臨時国会の終了
何を審議したのか分からん臨時国会が終了した。
終了してからも、民主党のなかで誰が何人連れて出るとか、保守党の党首が,離党して自民党に入りたいとか、うごめいている。
「政治を軽蔑する国民は、軽蔑に値する政治しか与えられない。」
これは、よく思い出す言葉である。
しかし、私は言う。
この言葉を今の国政に当てはめて、分かったように想っては、国民に失礼である。
国民と政治のレベルは、不均衡になった。
国民の平均水準よりも、永田町の水準のほうがはるかに下がっている。
大阪の町工場の大将のほうが、小泉総理よりも正しく適切な政治判断・経済判断をするだろう。
おっさんのほうが、学者に会社を任せたら、会社を倒産させられることぐらいは知っている。
しかし、小泉内閣は、不良債権処理をして処理した額以上の不良債権を発生させて、まだもっともらしい理屈を捏ねている。
学者は理屈を考えるのが商売、経営者は、経営を成功させることが商売、政治は結果がすべて理屈ではない、これをなぜ小泉は混同しているのか。
おっさんのほうが、今、金が動いているのか動いていないのか、体で分かっている。
しかし、政府日銀は、いまだに金の流動性を高めるためにゼロ金利を続けているとほざいている。
おっさんのほうが、やくざ相手に卑屈に謝れば、骨の髄までしゃぶられることは知っている。
工場の大将は、工場に鍵をつけなければ、製品が盗まれることを知っている。
しかし、永田町は、国会会期中に国民が盗まれたことを犯人に教えられたにもかかわらず、国に鍵をつける法案に思い至る政党もない。・・・念のため、国の鍵とは、国防、情報収集中央機構の創設、スパイ防止法である。
以上の例においても、今の政治は国民の平均水準にはるかに及ばないのだ。
一党の党首が離党するとか、与党の総裁かつ総理大臣が、同じ与党が抵抗勢力だと言いはなって人気を集めるとか、感覚それ自体が狂っている。
そして、政党幹部はほぼ何処の政党であろうと例外なく、目をこの政党世界にだけ向けて、連立与党だとか、野党共闘とか、これがさも重要な『政治』であるかのように『現象」を解説している。
しかし、私は言う。政治家というものは、現象の解説者、内部社会のことをしたり顔に解説するものであってはならない。
政治家とは、国民運動の前衛でなければならない。
いま、国民の水準が永田町の水準を超えた。
よって、政治改革のエネルギーは、国民の中にある。政治家は、真の政治を創設するために、この国民の動きの前衛を走らねばならない。
ついに、この時が来たと想う。
今までは、永田町の評価により、議員は、幹部に取り立てられ、与党であれば閣僚になり、快適な議員生活を続けられた。
しかし、そんな評価はくそ食らえで世間では通用しない、そんな時代が来た。待ち望んだ時代が近づきつつある。
そして、政治が変わり、日本が変わる。国会終了に際して、この希望が湧き上がり胸が膨らんだ。
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