「祝日に関する法律」について思う
No.285 平成19年 4月30日(月)
昨日、四月二十九日は、昭和天皇のご誕生日であり「国民の祝日」である。昨日は、昭和に入ってから現在まで八十二年間、一貫して祝日である。何故かといえば、四月二十九日は昭和天皇のご誕生日だからである。
しかし、昨年まで、この日は「みどりの日」とされ、昭和を記念するという視点が消されていた。つまり、平成の御世になってから、何故この四月二十九日が祝日なのか分らないようになって十八年が過ぎたのだ。この先さらに年月が過ぎ去れば、昭和は民族の記憶から消えていくであろう。
従って、昭和天皇のご誕生日という四月二十九日本来の意義を明確にしようではないかという国民運動が起こり、二年前に祝日に関する法律が改正されて「昭和の日」となった。
二年前の法改正ならば、昨年から「昭和の日」となるはずなのに、何故二年後の本年からかという疑問が起こる。もっともだが、直ちに昨年から変更すれば、一昨年当時既に印刷業界が大量に制作していた昨年のカレンダーを全て廃棄して作り直さねばならなくなる。従って、二年の間隔をあけた次第である。
昨日早朝、日の丸を我が家の玄関に掲げた。そして、やっと民族のかけがえのない激動の歴史を刻んだ「昭和」という時代を記念する日が戻ったと思った。
また、午前中に近くの体育館で魚本流の青少年空手道選手権大会があったので、その開幕にあたり、参加選手と観客を前にして、「昭和の日」の意義を述べ、世界列強を相手に戦争を遂行した空前絶後の昭和という時代の先人を偲び、武士道の精神をもって正々堂々と闘って頂きたいと挨拶することができた。
そして昭和の日の夕刻には、かつて昭和天皇を道ばたに立ってお迎えした仁徳天皇陵の横を、お姿をお偲びしながら歩んだ。
次に、我が国の祝日に関して、思いつくままに述べたい。
1,昭和の日制定にあたって、その推進にインパクトを与えた国会質問は二回ある。共に、私の出身政党である民社党所属議員によってなされた。
最初は、民社党の柳沢錬造参議院議員の平成元年の質問。
これは、天皇誕生日の四月二十九日を昭和天皇崩御後にも国民の祝日として残し、その祝日を「みどりの日」とするという法案を内閣が提出したときに、昭和天皇の誕生日を祝日として残すのならば、何故昭和という言葉を入れないのかという当然の疑問を表明した質問である。
その次の質問者は、平成六年の民社党衆議院議員の不肖西村。
問、四月二十九日は、何故祝日なのか。
答、永く六十年以上にわたって昭和天皇の誕生日として国民に祝日として定着しているから。
問、では、昭和天皇のご誕生日であるということ以外に、祝日とする理由がないのであるから、昭和の記念日という意義を「昭和の日」として明記すべきではないか。「みどりの日」とは何の記念日か分からないではないか。
答、あー、うー、ごちゃごちゃ(何を言ったのか記憶にない)
昭和天皇のご誕生日が、みどりの日として歴史を消された形に変容させられたのは、いわゆる戦後五十年謝罪決議が国会で為されるような風潮、昭和の戦争が悪い国であった日本によって行われたという東京裁判史観に国民も政府も強く呪縛されていたからだと思われる。これは、私の尖閣諸島視察などの政治行動に対する当時の風当たりからも実感してきたことだった。
なお、「みどりの日」を「昭和の日」とする正論は、展転社という出版社の社長であった相沢宏明さんら事務局と多くの人々のひたむきで粘り強い努力の結果盛り上がった特筆すべき「国民運動」により推進されたのである。この熱意を思うとき、かつて、大正時代に明治神宮の森を育てた国民運動を思い浮かべるのである。
2,平成八年頃のこと、私は内閣委員会の理事だった。そこに、「海の日」制定の法案が出されてきた。明治天皇が東北行幸からのご帰京の途次、汽船に乗船されて東京湾に入られた日である明治九年の七月二十日を記念して「海の日」という祝日にしようとする法案である。
ところが、野党は左翼に引っ張られて(私も野党であったが)、八月十五日を終戦記念日とし、海の日と終戦の日をセットにするなら賛成するが、海の日だけなら反対だと突っぱねていた。そして驚いたことに、どの政党もこの終戦記念日の制定要求に表だって反対しないのだ。自民党は自社連立で社会党とひっついているので反対できない。第一野党にも左翼からの難民が大量にいるので反対しない。
そこで私は、理事達の顔を見渡してから、言えるのは小生だけかと得心して、
「アホか、戦に負けた日を、国民の祝日にする国が世界の何処にある。世界の非常識も、休み休みいってくれ。」
と言って反論があるかと再び眺め回した。すると皆沈黙して憑きものが落ちたようになり、すんなりと八月十五日の「祝日」案が消えて、当初の予定通り七月二十日の「海の日」だけが祝日となった。
それから暫くして、エレベーターで、内閣委員会の与党の長老さんと乗り合わせた。彼は、僕の前で、海運業界の人から、先生のおかげで海の日が制定されました、素晴らしいお力ですねー、と歯が浮くようにおだてられて、盛んに頷いていた。僕は理事会で野党に一言も反論できなかった長老の顔をまじまじと見つめた次第。
確かにこの方は、「海の日」制定の前には、わざわざ僕の部屋までこられて尽力してほしい貴方がたよりだと頼んできた。しかし、「海の日」が制定されてからは、廊下で会ってもエレベーターに乗り合わせても挨拶どころか横を向いて目も合わさなかった。
3,ところで、今の「国民の祝日」であるが、奇妙なことになっている。成人の日、海の日、敬老の日、体育の日などが、例えば「一月の第二月曜日」とか「七月の第三月曜日」というように決められている。せっかく、七月二十日に定まった「海の日」も「七月の第三月曜日」と変更されているのだ。
これは何故かといえば、日曜日と重なる祝日をずらして連休が続くように変えたのである。その理由は、連休があれば儲かる旅行業界と旅館業界の要望を、ある小知恵のきく政党幹部が聞き入れたからだという。彼の根回しと寝技は大したものらしい。そういえば、彼の選挙区には黒潮の流れに面して古来有名な温泉が数カ所ある。
この時私は内閣委員会から離れて安全保障委員会にいた。従って、知らないうちに本会議で、「異議ございませんか」・「異議なし」で通ってしまった。
しかし、考えてみれば、記念日とは「その日」に意義があるのではないか。アメリカの独立記念日やフランスの革命記念日を「○月の第三月曜日」とすればおかしい。
そうであれば、我が国の国民の祝日の在り方もおかしいのではないか。歴史と伝統のない猿・エコノミックアニマルではあるまいし。
このような改正が内閣委員会ですんなり通ったのは、委員の歴史意識が希薄だったからと思う。要するに、国民の祝日や国の記念日から国民や国が外れて、単なる休日となってしまったのである。
この観点から「国民の祝日に関する法律」を眺めれば、歴史を消し去り、あたかも人工国家のような無色透明な祝日の日が羅列されている。建国記念日は「紀元節」で、文化の日や勤労感謝の日は、明治天皇のご誕生日である「明治節」と古来からの「新嘗祭」ではないか。
思い返せば今の祝日の在り方は全て、日本に主権がなく占領軍に主権がある占領下の昭和二十三年に施行された祝日法によりなされている。ということは、占領政策の大きな柱である、「日本国民から歴史を奪い国家意識を無くす」為に、占領軍が「国民の祝日」から我が国の歴史を消し去るために制定されたのが現祝日法なのだ。
よって、「国民の祝日」に歴史を取り戻す為に、祝日法全体の再度の制定を実現することは、我が国の形(国体)の確認と伝統的文化の自覚や教育の再建のためにも、重要な課題である。
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