西村眞悟ホームページ
眞悟の時事通信バックナンバー
眞悟の時事通信バックナンバー
 印刷用ページ (テキストだけで構成した印刷しやすいページです)
日本への回帰・真の力の回復へ
 新年、おめでとうございます。
 諸兄姉には、健やかに新年をお迎えになったこととお喜び申し上げ、本年の諸兄姉のご多幸を祈り申し上げます。 
 本年もよろしくお願い致します。
 
 元旦の初詣の人々が、昨年よりも多いと報道されたことが印象的でした。それは、私が一昨年暮れから感じていた「文明の転換」という予感にも重なることでした。
 私も、天皇陛下のご先祖である近くの仁徳天皇陵に参拝してから百舌鳥八幡さんにお参りに行きました。すると、多くの若い方々の参拝の列ができていました。
 そして、五日には靖国神社に参拝して、お国の安泰を祈念し、その後境内の酒保で甘酒を飲みながら参拝に向かう人々の列を眺めたのです。
 伊勢神宮への参拝はまだです。正直言って、私は、
「お伊勢さん」参拝後のおかげ横町のぶらぶら歩きが楽しみなのです。二見浦の塩をなめて升酒を飲む参拝後の雰囲気は格別。

 さて、この正月、全国各地のあらゆる神社仏閣に参拝した人々は数千万人にのぼると思われますが、この人々に、「何故、参拝するのか」と尋ねるのは野暮なのです。
 親もその親もまたその親もしていた「初詣」を、我々もするのが「あたりまえ」だから、正月には先ずお参りしてからということになっている。
 一日が始まる朝に「おはよう」という挨拶があり、一年の始めに初詣がある。何故、「おはよう」と挨拶するのかと尋ねるのが馬鹿なように、何故初詣かと尋ねる人もないのです。
 政治家、特に総理大臣の靖国神社参拝においては、「何故参拝したのか」とか「公人か私人か」としつこく尋ね、その回答を報道するのが当たり前と思っているマスコミの記者連中の多くも「初詣」をしているはずです。

 また、正月は、お餅を焼きお雑煮を食べます。七日には七草粥。そのお雑煮は「すまし」か「白みそ」かは家によって異なります。その異なる起源は、江戸時代の各藩の風習によるらしい。
そして、その各藩が改易などで日本国中色々移動させられているので、雑煮の「すまし」圏と「白みそ」圏は、国土をモザイクのように入り組んで分布しています。
 当たり前のことながら、初詣と同様、「何故、餅を食べるのか、何故、白みそか」などと尋ねることもありません。

 どうも、日本そして日本人とは、この訳を問うこともなく、日々行われていることの総体のなかに存在しているのだろうと思われます。特に正月の当たり前の日常の風景・風俗をみているとこのように思ってしまうのです。
そして、これが日本なんだ、これでいいのではないか、と思う。

 では、正月に多く体験する「日本的なもの」から「日本」に行きつけるとして、この五〇年間、我々は日本をどういう国だと思っていたのでしょうか(私が五八年しか生きていないから五〇年としているに過ぎない)。

 結論から言うならば、戦後日本の国家像は、架空のモデルを設定して、そこに近づけようとしていたに過ぎず、日本を見つめようとしてこなかった五〇年間だったのではないでしょうか。
 反対に、日本的なものを敵視し軽蔑して排除することが「進歩」だと考えられてきました(だから、「進歩的文化人」というのです)。
 
 そして、この戦後の思考過程を象徴する典型的文書が、
日本国憲法です。
この文書は、先ず「前文」で、日本人の国の政府は国民に戦争の惨禍を与えると規定しています(「日本国民は政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・」)。従って、日本国民は、日本以外の「平和を愛する諸国民」を信頼すれば自らの安全を確保できるとつないでいるのです。
 その上で、国民には、国家から犯されない国家以前に与えられた権利即ち「個人の尊厳」と各種人権が保障されていると宣言しています。
 つまり、我が日本国憲法の論理は、日本及び日本人を、全く無視または敵視した上に展開されているのです。憲法には、平和も人権も、日本国とは無縁のものから日本国民に与えられると書いてあるのですから。

 ところが、日本以外の何処に、「平和を愛する諸国民」がいるのか、特に、我が国周辺諸国は、皆好戦的で核兵器開発に励んでいるではないか。ということがイヤというほど分かってきました。
 さらに、国家以前に個人の人権があるという考えも欺瞞偽善であり現実的ではなかったのです。
 北朝鮮による日本人拉致は、日本の国家がしっかりしなければ、日本人の人権など絵に描いた餅以下であり、簡単に蹂躙される、ということを見せつけてきました。
 
 また、国防のことは金がかかるのでアメリカさんに任せ、自分はもっぱら金儲けに邁進するというこの五〇年間の路線の果てに(奇妙なことに、我が国ではこの路線を保守つまり吉田路線という)、日本は拝金主義の歪な惨憺たる社会になり果ててしまったという痛恨の思いが今ほど高まってきたことはありません。
 つまり、戦後の路線は、総体として破綻しているのです。この破綻が、国民の悲劇として明らかになっています。

 こういう事態の中で、一昨年の暮れに、我が国の人口が増加しなくなったとの発表があったときに、私は路線の転換よりも大きな一つの文明の転換を直感したのです。
それは、新しい方向を目指すということではなく、
「日本への回帰」というものでした。
 振り返れば、世界のあらゆるものを取り入れて歩んできた我が国が、この五〇年間、見つめようともせずにうち過ごしてきたものが一つあることに思い至るのです。
 それが、日本なのです。
 戦後の日本は、奇妙なことに、我々の故郷である日本を見つめてこなかったのです。常にモデルを外に求め、また、架空のモデルを設定して、「改革」やら「進歩」やらを論じてきたのではないでしょうか。小泉内閣の改革路線もこの延長線上にあります。

 我が国が、○年○月○日に、建国を宣言した共産主義国家や新興国家ならいざ知らず、我が日本は主義者が「造る国」ではなく「既にある国」なのです。それこそ、本居宣長ではありませんが、全て神代から備わっている国なのです。

 六二年前、敗戦の打撃から回復するために「復興」が唱えられました。そして、その復興は、「経済の復興」として成功しました。その延長線上に例の「日本列島改造」からバブルがありました。
 その結果、私の自宅から歩いて十五分の範囲内でも、百メートルを超える墳丘をもつ大きな前方後円墳一基と二十メートル未満の古墳三基がアッという間に破壊され消滅し、古墳の横にはラブホテルが林立して、百舌鳥古墳群の「懐かしい風景」が消滅しています。
 このような「懐かしい風景」の消滅という体験は、ほぼ全ての日本人がもっているでしょう。
 
 かけがえのない国土の風景が荒廃したままで社会の復元はありません。
 今こそ、戦後の焼け野が原に立った日本人が、「復興」を決意したように、社会の惨憺たる荒廃の中に立った我々も、六十二年前と違う「復興」を決意しなければなりません。我々も一種の焼け野が原に立っているのではないでしょうか。
 つまり「日本列島改造」のあとの「日本列島復元」です。
 歴史的風土の復元は、日本精神の復元に通じます。

 拉致被害者救出運動は、単なる「被害者救出」に止まるものではなく国家回復の運動です。国家を回復しなければ被害者は救出し得ないのです。今のままでは、金正日の「温情」にすがって一部の被害者と引き替えに多数の被害者を切り捨てる最も卑劣な幕引きしかできません。
 この救出運動の一環として日本各所で「救出集会」が行われてきましたが、この集会の最後に、誰が始めたと言うこともなく、
「ふるさと」が合唱されるようになりました。あの「うさぎ追いしかの山・・・」という「ふるさと」の歌です。
 拉致被害者救出・国家回復の集会における「ふるさと」の合唱ほど象徴的なことはありません。我が国においては新しいものを求めるのではなく「ふるさと」の回復が国家の回復なのです。

 さて、本年。
 国家回復・拉致被害者全員救出のために全力を尽くします。
拉致議連は、救出のために「金正日体制打倒」を決議していますが、この決議実現のために平沼赳夫拉致議連会長とともに全力を尽くします。
 さらに、本年。
 我が国が真の独立国家にふさわしい国防力を保持する為に、空理空論を廃して一歩踏み出さねばならない年です。もはや猶予はありえません。

 そして、日本復興の思いを込めて海洋国家日本の海と山と森と田園の復元・復興に取り組んでいこうではありませんか。また、地方の、つまり我々が住んでいるところの、町並みを回復することも極めて重要なことです。

 諸兄姉の、ご指導とご支援をよろしくお願い致します。

 ところで、チキンラーメン発明者の安藤百福さんが九十六歳で亡くなりました。何を隠そう私は、昭和三十七年、中学二年の時に食べたチキンラーメンの味が好きで忘れられず、家では今も昼にチキンラーメンを食べています。中学校の時の昼食時、アルミの弁当箱のなかにチキンラーメンをカラカラさせて入れてきて、湯をかけて三分間待っていた同級生の姿が懐かしく思い出されます。
 一昨日、安藤翁の訃報に接し、家族全員は供養のためにチキンラーメンをいただいた次第です。

 安藤翁の世界諸民族に対する功績は計り知れないのではないでしょうか。人は先ず食べることによって生きることができます。安藤翁はこの食という生存のための分野に於いて偉大な仕事をされました。ノーベル賞レベルの世界に誇れる仕事です。
 一度お会いしたかった方が亡くなられました。
 ご冥福を謹んでお祈り申し上げます。

 ところで、ホンダにカブという自動二輪車がありますが、このカブも特にアジア・アフリカの庶民に大きな貢献をしている乗り物です。チキンラーメンの大きな貢献のことを考えて、自然にカブも思い浮かびました。
 このカブは、低燃費で壊れず操作簡単で何処でも走ります。
これほどアジア・アフリカの諸民族の足としてはたらいている日本発の乗り物はないのではないでしょうか。
 一昨年、ミャンマーに行ったとき、荒れ地で元気に走っているカブをみて嬉しかった。しかし、よく見ると、そのカブには
「HONDA]ではなく「HENDA]と書かれていました。
つまり、カブの需要が大きいから、恥も外聞もなく中国人が真似をするのです。
平成
1 9
年
1
月
7
日
(日 )
曜日
Copyright(C)2007 西村眞悟事務所