自らの固有の文化・文明の再興と歴史を取り戻すこと
No.219 平成18年 2月22日(水)
今の私の関心は、我が国の文化と文明に向かっている。勿論、抽象的で学研的な関心ではなく、政治課題としての関心である。即ち、この政治課題から目をそらして我が国の未来は拓くことが出来ないと得心したからだ。
この私の傾向は、小泉内閣発足から強くなってきたのだが、この小泉内閣は、具体的には森内閣の記録的な支持率低下から生まれた。
そして、森内閣の支持率低下は、森総理自身の「日本は天皇を中心にした神の国」という発言に対するマスコミなどの異常なパッシングが引き金になった。
つまり、小泉内閣そのものが、森総理の極めて文化論的・文明論的発言から生まれてきたともいえるのである。
ということは、我が国の政治風土としては、文化や文明の「あり方」に触れる国民意識の領域において、政変を起こすに足りる強いエネルギーが蓄えられていることになる。従って、この政局を急激に変動させる動因を秘めた我が国の文化・文明の領域に関して、政治家は関心を抱かねばならないのは当然のことである。
ただ、森総理の「神の国発言」現象で明らかなように、ここからのエネルギーは「非難」というかたちで情動的に噴出してくるのが常であった。従って、政治家は、触らぬ神に祟りなしとこの分野に踏み込むのを敬遠することになり、ついには処世の知恵として意識から消去していったのである。
これが、我が国の政界やマスコミ界を含む世相が、また、知的と見られるのを好むグループが、文化や文明や歴史に関心を示していないような様相を呈している理由である。
確かに、我が国には鹿鳴館の名残か、維新以来の欧米化の中で、我が国の固有の文化に執着すれば、野蛮とみなされ知的とみなされないという伝統があった。
そこで、この基本的課題に対して、現在の政治は如何なる接し方をしているのであろうか。
周知の通り小泉内閣では、総理の掛け声どおりに「構造改革」が主要課題である。この「構造改革」とは、結局、我が国の文化と文明の土台の上に築かれてきた「日本型資本主義システム」を潰そうとするものである。この小泉総理のソフト面には無関心でソフトの上にある目に見えるシステムを敵視して「改革」しようとする姿勢は、結局は我が国の経済社会のあり方つまり文化を、勤労の精神と物作りを尊ぶ伝統から投機型資本主義つまりマネーゲーム奨励体制へ移行させることを目指すものである。
つまり、小泉内閣は、前記の通り、前総理の極めて文化論的な発言(まことに適切でまっとうな発言)に対する悪意に満ちた反発を切っ掛けとして誕生したのであるが、作用と反作用の関係であろうか、概して文化を無視する内閣として存続してきた。
このことは、このたびの皇位継承のあり方に関する総理の発言からも裏付けられる。総理は、経済システムの「構造改革」を唱えながら、文化と伝統の構造改革も可能だと考える無心(無神)論者(欧米ではマルキストと同じ意味)に変質したのかもしれない。最高権力の魔力の為せる業である。
さて、既に述べたように、私は文化と文明への関心を深めるに至っている。それは、私が文化と文明への自覚とそれと不可分の歴史の回復に、我が国家と民族の再興の成否が懸かっていると自覚したからである。
そして、この自覚の前提に、「我が国は存亡の分岐点に近づきつつある」という危機感がある。従って、私は、小泉体制に象徴される現在の与野党を通じた政界の表面の流れとは違った言動をしている。
しかし、「徳は孤ならず」という言葉があるように、決して孤独ではない。その理由は、最後の読書紹介でお分かりいただけると思う。
そこで、具体的に、北朝鮮に拉致された国民を救出できる政治とは何かを考えていただきたい。この一つの具体的事例からも、何が我が国政治の課題なのか明らかになるからだ。
それは、歴史である。
2月15日付けの本時事通信(「歴史で包囲されている国際政治の現実」)では、ブッシュ大統領の演説を引用して述べたが、本日2月22日の産経新聞の「正論」には、田久保忠衛教授が最近のアメリカのニューヨーク・タイムズやボストン・グローブなどの新聞の社説を紹介してアメリカの歴史認識を述べておられる。全く、アメリカで日本悪玉論のパレードである。
我が国を包囲する対日歴史認識(日本悪玉論)のなかで、同盟国であるアメリカの対日認識ほど厄介なものはない。口汚く我が国を罵る中国や南北朝鮮の歴史認識は、アメリカの尻馬に乗ったに過ぎないともいえる。
アメリカは、60年前に、我が国の都市を焼け野が原にして婦女子を無差別に焼き殺し、さらに我が国に原爆2発を投下した国である。
従って、日本はそのようにされても文句の言えないほど悪い国であったと、どうしても思い込みたいのである。このように思い込まなければ、「人権と自由と民主主義の輝かしい国」アメリカはやっていけないとの危機感が無意識に誘導する対日認識である。
そこで今、このように非戦闘員が焼き殺されても当然の悪いことをした日本が、自らの悪行を棚に上げて、北朝鮮にだけ拉致被害者救出を要求するのは理不尽であると北朝鮮の担当者は我が国に反撃しているのだ。これが、国内的かつ国際的な拉致問題のせめぎあいの実相である。
つまり、北朝鮮は我が国の同胞解放要求に対する最大の拒絶手段として歴史認識を持ち出している。また我が国内においても、拉致被害者救出運動への最大の妨害は、この歴史認識の北朝鮮との共有者組織から為されてきた。
従って、この太平洋から日本海と黄海と東シナ海を経て我が国を包囲する対日歴史認識を放置して、拉致被害者救出は有り得ないのだ。60年前は、朝鮮人800万人を拉致して無残にも放置した日本政府が、今、数十名にすぎない日本人を返せと北朝鮮に要求しているという図式のなかで、どうして、救出が可能なのか。
しかし、現在の日本政府は、村山富市総理以来の朝鮮人強制連行を認める歴史認識を真実に従って変えるつもりはない。よって、拉致被害者を真に救出する気はない。これが経験から学んだ結論である。
次に、文化と文明と歴史を無視して、教育の再興は有り得るのか。
有り得ないではないか・・・(ホリエモン逮捕前の政治なら「有り得る」と答えたかもしれない)
では、経済の再建は、・・・これも歴史と文化の自覚無くして有り得ない。確かに、国のないマネーゲーム現象はこれからも有るだろう。しかし、国家と民族の存続を確保するための総体としての国民経済の再興は、国民の個性ある歴史と文化の自覚無くして有り得ない。そして、これこそ、ただ自分のためだけ、また、金のためだけに生きるのではない日本人の責務でなければならない。
以上のとおり、我が国は、文化と文明と歴史を回復するという根本の課題の克服なくして、拉致問題はもちろん、いかなる日常的課題をも克服できないという段階に至っている。つまり、文化と文明と歴史の回復に、国民の救出も国家の存亡も懸かってきているのである。
1月20日に通常国会が始まった。そして、政治の表層に出た話題は、今私が述べてきた次元とは違う(ただ、皇位継承問題が歴史と伝統に目を向けさせる最大の要因であったが、総理は回避してしまった)。
昨年来ライブドアを讃えていたかどうかで与野党いずれに得失があったとしても、また、3000万円がホリエモンから誰に振り込まれたかどうかで、与野党いずれが有利となっても、我が国が直面している眞の課題の解決に結びつかない。
つまり、政界は、国民の中に大きく流れ始めた問題意識とは、異なった次元で相変わらず動いている。これを惰性という。
ともあれ、何が国民の中に動き始めているかを示す静かな指標があるので指摘したい。
それは、ご承知のことと思うが、藤原正彦氏の「国家の品格」(新潮新書)がベストセラーを続けているということである。そして、これこそ眞の意味での、つまり、草の根の段階での我が国政治の復元の兆しであろうと思っている。政治がホリエモンをもてはやしている中で、国民は「国家の品格」を読んでいたのである。そして、ホリエモンが逮捕されて、政治は慌てたが、国民は慌てなかった。
テレビで放映される政界の「政治課題」を遥かに凌ぐ大きな力が、この藤原氏の小さな新書に込められているのである。
私は、昨年12月にこの本を読んだ。日本語と日本人の情緒と武士道精神が如何に大切かが述べてある。
感激したのは、私がマネーゲームがもてはやされた昨年3月以来、
この時事通信(No.188やNo.193)で述べてきたことが特筆されていたことだ。
それは、「会社は株主のものではない」ということである。
また、中西 進氏の「日本人の忘れ物」(ウェッジ)という著書もベストセラーである。これも、歴史と伝統と日本語の復活に国民の関心が向かっていることを示す日本人に素朴な安らぎと誇りを与えてくれる素晴らしい本である。
昨年暮れの12月に、我が国の人口が明治維新以来始めて減少に転じたという報道がなされた。
その報道に接して、私は「文明の転換」を直感した。
つまり、我が国において、欧米をモデルにした近代化の時期が終焉しようとしているのだ。そして、今度は我が国の歴史と伝統の上に、世界の諸民族のモデルとしての我が国の文明のあり方(国民の生き方)を形成する方向に進むことになる。
このときに際して、我が国自身が、自らの文化と文明と歴史を忘却していてどうするのか。
(なお、私は政府や官庁のように、人口減少をもって国力が衰える経済が衰える、と煽る気はない。むしろ、人口が増え続ける方が脅威である。既に現在地球上のキャパシティーは超えているのだから。
我が国の人口減少は、むしろ天佑である。
但し、働き盛りの自殺者3万人を出している中で、1万人の人口減少なのだ。
つまり、我が国では、自殺者で人口が減少しているのだ。
世界で最も豊かに生きれる社会で、自殺者ゆえに人口が減少した。これこそ、悲劇であり、恥であり、政治の責任ではないか。この酷い社会状況を作り上げて責任の自覚のない者は誰だ。)
最後に、この文明の転換を感じた時期に私が読んだ「国家の品格」や「日本人の忘れ物」以外の書籍を紹介しておきたい。
忘れがたい時に読んだ忘れがたい書であるからだ。
1、「逝きし世の面影」、渡辺京二著 平凡社ライブラリー。
著者は在野の方である。開国と欧米化のなかで日本近代が滅ぼしていったそれ以前の文明のあり方を外国人の報告を通して明らかにした誠に貴重な書碑ともいえる労作である。
あの近いご先祖は、かつてこのような文明を作り上げていたのかと、めまいがするようである。過去を述べたのではなく、我々の生きる未来のあるべき家庭と社会を指し示している書である。
2、「炎の陽明学・山田方谷伝」、矢吹邦彦著 明徳出版。
山田方谷は、備中松山の人。江戸期藩政改革の最大の偉人。本書は、藩財政改革の現在に通ずる鉄則を示す実践記録である。すなわち、財政の改革は財政の分野だけの「専門家」では為しえず、教育の改革と国防意識の覚醒などの広い分野からの取り組みが不可欠であることを明確に教えている。
藩の財政を改革した山田方谷は、我が国最初の「国民兵部隊」を創設した。即ち、長州高杉晋作の奇兵隊より10年早く、備中松山藩では農民兵が洋式銃で実践訓練をしていたのである。
その部隊の一斉射撃を長州の久坂玄端が見て驚愕した。その驚愕が長州の奇兵隊創設につながり、備中松山城が今に残る遠因となる。つまり、洋式部隊のいる松山藩を攻める決心ができる新政府軍がいなかったのである。
3、「西郷南洲遺訓」、岩波文庫。
この10年間、いつも座右にある本。この本の表紙の裏には、「1975年8月16日」と記入されている。つまりこの時私が購入したのである。あれから30年以上、私の手元にあった。そして、50を過ぎてまた読んでいる。特に西郷の詩、獄中所感と偶成「幾たびか辛酸をへて志始めて難し」が新鮮に心に入る。
この本を購入してから30年、何をやって来たのだろうか。あまり、単純に「進歩」などという言葉を使いたくない。
「西郷の心、これ天の心じゃ」(頭山満)。
「逝きし世」も「西郷」も、今より遥かに天の心に近い。欧米に追いつく近代化は、何をもたらしたかを深思することも必要である。
4、「白隠禅師の健康法と逸話」、直木公彦著 日本教文社。
豊かになればなるほど生き甲斐がなくなり不健康になり医療費が増える(年間30兆円)。この課題に直面して為すすべがないのが現在社会である。
しかし、歴史は宝庫である。江戸中期の白隠禅師の教えに戻れば克服の糸口がつかめる。
その教えとは、「丹田呼吸」である。
なお、毎日何を食べるかという一点を改革するだけで医療費は半額以下にしえるのではないか。実に毎日の食こそ、薬に勝る。
それは、玄米食と菜食である。この救世主的実践者は、大阪八尾に病院をもたれる甲田光雄先生である。
即ち、江戸中期の白隠禅師と現在の甲田光雄医師が、呼吸と食つまり心身の医療の面から我が国の明るい未来を開く大道を開かれている。
5、「聖書」
高校生のときから座右にあるのが聖書であった。
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