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真悟が征く
2001年より2002年3月まで
「大阪新聞」にて毎週金曜日に連載されていた西村真悟のコラムです。
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平成13年8月17日掲載

 小泉総理は、八月十五日に靖国神社に参拝しなかった。このことを政治家の「言葉」という観点から見よう。彼は、四月から「八月十五日にいかなる反対があろうとも靖国神社に参拝する」と明言していた。五月には衆参本会議において同様の発言を繰り返した。そして発言を維持しながら参議院選挙で国民の信任を得た。ここまでくれば、総理の「八月十五日」の「靖国神社参拝」は公約である。そして選挙で国民はそれを支持した。

 政治家とは英語でステーツマンと言われる。政治家にはステーツ(言葉)を発する者という原義がある。したがって、独裁専制国家の政治家ならともかく、民主主義国家の政治家は、国民に公約し国民から支持をうけた発言を変えることはできない。変えれば、政治家としての資格を失わねばならない。

 ところが小泉総理は、その発言と違う行動をした。これは、参拝に賛成する国民に対しても反対する国民に対しても不利益を与える転向となる。何故なら、彼は我が国の総理大臣であるからだ。この度、国民に約束した総理大臣の発言が、国民以外の外国の圧力で変化することが明らかになった。我が国の総理大臣のステーツは中国の意向で変わる。信用できない。
 この国際的評価は、全国民つまり日本人の評価を傷つけた。

 さて、我が国の慰霊の伝統の中に靖国神社がある。それに対して、現世の政治的認定を死者の世界にまで及ぼして、百年経っても死者に唾を吐きかけるのを当然とする政治世界がある。どちらが、政治と慰霊を分別した霊的な世界か明かであろう。また、真の慰霊とは何であろうか。現世の肉体から離れた魂を、現世の愛憎から離れて畏敬することではないのか。今生きている我々の基準や利害にまみれた思惑を持ち込まないことが真の日本人の慰霊の姿ではないだろうか。私は、この日本人の姿が、清浄であり謙虚であり普遍的であり根源的であることを確信する。死者を政治で分別する精神は、独善的である。

 したがって、独善的なものは、素朴で清浄で根源的な心情を変えることができないことを思い知るであろう。小泉が内政干渉に屈服しても、日本人はこれからも靖国に行く。

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