国民の祝日「憲法記念日」

No.286 平成19年 5月 3日(木)

 五月三日は、憲法記念日という「国民の祝日」である。
何故、祝うのかと祝日法(国民の祝日に関する法律、昭和二十三年七月二十日施行)を見れば、「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期す」ためとある。
 そこで、次のことを考えているので述べておきたい。
 その前に、祝日法にいう「国の成長を期す」とは妙な表現だなーと思う。昭和二十三年の施行であるから、敗戦からの復興や発展を期すなら分からないではないが・・・。
 とはいえ、この法律施行時に我が国に君臨していたマッカーサー連合軍総司令官は、「日本人を十二歳だ」といったといわれている。そのマッカーサー様からみれば、十二歳の日本の成長を期すということも頷ける。

1,果たして有効なのか
 憲法記念日を祝日とするには、当たり前のことながら、憲法が有効でなければならない。無効な憲法を祝っていても恥をかくだけではないか。
 では有効なのか。これが問題だ。

 先ず第一に、この憲法の公布及び施行時には、我が国には主権がなく、連合軍の軍事占領下にあり、総司令官マッカーサーが我が国に君臨していた。我が国は、昭和二十年九月二日、ポツダム宣言を受諾して降伏文書に調印したからである。

 毎年この時期には、マスコミでは憲法制定時のドキュメンタリー番組を放映する。昨日、NHKの番組を少し見た。すると憲法を現実に書いた証言者は全てアメリカ人ではないか。その当時の映像を見ても、若いアメリカ軍将校達が起案作業にあたっている。憲法二十四条(家庭生活における個人の尊厳と両性の平等)を書いたのは、当時二十二歳の女性であって、今はばあさんになって証言していた。二十二歳のいわば小娘の時に、日本社会の女性に対する抑圧を止めさせようと思ったと。
 つまり、既に公知の事実は、この憲法を起案したのはアメリカ軍将校であり、彼らはマッカーサー総司令官に従属して、その指揮命令下で我が憲法を起案したということである。
 この事実を前提にして、アメリカの自動車に憧れたように、理想に燃えたアメリカの若者の作品は素晴らしいと思う人もいるかも知れない。しかし、外国人が起案した憲法を後生大事に記念し成長を期すのは、恥ずかしいことだと、私は感じる。

 上記の、日本人なら誰でも知っている憲法制定時の事実に基づいて判断すれば、憲法は有効なのか。そうは言えない。
 
 ところが、憲法の文字面には事実と反対のことが書いてある。
例えば前文の第一文、「日本国民は・・・主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
 この文章が真実なら、我が国は昭和二十二年五月三日には既に独立しているはずである。しかし、我が国は昭和二十七年まで主権を回復して独立するに至らず、連合国の軍事占領下におかれていたのである。つまり、主権のない国民が主権が存することを宣言して憲法を確定できるはずがないではないか。嘘も休み休み言え。
 中学校では、国民が制定する憲法を民定憲法で君主が制定する憲法を欽定憲法とし、大日本帝国憲法を欽定憲法、日本国憲法を民定憲法と教える。しかし、これは虚偽。現憲法が民定憲法であるというのは、まっかーな嘘で、これはマッカーサー欽定憲法なのだ。
 次の例。これも前文にある。「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して我等の安全と生存を保持しようと決意した」・・・マッカーサーが決意しただけではないか。歯が浮く偽善と虚偽である。

 なお、この機会に次の近刊本を読んで頂きたい。
   「日本国憲法無効宣言」
   渡部昇一、南出喜久治 共著。ビジネス社
 また、本日の産経新聞朝刊の「正論」に上坂冬子さんが、憲法制定時を振り返り、「よくもまあ六十年もの間、無抵抗に掲げてきたものだと思う」と述べられ、されに二十四条(家庭生活に関する個人の尊厳と両性の平等)という例の二十二歳のアメリカ娘の書いた条文に関して、「六十年を経て親殺し子殺しとなって結実したとさえ私は思っている」と慨嘆されている。

2,紙に書かれないものと紙に書かれたもの
 憲法は、国家の根本規範であるが、フランス革命以来二百年ばかり、紙に書いたものを憲法とする風潮が世界に生まれた。
しかし、事実に反することを紙に書いても何の効果もなく、反対に偽善・虚偽の証となるだけであり、紙に書いたとおりに国が「成長する」なら、ソビエト連邦や中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国は、それこそ地上の楽園のはずである。

 同じように、昭和二十二年五月三日に、上記の如き経緯で紙に書かれて施行されたものは、所詮紙に書かれたものであり、
これが我が国家の根本規範であると思い込んではならない。
特に、人民共和国ではない我が国においては、昭和二十二年以前の二千年間にわたって我が国を成り立たせてきた根本規範を謙虚に探求すべきである。ここに未だに我が国を律して国の形を成り立たせている規範が存在し、日本語という言葉の体系にも我が国の文化と文明にも現れている。この意味で、我が国はイギリスと同じように、不文の憲法の国であると言える。
 我が国の古来の仏師もミケランジェロやロダンという巨匠も、等しく自分が彫刻を創造するとは言っていないのだ。彼らはその木のなかに、その石のなかに、既に仏や女神やダビデの像があり、自分はそれを見つけ出し掘り出すだけだと言っている。
 我が国の根本規範も、このようにして既に歴史と伝統の中に存在する。昭和二十二年に紙に書かれたものの中にあるのではない。
まして、今の我々が「創り出す」のではない。文化大革命じゃあるまいし。

3、集団的自衛権について
 昭和二十二年に紙に書かれたものを、後生大事にこねくりまわしていた結果、政治が現実を見つめる眼力も気力もなくしてしまった例として自衛権がある。憲法九条は集団的自衛権の行使を禁じているというのが我が国政府の条文解釈なのだ。そして、今有識者の懇談会を設置して検討すると言っている。まるで、有職故実をこねくり回す平安貴族の宮廷政治のようだ。
 では、集団的自衛権とは何かと、人間社会の実感から解明していこう。我々人間は、これを行使し続けてきたから存続してきたのであるから。
 
(設問) 十三歳で北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの母である横田早紀江さんは、何故、娘の救出のために心身の安楽をなげうって疲労困憊しても救出運動を続けているのですか。
(回答) 母早紀江さんは、娘のめぐみさんに対する拉致抑留という攻撃を自分に対する攻撃、否、自分に対する攻撃以上の攻撃と受けとめて、その攻撃と闘って娘を救い出そうとしているのです。

 親は子に対する攻撃を自分に対する攻撃以上の攻撃として理屈なしに排除しようとするから、家族が守られ子が育ち、世代が繋がり、ひいては社会が存続し国家が成り立つ。
 この親の本能的な防御がなければ、人類はここまで続いていない。とっくの昔に無抵抗の子供からサーベルタイガーあたりの餌になっていただろう。そして、この子を防御する行為を軍事用語で言えば、親は集団的自衛権を行使しているという。
 繰り返すが、人間の集団において、この行動がなければ、家族も社会も国家も成り立たない。
 人と人であれ国家と国家であれ、他者への攻撃を自分への攻撃と受けとめる関係が存在する。例えば、親子、親戚、友人、仲間、隣人、同胞、友邦、同盟国・・・。そして、この関係に於いてお互いに助け合うことを以て危機を乗り越えようとするのが人間である。まさに、同胞救出の拉致被害者救出国民運動とは、この人間社会の当然の運動であり、集団的自衛権の行使としての運動である。

 従って、集団的自衛権とは当たり前のことなのである。
 しかるに、我が国政府はこの当たり前の権利を行使できないとしてきたのである。「人と人」の関係よりも箇々の個人を尊び、他者との関係を「個人の尊厳」に対する制約要素として位置づける憲法の人権思想が、親殺し子殺しとなって結実してきたと上坂冬子さんは言っているが、まるでこの憲法の個人主義を、国家と国家の関係に反映させたような代物が我が国政府の憲法解釈ではないか。自分が助けて貰うのは当たり前だが、自分は助けに行かない関係ないというやつだ。

 このような政府解釈になった理由は、その定義にある。政府は、行使しないという結論を導くために、集団的自衛権を、
「他国が攻撃されたときに、自国が攻撃されていないにも関わらず、反撃できる権利」と巧妙に定義している。まるで関係のないところに、ちょっかいを出しに行く権利のようではないか。関係のないところにちょっかいをだす権利などないのは当たり前だ。
 真の集団的自衛権の定義は、「他国への攻撃が、自国に対する攻撃とみなしうる場合に反撃し防衛することができる権利」ということになる。国家間においてもこのような関係は確かにある。親は子に対する攻撃を、友人同士は友人に対する攻撃を、それぞれ自分に対する攻撃とみなすのと同じである。
 結局、集団的であれ個別的であれ、等しく当然の「自衛権」なのだ。強いて二種類に区別して、別々に論ずる意味はないといってもよい。
 
 このように考えれば、我が国では、日米同盟の範囲つまり同盟関係がある国家同士でしか集団的自衛権が論じられていないのであるが、これは極めて思考の幅が狭く中途半端だと言わざるを得ない。自衛権を発動しなければならない事態は、なにも同盟関係に限られるものではない。
 よって、結論だけ述べるが、
 台湾と我が国は同盟関係にはない。しかし、台湾に対する攻撃は、我が国に対する攻撃である。他人事ではない。覚悟しておくべきだ。我々は自衛権を行使する。我が国の存亡がかかっているからである。

 以上、「憲法記念日」の朝に頭に浮かんだことを書いてきた。
いつもの祝日なら、早朝玄関に日の丸を掲げに出るのだが、今朝は、どうもその気にならない。そういえば昨日の晩、若い仲間が
「明日の朝、弔旗を掲げましょうか」と言っていた。

 


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