経済に関しては、経済学部というのが大学にあって、当然経済学者というのがいる。学者がいれば、当然ああでもないこうでもないの論争がある。従って、テレビにおいても国会審議においても色々な経済学者の論説が「権威あるもののように」語られることになる。
しかし、経済とは、もともと経世済民を縮めた言葉であり「民」のゆたかさを図るための政治の大目的である。
従って、学者のご高説に「権威」を感じる前に、もっと現実に働いている国民の生活実感に即するべきではないか。考えてみれば、経済学者や官僚は、もともと会社を経営したこともなければ工場で働いたこともない人種ではないか。
と、思っているので、私はよく聞き取りをする。
「政府は、経済が上向きになっていると言ってるけど、商いの調子はどうですか」と、ブティックの社長や食堂のマスターに尋ね、また、タクシーの運転手さんに「実車率はどうですか」と話しかける。
すると、不思議なことに、政府が言うように、経済が上を向いているという実感をもっている人に巡り会ったことがないのである。唯、直接ではないが、ある種の製造業に関して、ボーナスは史上最高だったという話は聞いた。
そして、なるほどなー。やはり格差が進み、二極化が進んでいるのかと感じる。さらに、我が国社会の強さと安定の基盤であった、国民等しく生活水準が上がってきたという事実と、このことは、国民みんなでそれぞれ力を合わせた御陰だという共通の実感が消えて亡くなりつつあるのかと思う。
そこで、今まで政府が経済が上を向いたと言っていたときに何をしてきたのかという点に関して、重大な疑念があり、また、同じことをしかねないと危惧するので指摘しておきたい。
それは、政府が経済が好調になったといった後から、いつも増税がついてきたということ。むしろ、政府は増税をするために経済の好調を煽って欺き、国民は生活実感からほど遠いにもかかわらずそれに乗せられてきたのではないかということである。その増税の結果、経済はさらに失速し長期の低迷のトンネルの闇はさらに深くなったのだ。
この典型的事例は、9年前にある。橋本内閣の時の消費税引き上げなどの9兆円増税である。
これにより、せっかく上向きはじめた消費はがくんと落ちて逆に不況が深刻化したのだった。さらに、増税したのに税収は落ち込んだ。不況の中での増税で税収も伸びない。国民は踏んだり蹴ったりであった。そして、働き盛りの自殺者年間3万人の方向に我が国社会は流されてきたのだった。
そこで、結論から指摘したい。
政府がやるべきことは、今まで景気好調と国民を煽った後でしてきたことの逆である。即ち、減税である。
減税によって、総需要を喚起して拡大し、デフレ下で眠っていた巨大な我が国経済の潜在的供給能力を活性化することである。この方向に決断すれば経済全体が活性化して国家の税収も増えるのである。
減税へのいつもの反論として、
「減税して財源はどうする、無責任だ」というのがあるが、私は「増税して財源はどうする、無責任だ」と反論したい。減税すれば税収が増え、増税すれば税収が減るからである。
結局、既に我々の経済を上昇させる要因は、国民の総需要にあり、政府が税金を多く使ったり、一部を豊にすれば他の部分に波及すると考えるのは実態に即さない。
中国沿岸部の一部の豊かさが中国全体に及ばず、中国の強さに結びつかず、逆に中国社会のもろさの原因になりつつある。
同様に我が国における格差の拡大即ち一部の豊かさの突出は我が国社会の安定を損なって美点を消去し、結局、真の成長に結びつかない。
以上のことを念頭に、次の西郷南洲の言葉を読んで頂きたい(岩波文庫「西郷南洲遺訓」より)。
「租税を薄くして民を裕にするは、即ち国力を養成する也。故に国家多端にして財用の足らざるを苦しむとも、租税の制定を確守し、上を損じて下を虐げぬもの也。
よく古今の事績を見よ。道の明らかならざる世にして、財用の不足に苦しむ時は、必ず曲知小慧の俗吏を用ひ巧みに収斂して一時の欠乏に給するを、理財に長ぜる良臣となし、手段を以て苛酷に民を虐げるゆえ、・・・上下互いに欺き、官民敵讐となり、終に分崩離析に至るにあらずや。」
まるで現在を見越して語られたような遺訓ではないか。
現在は、減税して国民にゆとりをもたらすことが、総需要を喚起して結局国を豊にするという原点を忘れている。即ち、経済の本質、政治の大目的を見失っている。
その理由は、政治が「財用の不足」にのみ心を奪われ俗吏の言いなりになっているからである。
その結果、例えば、消費税の免税点を三千万円から千万円に引き下げたり簡易課税適用上限を2億円から五千万円に引き下げたり、庶民のビール(発泡酒)に課税したりして「下を虐げている」。そして、このようなことを考え出す「曲知小慧の俗吏」を「理財に長じる良臣」として、政府は官僚主導に任せている。
その結果、かえって経済を失速させ、過大な苦しみを国民に与えてきたのだが、誰も責任を取らない。
結局、今は「道の明らかならざる世」なのだ。
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