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眞悟の時事通信バックナンバー
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練習艦隊の出航・・・航海の安全と武運を祈る
 「すべて春は、雨こそのどかなれ・・・軒の玉水も間遠に音して・・・、絹潤せども降るとは見えず」と、うろ覚えの松平定信の文章を思わせる雨が続いた後に、四月二〇日の朝は快晴でした。その朝の東京港晴海埠頭に於いて、0920から行われた海上自衛隊の平成十九年度遠洋練習航海部隊の出港式に出席することができた。

 我が海上自衛隊即ち我が海軍は、毎年、幹部候補生を遠洋練習航海で鍛えて海軍士官として育成している。
 その遠洋練習航海部隊が二十日朝出航した。
航海部隊の編成は練習艦「かしま」、練習艦「しまゆき」、護衛艦「さわぎり」の三艦、総員七百四十三名の内幹部候補生は百七十名で、入港は九月二十一日、百五十日間の航海である。
 
 私は、昨年を除き、毎年この練習艦隊の出港式に出席している。よき海軍士官の育成は我が国家の存立を確保する重要な事業である。さらに、海軍士官の卵である若者が、練習艦に乗り込んでいく時に醸し出す意気込みに接すると、我が国家を守る若き人材が確かに育成されつつあるという実感を得ることができる。
よって、この出港式には出席するのが、国会議員の任務と思う。

 出港に際する壮行式が終わり、軍艦マーチが演奏されるなかを遠洋航海幹部生が乗船するときに、練習艦隊司令官を先頭にして、練習生全員が見送る我々の前を敬礼しながら行進してゆく。
 若者は皆まなじりを決して我々の目を睨み付けて行進していく。目を真っ赤にして敬礼していく練習生がいる。こちこちになって敬礼してゆく。母親が子供の名を呼んだ。その声に、一人の練習生がニコリと表情を崩したように見えた。そして、進んでいく。
 別れの場である。つまり、その場を覆う雰囲気は、乗船する船は正真正銘軍艦であるから、生死をかけた戦いの場に赴いた六十年前も今も同じだと言う思いになる。その時、行進する練習生の列から、「西村先生」という声が私の耳に届いた。はっと、思ったが、既に声の主は我が前を過ぎ去って、彼の顔を確かめることは叶わなかった。

 さて、この度の実習航海は、ハワイから南北アメリカを経てオセアニア、ニュージーランド・オーストラリア、マレー沖から韓国を経て150日後に帰国するのであるが、この太平洋の広大な一帯は、
海上幕僚長の訓辞のとおり、嘗て帝国海軍が六十年前にアメリカ・イギリスと闘った海域である。さらに、百年前にロシアと闘った海域である。
従って、七百四十三名の乗組員、百七十名の幹部候補生は、帝国海軍と連続する我が国の歴史を実感するであろう。これほどの歴史教育はない。
 
 海上幕僚監部総務課長の村川 豊大佐(一等海佐)に送って頂いた遠洋練習航海航路概要によると、四月二十日に出航した我が練習艦隊は、五月二日にハワイのパールハーバーに寄港するという。
 この航路概要を看て、思い浮かんだのは、昭和十六年(一九四一年)十一月二十六日の時と同じく、彼らを択捉島の単冠(ヒトカップ)湾からパールハーバーに向かわせたかったなーという思いであった。残念ながら、単冠湾は、未だロシアに占領されたままである。
 平成十九年度遠洋練習航海部隊の航海の安全と武運を祈る。
平成
1 9
年
4
月
2 1
日
(土 )
曜日
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