我が国政府は、未だに2002年9月17日に総理が署名した日朝平壌共同宣言の効力に関してミサイルが飛んで以後何も言及していない。
従って、ミサイルが飛ぶ以前に表明された総理の見解である「日朝平壌宣言の精神にそって事態打開を図る」という態度つまり日朝平壌宣言を遵守するという政府の姿勢が今も変更されていないことになる。
そこで、この暑い夏に、思い当たることがあるので以下に記しておきたい。
その内容は、条約や国際約束に関して、近隣諸国はどういう態度をとってきたか、それは我が国の態度と一致するのか違うのかということに関してである。
まず、日朝平壌宣言に関する政府の立場を見ていて、
日ソ中立条約を思い出す。
1945年8月8日、ソ連は日ソ中立条約の破棄を我が国に通告して9日午前0時からソ連軍が満州になだれ込んだ。
他方我が国政府は、破棄通告される8月8日まで、日ソ中立条約にすがってソ連を通じた和平工作に期待していた。しかしその時、ソ連は大部隊を西部戦線から東部戦線に展開済みで満州国境に集結させて突入の時期を計っていたのだった。
金正日が2002年9月17日、日朝平壌宣言で約束したことは、既に全て公然と破棄・破約されている。即ち、昨年2月北朝鮮は核武装宣言をし本年7月ミサイルを飛ばした。
他方、我が国政府は、未だに同宣言は有効だという姿勢を貫いている。
相手がすでに破約している約束にすがっているという今日の日本政府の図式は、61年前の8月8日においても日ソ中立条約にすがっていた図式と同じではないか。
従って、このままでは、
「我が国だけが約束通りにテロ支援国家の独裁者に超多額の金を貢ぎ、相手は一切の約束を守らずに核とミサイルの開発を続けることになる。」
ということは、我が国政府は、我が国国民を爆殺し我が国を屈服させようとする力の信奉者に支配される北朝鮮の核とミサイルの開発費を負担することになる。
なお、この際言っておくが、
小泉内閣が日朝平壌宣言で、北朝鮮が拉致問題解決を約束したような説明をしているが、
これは、嘘である。
金正日は同宣言第3条で、拉致問題が、
「日朝の不正常な関係にあるなかで生じた」(過去形に注目)ことであり「今後再び生じることがないよう適切な措置を執ることを確認した」(未来形に注目)だけである。つまり、既に生じた拉致問題は過去のものとし、これからは拉致はしないと「確認」しただけなのだ。
従って、金正日にとっては、総理一行に拉致被害者8名の死亡を告げ、生存している五名に9月17日に平壌で会ってもらったうえで、総理が上記の第3条の文言に異議なく署名した以上、
「拉致問題は解決済み、過去の問題」ということになり、日本政府もそのことに納得したと強弁するのは当たり前である。
さて、日朝平壌宣言をいまだに後生大事にする我が国の小泉内閣を見ていて、60年前の日ソ中立条約にすがった「けなげとも言える」し「馬鹿ではないかとも言える」我が国政府の姿を連想したわけであるが、以下、少し国際約束に関して述べてみたい。
先ず、近代国家建設以来の、つまり、明治における我が国外交の悲願は、安政の不平等条約改正問題であった。この不平等条約は、やっと、20世紀に入って改正されたのである。
この改正実現までは、我が国政府は、如何に不平等であっても、一旦調印した条約は遵守しなければならないものと考え、その通り遵守してきた。幕末はともかく、我が国政府が不平等条約の故に、民衆の反米や反英暴動を煽り欧米人襲撃を推奨し称賛するなどのことは一切なかった。むしろ、このような事態が条約改正を遅らせると警戒した。
他方、同時期のもっともやっかいな周辺国であった中国(清)とロシアはどうであったか。西欧では、
「ロシア人は、国際約束は破るものと考え、シナ人は、そもそも約束を守るものとは考えていない」といわれていたという。
以上をまとめると、
国際約束を、日本人は守るものと考え、ロシア人は破るものと考え、中国人は守るものとは考えていない、ということになる。
では、朝鮮人はどうか。
朝鮮は前半は中国の属領で後半は日韓併合であって独自の外交がなかったので材料は現在にしかない。
しかし、北朝鮮は、既に述べた日朝平壌宣言に対する態度、韓国は日韓条約や日韓紛争処理に関する交換公文に関する態度などから見てとれると思う。即ち、北朝鮮は中国に近いが、韓国は中国寄りだが日本に近いと思われる。
さらに、アメリカ人は、というと、結論は露骨なロシア人より巧妙に立ち回り自ら正義を背負うのが巧いが、本質はロシア人よりたちが悪いと思う。それは、ヨーロッパからのはみ出し者であった彼らが、インディアンを追いつめて西に西に勢力を伸ばしてゆく手法やフィリピンまで領有する対スペイン戦争の発端をつくったメイン号事件や日米戦争の発端となった真珠湾にいたる経緯、さらにベトナム戦争時のトンキン湾事件で読み取れる(メイン号事件はトンキン湾事件とまったく同じ。前者が成功し後者が失敗したことだけが違う)。
さて、日朝平壌宣言を我が国が「遵守」しておればどうなるかについては、既に述べた。
従って、ロシア人や中国人を見習えとは言わないが、そもそも約束とは相手があることであるから、相手の戦略的意図や相手の約束遵守状況などに関しては、十分な情報収集が必要で、その情報に基づいて国益の観点から我が国の態度決定は為されるべきであると思う。
現時点の課題では、相手が全て公然と破約している日朝平壌宣言を我が国だけが遵守する意義などない。
次に、8月が来るので、20世紀の我が国の運命を翻弄した条約に関して述べておきたい。
先ず、1939年8月の独ソ不可侵条約は、
「欧州の情勢は複雑怪奇」との声明を発して平沼内閣を退陣せしめた。この条約は、独ソのポーランド分割条約であり、独ソ両国はポーランドを分け合ったのである。
このポーランド分割後にスターリンとヒトラーはともに独ソが末永く平和共存するとは考えなかった。よって、スターリンは、東方の日本からの圧力を除去するために、1941年日ソ中立条約を締結する。これによって、同年6月22日に開始された独ソ戦に備えるのである。そして、我が国が対米戦争に突入していった同年12月8日、西部戦線で大規模な対独反撃を開始することができた。
これに対して我が国では、奇妙なことであるが、国策上正反対の立場から対ソ中立条約が模索されていた。すなわち、東郷駐ソ連大使は、日・独・伊の三国同盟に反対の立場から日ソ不可侵条約を希求していたし、松岡外務大臣は三国同盟賛成の立場からさらにソ連を加えた四国同盟形成のために日ソ不可侵条約を望んだのである。
そして、結果に於いて、現実の日ソ中立条約締結によって、国家存亡の危機を乗り越えたのはスターリンのソビエトであり国家崩壊のダメージを被ったのが我が国であった。
日・独・伊の三国同盟が我が国の運命を決したことは確かである。しかし、三国同盟がなければうまくいったのであろうか。一方的に我が国の国家運営のあり方にのみ焦点を当てた評価に固まるのではなく、もう少し帝国主義時代の世界の趨勢のなかで苦闘する日本という観点から理解したい。
従って今のところ、石原完爾将軍が、東京裁判の証人になって述べたという
「証人を呼ぶなら、我が国に開国を迫ったペリーから呼べ」という言葉の重さを噛みしめたい。
ところで、昨年の2005年6月、アメリカのブッシュ大統領は、ロシアの対独戦勝利60周年の式典に出席する前に、20世紀の愚劣な国際約束として、ミュンヘンの宥和、独ソ不可侵条約(モロトフ・リッペントロップ会談)とヤルタ密約を挙げた。
このような国際約束は、独裁者間のまた独裁者に対する約束であり、20世紀の悲劇を生み出し自由を踏みにじった有害で無効な約束であったというのである。
まことにその通りである。
そこで、我が国の総理大臣もブッシュ大統領とともに、同じ式典に参加したのであるから、この条約の効力に関して何かコメントを為すべきであったのである。特に、ヤルタ密約こそ、北方領土をロシアが占領する道を開いたものである。しかし、この絶好の機会に、総理大臣は沈黙したままであった。我が国総理は、ブッシュ大統領に呼応して、ヤルタ密約の欺瞞性とそれに基づく我が国の理不尽な損害と今に至るロシアによる我が国領土の不法占領を指摘するべきであった。
さらに、もうぼつぼつ、我が国の政府が発表した「馬鹿な」談話や約束の解消を積極的に公表すべきと思うので、それを列挙する。
まず歴史教科書の近隣諸国条項を認めた宮沢喜一官房長官談話、次にいわゆる従軍慰安婦を我が国政府が強制連行したと認めた河野洋平官房長官談話、さらに我が国をして謝罪せしめた村山富市総理大臣談話、そして村山総理と河野外務大臣時代の中国大陸にある毒ガス弾の処理約束など。
これらは事実に反することであるか極めて不合理なことであるにもかかわらず、官僚機構は巨大な予算を使ってそれを実現しつつある。政治家が言い放した結果、まったく馬鹿な不合理な事態が続いているのである。
政治が即刻解消宣言をするべき「談話」と「約束」ではないか。
最後に、スターリンの北海道占領計画を破綻せしめた占守島(しゅむしゅ島)の闘いのことを記したい。
占守島はカムチャッカ半島間近の千島列島最北端の小さな島である。1945年8月18日、ソビエト軍は島に砲撃を開始して上陸してきた。日本軍守備隊は、8月15日以来、武装解除の体制に入っていたが、この理不尽なソ連軍の攻撃に一転して反撃を開始する。
しかし21日、日本軍は上陸したソ連軍を海岸線に追いつめて総反撃体勢に入ったが、やはり既に停戦の命令が出ているので指揮官は攻撃命令を出さずに一方的に戦闘を中止した。
この闘いで日本軍死傷者五百人から六百人、ソ連軍死傷者三千人。
ソ連軍の損害は、この占守島だけで満州朝鮮での損害をあっさり上回って、結局スターリンの北海道占領計画の放棄につながるのである。
停戦命令が下った8月15日の後に、千島最北端の占守島で人知れず勇戦奮闘して北海道を守った方々は、ノモンハンやガタルカナルの生き残りで、占守島の闘いののちにはソ連軍により報復的に特に過酷なシベリアの地に抑留されたという。
この真の勇者の、奮闘を讃えご冥福を祈りたい。
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