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アジア諸民族そして人類の未来のために、中国共産党独裁体制を打倒する時が来た
二十世紀は、初頭の日露戦争から第一次世界大戦さらに二十年後の空前の第二次世界大戦を経験した世紀であったが、その最後の第二次世界大戦の勝者は、我が日本と、第一次世界大戦中の一九一七年にロシアのロマノフ王朝の帝政を打倒して誕生した共産党独裁国家ソビエト連邦であった。さらに、アメリカも植民地は失ったが…
教育と国防に関して記しておきたい。我が国を軍事占領していたGHQ(連合軍総司令部)が、日本を弱体化したまま固定するという日本占領統治目的の為に書いた「日本国憲法」を「日本の憲法」とする「戦後という時代」にある現在の我が日本では、小中学校の義務教育においては、もちろん、高校から大学院に至っても、教…
安倍総理、新型コロナウイルスと闘うということは、習近平と闘うということだ!
二月十九日の「今、歴史の大転換期 日本のルネッサンス期だ」と題する「時事通信」の冒頭、うっかり「新型ノロウイルス」と書いたが、「新型コロナウイルス」が正しい。とはいえ、感染症の専門家なら、「ノロ」とか「コロナ」とかの名称で、的確にウイルスの素性が分かるのだろうが、大半の人々には名前の由来が分から…
令和の御代最初の新年も、はや二月下旬に入り、中共発の新型ノロウイルスの蔓延と相乗して、「一月行く、二月逃げる、三月去る」と昔の人の言いし如く甚だ慌ただしい。しかしながら、この慌ただしい中で、我が国の命運に関する忘れ去ってはならぬことをここで指摘しておきたい。それは、先帝の御譲位と新帝の践祚及び剣…
七十八年前の昭和十七年二月十四日09:00、マレー半島南部のジョホールバル州クルアン飛行場を、落下傘降下兵三百三十九名が搭乗した輸送機、投下する物流箱及び武器弾薬を搭載した輸送機そして、護衛の隼戦闘機、合計八十八機が、南を目指して飛び立った。機内の落下傘降下兵らは、離陸二十分後、眼下に、山下奉文…
令和二年一月二十九日の朝刊は、中国の武漢市で発生した新型コロナウイルスが、日本国内で人から人へ感染したことを始めて確認したと報じている。この人は、武漢市からの観光客を乗せたバスの運転手で、武漢への渡航歴はなく日本人初めての感染者となった。これで、我が国内で感染が確認された患者は武漢在住中国人で日…
戦後から日本を回復する、即ち、抜本塞源、即ち、悪の根源を絶つ
令和二年になった節目に、改めて確認しておきたいことがある。それは、我が日本には、「世俗の法」とは別に「國體の法」もしくは「天皇の法」、「禁中の法」ともいうべき不文の法が厳然としてある、ということだ。この「國體の法」は、次の尊い社会的事実のなかで、我らの眼前に顕現した。 即ち、先帝陛下は、平成二…
これから「日本国憲法」を点検する。前提(1)昭和二十年九月二日、我が国は、アメリカ、イギリスら連合国に対し、「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は、連合軍最高司令官の制限下におかれる」と明記された「降伏文書」に調印し、同二十七年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約発効までの間、連合国の軍事占領…
一月十一日に行われた台湾総統選挙で、民進党の蔡英文総統が過去最高の得票で中国国民党候補に圧勝した。この勝利に対して我が国の政府高官から台湾に祝意が示された。この祝意に対して中共の外相が、「一つの中国の原則に反している。強い不満と断固として反対を表明する。」と抗議した。そこで、まず言っておく。「こ…
令和の御代の最初の元旦を迎え、感ずるのは「東亜動乱の予兆」である。思えば、「平成の御代は戦争のない平和な時代だった」という軽薄な論調のうちに、令和の御代が始まった。しかし、危機を、見れども見えず、昨日の如く明日も平和であろうと思い込む惰性に身を委ねて打ち過ぎれば、気がつけば、既に我が国は「動乱の…
日本を信じよう!歴史と伝統のなかに脈々と生きる天皇と国民の絆こそ我が国最大の国力
我が日本の國體にとって、まことに最深にして最重要な神事である新帝の大嘗祭が行われ、令和元年も、いよいよ大晦日を迎える。そして、令和二年を迎える今、改めて平成の御代の位置づけをしておきたい。何故なら、この位置づけを明確にしなければ、令和の御代に於ける我々の覚悟の在り方も定まらないからだ。それという…
令和の御代がマッカーサー憲法廃棄を促す。救国の改革は大日本帝国憲法への回帰だ
先帝の御譲位と新帝の践祚(せんそ)によって始まった我々の生きる令和元年は、今、師走から令和二年の正月を迎えんとしている。この間、我が国に太古から伝えられてきた新帝の践祚に伴う第百二十六代天皇の「即位礼正殿の儀」や「大嘗祭」などの重要行事が次々と行われてきた。そして、年末が迫る現在も、天皇は、天皇…
香港政府が逃亡犯を大陸の中国共産党政府に引き渡すことを決める「逃亡犯条例改正問題」で、本年六月に香港全土で本格化した抗議デモが続く中で、十一月二十四日、香港全域で香港区議会の選挙が行われ、抗議デモを続けている民主派勢力が八割を超える議席を獲得して圧勝した。選挙前には民主派は百二十議席で親中国派が…
日本は、『一神教の世紀』を克服して『多神教の世紀』を創造する
この度、吉田松陰先生が斬首された十月二十七日の前日である二十六日に小野市の「日本神話の会」の萩への研修旅行に同行して、萩の藩校「明倫館」で明治維新を語れとの要請を受け、また、同時に、「伝統と革新」誌から「アジアの危機に対する日本の方策」について書くように依頼された。そこで、非才ながら、「日本の方…
誤ったシビリアン・コントロールによる自衛隊運用から脱却する時
この度の、東日本に対する台風十九号の襲来に関して、些細なことに見えるが、断じて看過してはならない戦後特有の官庁責任者のマインドに巣くう致命的欠陥を指摘しておく。その欠陥は、十月十三日、午前七時、神奈川県北西端の人口一万人の山北町で次の通り顕在化した。 十二日深夜、山北町は台風と豪雨のなかで断水し…
「偉大な結果をもたらす思想とは、常に単純なものだ」と、ロシアの作家トルストイが「戦争と平和」のなかで述べている。では、東アジアの情勢が動乱にむかう現下の我が国における、「偉大な結果をもたらす単純な思想」とは何か。それを、ともに、十九世紀に生きた日本人三人とドイツ人一人が既に語っている。○吉田松陰…
台湾に生まれた日本人は、北海道に生まれた日本人や東京や大阪に生まれた日本人とともに、今も日本人だ。北方の択捉島や国後島の日本人が、ソ連の同島侵攻と占領とともに、ロシア人になるわけがない。同様に、台湾の日本人が、蒋介石の中華民国軍が台湾に進駐したからといって、中華民国国民になるはずはない。台湾で生…
昭和を甦らせる書碑『霧に 消えゆく 昭和と戦中派』桜井修著(春吉書房)を是非読まれたし
これから、一冊の小さな本を、諸兄姉が手に取り読んで戴くことを願い、この本と、この本を読んで僕が思い出した懐かしい情景を書きたい。僕の世代、そして、諸兄姉においても、この本は、著者が語る回想を通じて、消えつつある昭和の情景を甦らせ、戦前と戦後の連続性を回復してくれる。そう、過去は、過ぎ去った日付の…
前号の時事通信「人類二千年の歴史の中に位置づけられる大東亜戦争の意義」では、ロシアに付いて書いていないので、ここで書いておきたい。前号で、フランスの政治思想学者であるアレクシス・トクビルが「異なる地点から出発して共通の目標に向かって進む二つの民族がある」としてアメリカとロシアを挙げ、両者を対比し…
十六世紀半ばに、我が国は初めて西欧のスペイン・ポルトガルと出会った。しかし我が国は、それから四十年後にバテレン追放令を発し(1587年)、さらに五十一年後に鎖国を実施して西欧と断絶する(1638年)。その我が国が初めて直面した西欧とは何かを確認するために、人類史における一神教の勃興を振り返ってみ…
(序)仁徳天皇御陵私は、昭和二十三年、奈良時代の僧行基が生まれた家原寺の近くの上野芝で生まれ、昭和三十一年から第十六代天皇である仁徳天皇の御陵の近くで育ち、今も同じ所に住んでいる。この世界最大の前方後円墳の墳丘は三重の堀に囲まれた豊かな森で、その堀は約十キロ南東の狭山丘陵に行基が造った巨大な狭山…
令和元年の八月後半、ニュースだけではなく昼間のワイドショーでも韓国大統領文在寅の「反日発言」が連日TV画面に映し出されていた。聞いていて、こいつ、頭の回路が狂っていると感じた。そして、思いだしたのは、明治維新直後に、我が国から天皇名で朝鮮に送られた維新通知の国書への回答を督促すために、朝鮮に赴い…
八月に憂慮すべきこと、カジノと靖國神社に参拝できない総理大臣の憲法改正論
八月二十日の産経新聞朝刊の「正論」の末尾に、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が、カネをばらまいて株価を上げ、訪日外国人がいくらカネをおとしてくれたと喜び、日米関係の強化で平和を守ればよいという『現実』をそのまま擁護も賛美もするわけにはいかないのが『保守』であろう。令和元年は戦後74年である。この時代…
私、西村は、本年八月四日、石川護国神社参道に建てられた巨大な「大東亜聖戦大碑」の前で挙行された、「慶祝、大東亜聖戦祭」に参列し、宮司の「降神の儀」によって、彷彿として「大碑」と参列する我らの周りに降りられてきた祖国を離れた戦地で散華された英霊の気を感じる中で、昭和二十一年二月の九日間でGHQの書…
八月十五日の正午の時報とともに、靖國神社の一の鳥居と二の鳥居の中間点で直立して英霊に黙祷し、午後三時半に、参集殿前に集まった百七十名の仲間、同志とともに昇殿参拝をさせて頂いた。昇殿参拝前の参集殿での待ち時間に、田母神俊雄元航空幕僚長とともに、同志に訴えることができた。田母神俊雄閣下は、次の通り述…