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眞悟の時事通信バックナンバー
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幼児教育が救国の要に・・・情緒の符合
 最近、テレビニュースを回避したいという思いになっている。それは、あの秋田の隣家の子供を殺した母親のことが報道されはじめてからだ。やはり、自分の子供も川に突き落として殺したらしい。
 それにしても、凄まじい映像ではないか。その者の顔の変化をスローモーションにして放映し、特に物凄い表情になったときに静止画面にする。その間に亡くなった子供達が元気に遊んでいる情景が挟まれる。それを繰り返し繰り返し放映するのだ。また他にも、凄惨悲惨な犯罪の報道があふれている。
 恐ろしい地獄草子の絵を見せて、だから正しくよく生きよと教えたのは昔話だ。今の我々は、映像テクニックによって凄まじく増幅されたテレビ画面を毎日繰り返しこれでもかと見せられて何を感じればいいのだろうか。

 昨夜、思わず数学者の岡潔先生(明治三四年生まれ昭和五三年死去)の本を手に取り、次の文章を読んだ。
「三歳児の四割は問題児という厚生省の発表がありまた。・・・寝耳に水のように驚きました。・・・このまま行くと、六十年後の日本には、ちょっと乗り越せそうもない、厳しい寒さがくるということです。」(「風蘭」より)
 この文章は、一九六三年(昭和三八年)暮れに書かれている。岡先生が生きておられたら、六〇年後ではなく、四〇年後にもう既に厳しい寒さが日本を襲っているとビックリされたであろう。
 
 岡先生は、高度経済成長に浮かれているときに、「心を置き去りにしてこんなことをしていると、今にひどい目にあいますよ」と財界人に苦言を呈し、「私の数学は、情緒を数学という形に表現したもの」と言っておられたという(「情緒と創造」より)。
 そして昨年末に読んだ藤原正彦さんの「国家の品格」を思い出した。この本はベストセラーになっている。この藤原さん(昭和十八年生まれ)も数学者である。そして、「日本人の情緒」が大切であると述べられているのである。
 二人の数学者が、「情緒」を重んじることと「情緒」を回復し伝えることの重要性に於いて世代を超えて符合していることに私は天意を感じた。

 さて、北海道の旭川に小児科医で医学博士の田下昌明先生がおられる(昭和十二年生まれ)。この田下先生が
「真っ当な日本人の育て方」(新潮選書・1200円)
という本を書かれた。
 この本の表紙の裏には、「戦後、アメリカから入った『育児の常識』が、日本人をだめにした」と書かれ、「ベテランの小児科医がたどりついた日本人にふさわしい育児書」と結ばれている。そして、先月六月の末に、尊敬する田下先生の出版記念会が旭川で開かれたので参加した。梅雨の本州から離れれば北海道旭川は晴れていた。
 そこで、驚いた。日本中から幼児教育の責任者がこの出版記念会に参加しておられたからだ。私の住む堺の東百舌鳥幼稚園の樋口園長先生も来ておられた。国会開会中は、同じ堺でもご無沙汰していたのに北海道でお会いすることができたのだ。
 
 そして、思った。この旭川の出版記念会場は、日本に暖かさが戻る兆しではないかと。
 極寒の地にも季節は巡ってくる。冬枯れの木々の堅い小さな一つの蕾が万物の春を告げるとするならば、幼い子供達の心の蕾は、日本の春を告げるのだ。
 この会場に集まる先生方の元で毎日数千人の園児が学んでいるとするならば、一人一人の子供達の心に焼き付いた思い出が日本の未来に影響を与えないはずがない。
 五〇代の半ばを過ぎた私自身も、五〇年以上前の幼稚園の頃の思い出をもっていて、今に至るも生涯忘れ得ない懐かしい情景そして懐かしい歌を与えられているではないか。

 喧噪と軽薄と凄惨なテレビ画面から離れて、時に日本は大丈夫かと自問するとき、暗澹たる思いに囚われることがある。
 しかし、やはり私は、日本を信じる。日本人と生まれたことが、しみじみと嬉しく幸せに感じる日本が必ず甦ると。
 そこで考えると、結局教育は政治の責務に戻っていく。今までも、幼児教育に限らず、あらゆる分野に心ある教育者の実践があった。ところが、我が国の現状は、岡潔先生の予言したように「厳しい寒さに」落ち込んでいる。
 この心ある幾多の実践努力を押し流して現在に至らせた「大勢」を改革しなければならないとするならば、これは、真に政治の役割である。そして、この政治の責務を遂行する為には、一つの時代の転換つまり文明の転換の自覚に行き着かねばならない。

 例えば具体的に言うと、北朝鮮に拉致された日本人の救出に為す術がなかった政治を放置しておいては、改革も転換も無意味である。さらに、自虐史観を受け入れて自らの歴史を失った政治に、拉致された日本人を救出するという行動はできない。
このことは、今までどの党派が、また、どのような思想傾向の政治家が、拉致問題を無視して「日朝友好議員連盟」に集まっていたかを思い起こせば明らかであろう。
 つまり、結局、政治が自らに突きつけられた国民の命を守るという具体的な課題に取り組むことができなければ、国は乱れ治まるところを知らずという暗澹たる状況になるのである。
 よって、拉致問題は、教育の再生と国家の再生に直結する国家存亡にかかわる課題と位置づけねばならない。この問題を前にしては、戦後を特徴付ける憲法も教育基本法も全て見直さねばならないのだ。

 次に、七月に入ってからのことを報告をしておきたい。
 まず、丁度北朝鮮がミサイルを発射したと騒いでいるときに、台湾から国民党総裁の馬英九氏が来日していた。
 常々朝鮮半島と台湾海峡は連動するぞと観察していた私は、
偶然ながらなるほど重なったなと思ったものだ。
では、何故両地域は連動するのか。それは、背景にともに中国が存在するからである。以前、中国の軍事的挑発によって台湾海峡に緊張が走ったとき、朝鮮半島では三八度線の非武装地帯に北朝鮮が武装部隊を侵入させてきたことがあった。
 
 さて、その馬氏が国民党の首脳とマスコミ人を引き連れて院内を訪れた。その時質疑応答の機会があったので、私は、一つの認識を伝えた上で二つの質問をした。
 先ず前提として、「尖閣諸島は我が国固有の領土である。私はそこに上陸してそのことを確認しているのでそのように認識されたい」と述べた上で、「台湾は中国から独立しないということだが、独立という言葉は何処かに支配されていることを前提にして使う。馬総裁は、独立しないと言われた。ということは台湾は今、中国に支配されているのか」と「第三次国共合作はありうるのか」という二つの質問をした。
 これに対して、馬氏は、我々は何処の支配も受けていない、そして、自由と民主と人権という価値を重んじると答えた。

 そのなかで、「では我々は何か」、ということに関して、馬氏が「我々は中華民国である」と述べたのが印象的だった。
 つまり、馬氏の我々は中国から独立しないということは、台湾は中華民国から独立しないということで、何処の支配も受けていないということは、中華民国は、何処の支配も受けていないということなのだ。
 ところで、六十年前に台湾から日本が去った後、台湾は中華民国の「植民地」になった、という認識は「大地の咆哮」という最近の名著(PHP)に示されているが、この認識によると中華民国の国民党(正式には「中国国民党」)の総裁である馬氏は台湾の植民地支配者なのであるから支配者が台湾の独立はないと言うのは当たり前である。
 ここに台湾問題がこんがらがる理由がある。その原因は、中華民国という首都を南京にもちチベットまでを支配する架空の国家が台湾に存在するかのように扱うからだ。
 気の毒なのは、二千数百万人の国民によって成り立っている台湾とその国民である。その台湾には、現在、台湾の民進党という与党と中華民国の中国国民党という野党が存在していることになる。我が国の内政に引き写せば、如何にややこしいか理解できる。李登輝前総統の偉業とご苦労は計り知れない。
 また、中国国民党は、一九二四年に第一回の中国共産党との合体をして分裂し、その後一九三七年に第二回の国共合作をしている。この二回の合作で国民党は弱体化して遂に共産党に敗れて台湾に逃げ込むのであるが、二〇世紀の過去二回の国共合作は、反日暴動と対日戦争を遂行して中国共産党に有利な戦略的環境を作るために為されたものである。従って、国共合作は台湾としても我が国としても警戒すべきことなので、第三次の合作はあるのかと聞いてみた。

 馬英九氏は、美男子でスマートであり選挙で大衆受けする雰囲気を持っている。従って、次の総統選挙で彼が、台湾総統に選ばれる可能性は大いにある。
 中国国民党と中国共産党は、同じ中国の政党だと建前ではなっている。今は台湾の政党である民進党が天下を取っているからいいが、政権が変わると台湾を中国の政党が支配することになるので予断を許さない。注意深い観察が必要である。

 次に、北朝鮮のミサイル発射に関する国連決議とサミットの決議であるが、我が国は、終始強い要望を携えて両会議に臨んで両決議に至っている。政府の努力を評価する。
 しかし、やはり我が国は自ら制裁を実行した上で各国に協力を求める姿勢でないと、国際社会特に東アジアは動かない、ということも国民の目の前に明らかになったのではないか。両決議には、何の強制力もないからである。
 この意味で、拉致問題解決のために我が国はこれから何を為すべきか、拉致問題の正念場を迎えることになる。
 また、同時に、朝鮮半島を巡って中国とロシアが、時に共闘しながら我が国に敵対的対処をしてくるという十九世紀末以来の図式も健在だということも明らかになったであろう。

 いずれにしても、朝鮮半島であれ台湾海峡であれ、単に成り行きを見るという姿勢では何も動かず、我が国自身が「強い日本」として如何に国家意思を明確にするかという主体的な努力が周辺状況を好転させるのに不可欠であると思われる。
 これは、地政学的な必然的問題であり引っ越しできない以上当然である。反対からいうならば、地政学的に我が国は東アジアから逃れられないのであるから、うかうかしていると中国の属国にされるということである。

 さて、七月十五日には仲間九十人ほどの皆さんと、靖国神社のみたま祭りで昇殿参拝をさせて頂き、心が温まる思いがした。
無数の灯籠の明かりのもとに、ゆかたを着た男女が境内に集うみたま祭りは靖国の心が安らぐすばらしい情景だ。
 そして、十五日深夜に自宅に戻った私は、翌十六日には博多での拉致被害者救出集会とデモ行進に参加した。
 その後、車で熊本に入り、夕刻に暖かい同志が準備してくれた国政報告会に於いて日朝平壌共同宣言が、金正日の我が国に仕掛けた謀略文書であるという報告を行った。その夜、熊本で一泊の後、十七日に自宅に戻った。
 その熊本でのこと。
 先に熊本城を臨む花岡山の陸軍墓地に、乃木希典大将の娘さんの小さな墓が草に埋もれてぽつんとあると時事通信で報告したところ、熊本の有志から、陸軍墓地の草を刈りに行こうという話が持ち上がった。
 そして、現実に花岡山に行かれたという。ところが、草は既にどなたかがきれいに刈った後だった。このこと、昨日教えて頂いた。
 そこで、ふと思った。北海道の旭川と九州の熊本の体験が、何か符合していると。
 それぞれの方々が、お互いに連絡を取り合っているわけではないが、一人一人心の中でふと思ったこと何か大切だと感じたこと、などが、同じ共通の「情緒」から湧き出でる想いとして重なってきているのではないだろうか。

「如何なる時勢も必ず変化する。変化することのできない時勢というものはない。時勢とは畢竟変化の連続である。時々刻々に化機を含んでいる。・・・。
 しからば、何によって化機を洞察するか。それは時勢に慊りぬ、それこそ独醒の士の出現によってすでに明らかに看取することができる。
 その時勢に慊りずして、これを疑い、これを憂え、これを憤るような、いわゆる独醒の士の現れることは、即ち時勢そのものの中に、一点良知の光が漏れたのである。」(安岡正篤「王陽明の抜本塞源論」、渡邊五郎三郎先生にお教えを受けた一説)
 一点の光が、各所に漏れてきていると感じるのは、私だけではないと思う。

 
平成
1 8
年
7
月
1 8
日
(火 )
曜日
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