慰霊の月

No.235 平成18年 8月 2日(水)

 8月に入り、炎天が続いている。そのなかで、空気が変わったと感じる。如何に変わったか。
 私は、やはり慰霊に変わったと感じるのだ。
 
 振り返ると、もともとお盆は慰霊と精霊の時期だった。
 古くから、各家庭ではお盆にご先祖様をお迎えする。
また町内の神社の森や広場で、盆踊りが行われる。その盆踊りは現在もますます盛んで、照明は昔風の提灯である。その提灯を見れば、老いも若きも皆「なつかしい」思いに動かされてその場に足を止める。
 
 「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー、渡辺京二著)という名著には、長岡藩の家老の娘の回想をもとに昔のお盆の情景が生き生きと語られている(548ページ)。
「街中が暗く静まりかえり、門毎に焚く迎え火ばかり、小さくあかあかと燃えておりました。低く頭をたれていますと、待ちわびた父の魂が身に迫るのをおぼえ・・・それから続く二日間は町中が灯籠で充ち満ちていました。・・・家の中も心愉しい空気に満たされ、わがままな業をするものもなく、笑いさえ嬉しげでした。・・・」
 そして、著者は言う。
「彼女の回想は、古き日本人にとって盆がいかに厳粛かつ生命に満ちた行事であったか実感する最高の手引きといってよかろう」、さらに「ここに提示されているのはむしろ魂の永世への確信であろう。なによりも痛切に覚知されているのは、現世を超えつつしかもそれと浸透しあう霊の世界の存在である」

 では、この古き日本人の心性は、現在切断されているのか継続しているのか。
 表面上は、東京や大阪という都会の状況とニューヨークやロンドンの状況は変わらない。しかし、一歩町内に入れば、盆踊りが行われ、精霊流しもあり、各家庭に入れば仏壇にお盆のお供えがある。そしてなにより、炎暑のなかの交通渋滞が分かっているのに、おびただしい人々が高速道路で新幹線で郷里に帰る。
 これが、現在日本の夏の社会現象であり、この現象を生み出す最大の理由は、慰霊の伝統という言葉でしか説明できないであろう。
つまり、お盆における「古い日本人」の心は、現在の日本人に心の深層で続いてきているということなのだ。
 
 さて、この同じ八月に、現代史における民族の痛恨の記憶が加わったのだ。
 即ち、昭和二十年八月の、広島と長崎への原子爆弾投下と十五日のポツダム宣言受諾の玉音放送つまり敗戦の確定である。
そして、この戦争のおびただしい犠牲者への思いがお盆に湧き上がる日本人の伝統的な感性と一体となって八月を慰霊の月そして精霊の月としている。

 よって、以上のとおり振り返った我が国の伝統的心性を前提にして、八月にあたかも政治的問題であるかのように扱われる我等日本人の慰霊のかたちを、素朴かつ単純に再生し確認する必要があると思う。
 そして、この慰霊のかたちに関しては、昨今一部で言われるような「思いつき」の「とってつけたような」解決策などあり得ないと知るべきである。
 もっとも、一部の人士が、政治問題と思いこんでいるが、実はそうではない。正確に言えば、政治問題にしようとする謀略があって、その謀略に右往左往することが政治問題なのだ。

 従って、くどくど述べること自体が、政治問題と思いこんでいる人の頭の回路をたどり、それに同調することになるので、
以下結論だけ述べたい。
 小泉総理大臣は、任期の最初に、「八月十五日に靖国神社に参拝する」と明言したのであるから、任期中の本年八月十五日に参拝してから退任することが自然である。
難しい「政策上の公約」ならともかく、総理大臣の八月の参拝こそ「まつりごと」という政治の要諦でありしかも伝統に基づく単純素朴なことではないか。
 
 仮に、「何故、八月十五日の参拝なのか」とか「八月十五日に参拝するとはけしからん」とか「公人ですか私人ですか」などの質問や言いがかりが面倒でイヤなら、
これから、毎日できれば毎朝、靖国神社に参拝してから公務をはじめられたらいかがであろうかと、強くおすすめする。
 一世代前の日本人までは、毎日神棚に手を合わしたりお天道様に手を合わして一日をはじめる人々が多くおられた。今でも私なども、時々であるが空を仰いで手を合わす。
 毎朝の靖国神社参拝によって、八月十五日の参拝も、この日本人にとって当たり前の素朴な心情にもとづくものであるということを世間も確認し、この参拝を「政治問題化」する者の頭の回路がおかしいのと違うかということが自然に明らかになればそれでいいことだ。
 ひょっとすれば、これから任期終了まで、毎朝靖国神社に参拝して公務を開始してもらうこと、これが小泉総理の最大の祖国に対する貢献になりうることかも知れない。

 次に、この時期に、日経新聞が「昭和天皇の発言メモ」と称するものを一面で掲載し、掲載日当日「明らかになった」という手法でセンセーショナルに報じた。各紙もそれに追随した。
しかも、オピニオンリーダーと思われる人々のコメントに、このメモの内容が昭和天皇が語られたということを前提にして
「もう決着がついた」とするものが掲載されていた(何に決着がついたのか分からないが)。

 現時点では、友人知人との間でまだ調査と検討が続いているので詳しく語れないが、次のことだけを指摘しておきたい。
1,日経新聞は、この度新たに「明らかになった」として報道したが、メモの存在が明らかになったのはかなり以前で、それをあの時期にあの手法で報道しただけであること。
2,あの張り付けられたメモを見て、「私」とは昭和天皇のことで、かつ、昭和天皇が語られた内容が正確に記載されている、と判断することが仮に許されるならば近代国家が司法制度に於いて「真実発見」のために積み重ねてきた証拠能力や証明力の概念は崩壊する。

 また、「これで決着がついた」という識者のコメントがあったので申しておきたい。
 この発言者と発言内容を伝えた報道機関は、我が国の政治体制を理解しているのかはなはだ疑問である。
 壬申の乱後の天武天皇の時代ならともかく、識者は近代立憲君主国に於いて、天皇陛下が「明日靖国に行く」と言われて明日靖国神社御親拝が実現する、反対に「あそこへは行かない」と言われれば御予定はその通りキャンセルと考えているのだろうか。
また、天皇陛下が国民に公に語られたのではなく、私的な会話のなかで部下にだけ語られたことで国家の問題に「決着」はつかないのだ。
 
 仮にこれで「決着」がつくとするならば、
天皇陛下の周りにいる宮内庁の役人や侍従が陛下の日常の発言をメモして、十数年後に政治情勢と都合を見計らってそのメモを出して、政治問題に「決着」を付けることができることになる。
 これこそ、我が国の国家体制崩壊への第一歩であり、
昭和天皇こそこの弊害をもっとも自覚し回避しようとされたのではなかったか。
(そもそも、宮内庁とは各役所から幹部が送り込まれる官僚組織そのもので、天皇は、そこの者と接するときには彼らの勤務時間中であり「公人」として臨まれたはずだ。はっきり言うが、彼らは気を許せる相手ではない。世間の社長秘書室のある大会社においても社長が秘書課員の勤務時間中に「私人」として接するものではないであろう。)

 さらに、気になったことを指摘しておきたい。
それは、この度のメモをもって「決着」がついたとする思考と天皇に戦争責任があるとする思考には連続性があるということである。
 何故ならこの思考は、天皇の意思で国家的課題に決着がつく、従って、戦争という国策を決定したのは天皇である、だから天皇に戦争責任がある、と結びついていくからである。
 しかし、再び近代的組織とはそのようなものではないということを指摘しておかねばならない。
それは、次のことを例にとるだけで十分であろう。
 即ち、ベトナム戦争時に、ベトナムのソンミ村でアメリカ軍による住民虐殺があった。現地でその虐殺を指揮した将校は裁かれた。しかし、ワシントンにいた最高指揮官のウエストモーランド将軍やアメリカ大統領は裁かれなかった。
 防衛庁の幹部職員が汚職事件を犯したが、防衛庁長官や総理大臣は裁かれない。
 これらの事例で、仮に頂点まで責任があるとすれば、規模の大小をとはず組織は機能しないであろうし、近代的責任感覚に反する混乱事態に陥る。

 確かに、六十年前の東京裁判ではアメリカを中心とする連合軍は、総理大臣以下の責任を追及し「戦犯」として絞首刑にした。そして、ソンミ村事件の時には、山下奉文大将をフィリピンで処刑した裁判の論理ではウエストモーランド将軍も処刑されるべきであるという議論がアメリカにあったことは確かである。
 しかし、このことはむしろ東条首相や山下大将の処刑は、連合軍の裁判に名をかりた戦闘継続の復讐であったことを明らかにすることであり決して近代組織の実態を反映したのもではない。
 また、戦争という国策決定そのものを責任論で裁くことができるかという課題であるが、当事者双方を裁ける体制があるならともかく、現実には負けた方のみが勝った方に裁かれるのであるから、そもそも裁判になり得ないのである。

 我が国と国民の八月は、古来からの慰霊の月であるとともに、現代史としての慰霊の月でもある。従って、現代史はまだ続いているのであるから、内外の勢力は現実政治の道具として我が国の慰霊の月に干渉してくる。
 しかし、我等自身は決して伝統的慰霊の姿を政治の道具に明け渡してはならない。
 私もまた、今年も靖国神社に参拝させて頂く。


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