李登輝さんのこと
No.291 平成19年6月11日月曜日
六月七日、早朝の東京は晴れていた。しかし、午前七時頃から雲量が増え始め、その後雷注意報がだされた。 その中を私は、靖国神社に向けて車を走らせ、九時三〇分に神社の遊就館の横を通って社務所の前のカメラの放列の後ろに目立たないように立った。 この朝、李登輝さんは、九時半以降十時までの間に靖国神社に参拝のために訪れることになっていた。 そして、この参拝は、李登輝ご夫妻の私的な訪日のなかの参拝であるので、目立ったところでお迎えすることをせず、カメラの列の後ろに私は立ったのである。
李登輝さんは、午前十時丁度に到着した。車を降りて振り向き、しばし佇む李登輝さんを私ははっとして見つめた。一年半前に台湾の自宅にお伺いしてお会いしたときよりも、さらに髪は白さを増し表情もニコリともせず厳しかった。何時もにこやかに手を振る李登輝さんを見ていたので思わずはっとしたわけである。
遅れて神社の控え室に入ると、李登輝さんの表情は、泣いておられるのではないかと思うほど、沈痛なものに変わっていた。 そして、語られた。 「兄貴は僕より二つ年上でした。僕たちは二人兄弟で仲がよかったんです」 「親父は、兄が死んだことを死ぬまで信じなかったんです。あちこち歩き回って兄貴のことを尋ね歩きました。だけど、兄が死んだとき、家に兄の霊が現れたと家の人が言ってました」 「親父が兄貴の死んだことを信じなかったものですから、兄貴の慰霊はできませんでした。それで、気になって気になって仕方がなかったんです。 しかし、靖国神社に兄貴が祀られていて、今日、六十二年ぶりにやっと兄貴の慰霊ができるんです。 ありがとうございます」 そして、宮司に促されて、李登輝さんご夫妻は、神社の拝殿に向かわれた。 参拝を終えられて控え室に戻った李登輝さんは、また、 「靖国神社にお参りできてよかったです。 ありがとうございます」と言われた。
靖国神社の記録によれば、李登輝さんの兄、即ち、海軍上等機関兵李登欽命は、昭和二十年二月十五日にフィリピンのマニラで戦死。家族は父李金龍氏とある。
さて、神社に到着された李登輝さんの表情の厳しさにはっとした私であるが、控え室でその訳が分かったのだ。 李登輝さんの兄貴への思い、そして、兄貴の死を信じなかった父への思いが、靖国神社に入って心に溢れでたのだった。それが、沈痛な表情となり私には厳しく見えたのだ。
李登輝さんの様子を観ていて、以前、満州で戦いシベリア抑留から帰還された堺の今は亡き溝端昇さんが言っていたことが甦ってきた。 「先生、わしは生きて帰れたけど、昔はなー、靖国神社にお参りしますやろー、その時なー、いつもおばあちゃんやおじいちゃんが来てはって、拝殿に向かって、何々ちゃん、何々ちゃん、て戦死した息子の名前を一心につぶやいてはるんですわー。 この光景、忘れられません。 わしの兄貴も戦死して祀られてるから、東京へ出るたら必ず靖国神社にお参りするんですわ。」
この溝端さんが言っていた遺族の姿が李登輝さんと重なった。 昔、遠くから東京に出てきた遺族は、戦死した息子や兄弟に会うために靖国神社に来た。 この日本人の素朴な慰霊の心、これと同じ心情で、李登輝さんは遠くから靖国神社に来られたのだった。 李登輝さんも「兄貴」の名をつぶやいておられたのだ。それを思うと、私も込み上げてくるものを抑えることができなかった。
それにしても、この隣国の前大統領が、昔の日本人と同じ素朴な心情を以て、靖国神社に参拝し、ありがとうございます、と言ってくれるのだ。 台湾と日本、このような麗しくありがたい関係は他にありはしない。
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