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■税制と社会のあり方■
税制とは簡単に言えば、国民の金を行政組織が使うためにある。その正当性は、行政組織が「公共のため」にその国民の金を使うというところにしかない。税で、勝手に馬を買ってはならないのである。
では、何が「公共のため」なのかを誰が決めるのか。現状では、ほぼ100パーセント「お上」が決める。つまり、税を使う行政組織だけが何が「公共のため」かを決定するという前提である。しかし、行政組織は「公共のため」を決定してそのためにしか動いてはならないということと、行政組織だけが「公共のため」に金を使えるということとは、全く異なるのである。
私は、国民が自分の金を行政組織を介さずに直接「公共のため」に使える制度を確立しなければならないと考える。それには、国民が「公共のため」に使う自分の金は、行政組織が使う税金と同じ扱いをしなければならない。
つまり、国民は税を払って行政組織に使わせることによって「公共のため」に奉仕する手段と、自分で直接「公共のため」に奉仕する手段の二つを自由に選択しえることが必要なのだ。そして、行政組織に税を渡して使う金の意義と、国民が直接公共のために使う金の意義は全く等価値と考えねばならない。ということは、国民が払わねばならない税の総額のなかで、税務署に三分の二を支払い、直接残りの三分の一を自分の納得する教育をしている学校に支払う、あるいは養老院に支払うということが自由にできなければならないのだ。この場合、学校や養老院に払われた金額は、既に税を支払ったものとして控除されるのである。
繰り返すが、何が公共のためであるかは、官僚が百パーセント決めるのではなく、国民が決めるのである。これは自分の稼いだ金であるから当然であろう。
税をこのように捉えるならば、「お上」が求める税額や税制のあり方は、少なければ少ない程良いとともに、シンプル イズ ベストを旨とすべきである。
従って、相続税などは廃止すべきである。相続税こそ、国民が一生かけて残した財産を、「お上」がどういう理由か取り上げることを前提にした極めて不合理なものである。国民は生きているとき税を納めることで十分なのだ。また、子供達が親の財産をもらってはならないという思想が相続税の根拠ならば、これは既に私有財産を否定した共産主義国家ではないか。
税制の改革は、経済のみならず文化、福祉、教育の総ての分野に影響を与えるものである。現在、歌舞伎や浮世絵などの日本文化といわれるものは、江戸時代に誕生したものである。その理由は、税制にある。当時は篤志家が、文化活動に教育に土木工事に財産を拠出できる制度であった。相続税などはない。もっと遡っても、今に残る奈良の大仏も東大寺南大門も、総て「勧進」つまり国民からの自主的拠出によって建てられた。その当時に比べて、まさに格段に豊かになった現在の日本が、後生にこれほどの文化財を残せるのか。現在のがんじがらめの税制では無理だ。これを豊かさの中の貧困という。鍵は、税制の改革にある。
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