出、第三回奈良大会」出席のため奈良県庁横を歩いていた。 北朝鮮をテロ国家指定から外したことによって、アメリカは「北朝鮮は他の普通の国と同じ国」と認め…
十月を期して一日の午前六時三十分より、堺市泉北ニュータウンにある泉ヶ丘駅前で、通勤に向かう有権者の皆さんに朝の挨拶を開始した。 以後、二日朝が同ニュータウンの栂美木多駅、三日が同光明池駅で朝立ち。そして、各々の日、朝立ちしてから上京して国会に臨み深夜帰宅した。 四日の土曜日と五日日曜日は、だん…
午後一時から参議院本会議場に天皇陛下をお迎えして国会の開会式が行われた。 天皇陛下が国会に入られるときには、正門前に衆参議員が並んで陛下をお迎えすることになっている。しかし、解散風の故か、衆議院側で陛下のお迎えに出た議員の数は少なかった。 その時、雨が降っていたが、私と周りの議員は、陛下が正門…
二十六日の朝は、元CIA東アジア部長のアーサー・ブラウン氏と朝食をとりながら懇談した。 この朝食会は、解散風が吹く前に、外交評論家の加瀬英明氏からの提案で企画したもので、東アジアの情報について、アメリカの動向について、切実な関心を持っている議員等に参加を呼びかけた。即ち、北朝鮮による拉致被害者…
九月二十四日に、福田内閣が総辞職し、新たに我が国の内閣総理大臣として麻生太郎さんが選ばれた。 まず、同じ議会人として麻生太郎氏がその本懐を遂げ総理の座を得られたことを祝福する。安倍内閣の誕生を祝福した者として、麻生内閣の誕生も祝福したい。 願わくは、麻生総理が、一路、現下の国家的課題に取り組…
九月二十一日午後二時から、仙台市内の公園において拉致被害者救出集会が行われた。その集会で、基調講演をするように以前から要請されていたので、二十一日の朝大阪から仙台に飛んだ。 政界が機能を停止している今だからこそ、拉致被害者救出という我が国の重大問題を国民運動として掲げ続けることは非常に重要なこ…
改めて、我が国が「海洋国家」であることを自覚したい。 というのは、我が国の国政は未だに我が国が海洋国家であることを自覚していないからである。 もちろん、国政に携わる者は、我が国が島国であることは小学生の頃から知っているであろう。 しかし、単なる島国と海洋国家とは違うのである。 かつての人気マ…
九月に入ると、岸和田で「だんじり祭り」が行われ、たいそうな人出で岸和田の町はにぎわう。 そして、十月の中旬まで、堺や泉州各地でだんじりやふとん太鼓を曳いたり担いだりする秋祭りが行われる。この秋祭りは、各地区にある神社の神事・祭礼として行われる。まさに伝統的な行事である。 言うまでもなく、これは…
この頃、人に会えば、よく北朝鮮の金正日はどうなっていると尋ねられる。 彼が九月九日の軍事パレードの観閲を欠席して以来、脳卒中による死亡説から重病説まで伝えられてきたからである。 尋ねられるこちらも確固とした情報があるわけではないので、「トップとしての執務ができない状態なのは確かではないか」とい…
死によってではなく、突然、理由も分からず、最愛の息子、娘また兄弟姉妹を切り裂くように奪われ、長年あてどもなく探し続けている肉親のつらさ苦しさは、その方々と直に接してみなければ分からない。 北朝鮮に拉致された被害者は、数百名に及ぶ。その被害者の一部である十数人の方々を、政府は北朝鮮による拉致被害…