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眞悟の時事通信バックナンバー
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パリは燃えているか
 「パリは燃えているか」
この短い言葉は、20世紀の欧州の動乱を象徴し、映画の題名になったし、音楽の題名にもなった。
 前者は、第二次世界大戦を主題にしたアメリカとフランスの合作映画であり、後者は、NHKの「映像の世紀」というドキュメンタリー映画の冒頭に流れる音楽である。
 
 ところで、現実にこの言葉を発したのは、ヒトラーである。
1940年5月9日、オランダ・ベルギーに侵攻したドイツ軍機械化部隊は、アンデルヌの大森林地帯を抜け、戦車の集中的運用と急降下爆撃機によってフランス軍の抵抗を粉砕して6月14日にパリに入城する。
 フランス侵攻に際して、パリを焼き払えと命令していたヒトラーはパリに迫る軍司令官に電話して「パリは燃えているか」と問うのである。
 現実には、パリは燃やされることはなかった。フランス政府が、6月10日にパリの無防備都市宣言をしていたからである。ハーグ陸戦法規が無防備都市宣言をした街への攻撃を禁じていたおかげである。

 だが、パリは燃えなかったが、全フランスは崩壊し屈服する。
 6月22日、レイノー内閣総辞職後政権を受け継いだペタン元帥の内閣がドイツのヒトラーと停戦協定を締結したのである。
ここに、第一次世界大戦に於ける独仏両軍激突の要塞であった
「ベルダンの英雄」と讃えられたフランスのペタン元帥は、
20年前には敗軍の無名の伍長ヒトラーの前に膝を屈したのだ。
 
 しかし、フランスには一人だけ屈服しない軍人がいた。
かつては、ペタン元帥の弟子であったド・ゴール国防次官である。49歳のド・ゴールは、全フランスの抗戦継続を主張するが、ペタン内閣により抗戦が拒否されると、6月17日、イギリス空軍機に飛び乗って、ロンドンに脱出し、ロンドンからラジオを通じて「自由フランス」の対独徹底抗戦を民衆に呼びかける。そして、結局、このド・ゴールの行動が、フランスを「戦勝国」へ導いて現在も「国連常任理事国」に収まっていることに繋がるのである。将に、救国の実践である。

 そこで、このド・ゴール将軍の(将軍になって一ヶ月しか経っていなかった)ここに至るまでの軌跡を概観してみたい。
そうすれば、今のこの時代に日本に生きる私が、ここに何故
「パリは燃えているか」という表題を付けて時事問題を論じるのか分かっていただけると思う。

 ド・ゴールは、1890年11月に生まれ、1970年11月に亡くなった。フランス大統領退任後18ヶ月目の死であった。
彼は、貴族の家系に生まれた誇り高いフランス人であり
「フランスは、偉大さ無くしてフランスたりえない」(第二次世界大戦回顧録)という信念の保持者であった。

 ド・ゴールは、軍人を志し陸軍士官学校に入学する。
以後、彼の軍人としての出世を促すものは、第一次と第二次の戦争である。平時での彼は出世できないでいた。大尉から少佐になるのに10年もかかっている。
 士官学校時代には、同級生が進級するのに彼だけ進級しなかった。校長から、ド・ゴールだけ進級させなかった理由を尋ねられた教官は、
「大将にしかなれないやつを軍曹にしても仕方がないでしょう」と答えたという(嘘か実か不明ながら)。

 第一次世界大戦でド・ゴールは、中隊長として戦闘に参加し、3度目の負傷により気絶したままドイツ軍の捕虜になった。
 この時の独仏両軍の戦闘モデルは、10年前の日露戦争である。世界最強の陸軍を打ち破った10年前の日本陸軍の戦法が第一次世界大戦のヨーロッパの陸戦におけるモデルになった。即ち、歩兵の突撃である。
 しかし、その戦法による人的損害は、彼らの想像を絶したものとなる。例えばベルダン要塞の攻防戦は、旅順要塞攻防戦をモデルとして行われたが、フランス軍損害40数万人、ドイツ軍損害22万人であった。モデルとなった旅順陥落までの日本軍損害は6万人である。10年後の独仏両軍の損害と比べれば、牧歌的と言える少なさである。しかしこれでも、司馬遼太郎氏などによって、未だに旅順攻撃の悲劇が語り継がれているのである。従って、ベルダン要塞攻防戦がどれほどの悲惨さであったか想像もできない。

 ともあれ、独仏両軍は勝者と敗者に分かれて戦争は終わり、両軍将兵は悲惨な教訓を得て戦場から国に戻り、欧州に平時が訪れた。そして、独仏両軍は将来を見越して何をしたのか。
 
 フランス軍は、ドイツ国境にマジノラインという巨大な要塞を構築して、ドイツの脅威からフランスの安全を確保できると考えた。マジノラインを主導したのはベルダンの英雄ペタン将軍である。
 他方、ドイツは、戦場に初めて現れた飛行機と戦車に着目して、戦車の集中的運用が可能な装甲師団の創設と急降下爆撃機を研究し始めた。
 即ち、フランスは第一次世界大戦での戦争の悲惨を思い知り、要塞の中に立て籠もれば安心であると信じて「防御を徹底する方向」に進み、ドイツは、機械力による迅速な「攻撃を徹底する方向」に進んだのである。
 
 何故、独仏両国は、このように第一次世界大戦後に国防思想が分かれたのか。
 それは、後日ド・ゴール自身が1932年出版の「剣の刃」という著書で述べるように
「国家とは、小国は拡大を、大国は支配を、老いたる国は現状維持を欲するものである」からである。
 即ち、敗戦国の桎梏を負わせられたドイツは拡大と現状打破を欲し、戦勝国フランスは、ベルサイユ体制による支配と現状維持を欲した。これが、独仏の国防思想を両極に分裂させた理由である。

 しかし、平時のフランス軍においても、陣地防衛思想を廃してドイツと同様に戦車と航空機に着目した将校がいた。
 それが、ド・ゴールであった。
 彼は、フランスの防衛は、戦車と航空機を中心にした機械化部隊によって実行されるべきであるとして譲らず、要塞による陣地防衛の優位性を信じる軍首脳と対立した。その結果、ド・ゴールには、陸軍大学における優等生の資格が与えられなかった。
 だがド・ゴールは屈せず、戦車500台を中心とする機甲師団の創設と運用の必要性を書物にして出版する。既に、ドイツがオーストリアを併合する1938年のことである。
 しかし、この本を大量に取り寄せて研究したのはドイツ参謀本部であり、フランス陸軍はますますド・ゴールを異端扱いにして排除したのだ。歴史とは、何と皮肉か。
 
 フランス軍は、ヒトラーがオーストリアを併合し、さらに同年ズデーデン地方を併合した後も、ペタン元帥以下、マジノラインによる陣地防衛によりフランスは安泰と考えていた、というより信じていたのである。従って、この信仰に反するド・ゴールは、フランス軍の宗教裁判上の「異端」であった。
 
 驚くべきことであるが、この「フランスの信仰」は、ドイツ軍が、ポーランドに侵攻した1939年9月1日以降も変わらなかったのではないか。
 何故なら、機械化部隊のフランス唯一の専門家であるド・ゴール大佐がフランス機甲師団の運用を任せられるのは、翌年の5月11日で、この日はドイツ装甲師団がオランダ・ベルギーに侵攻してフランスになだれ込んできた2日後になってからだからである。
 つまりフランスは、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まっているのに、まだ9ヶ月間もマジノラインでフランスは安全という「信仰」を「現状維持」していたのだ。

 そして、結果は?
・・・先に述べた通り・・・一ヶ月後の6月14日、ドイツ軍がパリに入城する。地上における戦車の集中と空中の急降下爆撃機の統合運用による電撃作戦の前には、マジノラインなど、有っても無くても同じであった。

 さて、この時事通信は、フランスの歴史物語を伝える所かと疑問をていされることなかれ。
 以上の、フランスの屈服の物語が、そのまま我が国の現代政治であり、我が国の運命のモデルなのだ。

 実は我が国の危うさを思うとき、「パリは燃えているか」という言葉ほど、私の脳裏に印象深く留まる言葉はない。
 丁度8年前の平成10年4月。衆議院では、PKO法改正案の審議が行われていた。その4月30日の衆議院本会議で、私は次のように発言した。
「ただいま議題となりました、いわゆるPKO法改正案の審議に関して、総理大臣に対し、その不可欠の前提問題から質問いたします。
 今議題になっているのは、他国への国際貢献でございます。
しかし、我が国の今直面する最重要の課題は、他国への国際貢献の前提としての我が国国家の再生を如何に図るかという問題であります。
 そうでなければ、PKO部隊として海外で活動している我が国の青年の祖国つまり我が日本が、
その背後で燃えている、
他国のPKO部隊が来ているという事態が生じかねないからであります。

・・・危機に於いて、我が国民の命を救えない体制を放置して国際貢献を語る、この欠落に震災時の閣僚であった総理大臣においては、ぼつぼつお気づきいただきたい。
・・・そうでなければ、領土を奪われ、妹や娘を他国に拉致されながら、しかも、自力救出に取り組もうとしない祖国を後にして、どうして我が国の青年に、海外に出て国際貢献をしろと総理が指示できるのでしょうか・・・」

 この本会議質問から既に8年である。しかも、日本政治は何ら変わらないのだ。領土と国民が奪われて回復も救出もできずに平和だと思っている。
 今も拉致被害者家族に、日本の総理大臣は会おうとしない。
この度、他国のアメリカの大統領が横田早紀江さんに面会し、深い同情を示した。つまり、当事者の日本は何もしない状態が20年以上も続いているのだ。
 
 さらに、東アジアには、ド・ゴールが指摘したように、
「支配と拡張と現状打破を求める国家」と「現状維持を求める国家」が存在し、前者は独裁権力によって台湾併合に関して武力行使・核ミサイル使用を公言しながら急速に巨額の軍備増強を続けている。そして、後者は、「平和憲法」が平和を維持してくれると信じ、その背後にいるアメリカも民主主義国家で、その国民は他国を救うために自国民が核攻撃を受ける危険を甘受するような大統領の出現を許さない。
 
 この状況の中で、何をもって平和がいつまでも続くと断言できるのか。ド・ゴールならば、「戦争」必然と断言するであろう。但し、ここでいう「戦争」とは古典的な20世紀半ばまでの戦争ではなく、
Other Than War(OTW)、つまり、
「戦争かと思えば戦争でなく、戦争でないと思っておれば戦争である」ような「現在の戦争」である。
 事実、ド・ゴールを待つまでもなく、北朝鮮が我が国主権を蹂躙して日本国民多数を拉致抑留している、これは既に戦争ではないか。
また、覇権拡大国の我が国に対する裏のプロパガンダと強力な政界・マスコミ工作は、既に「戦争」即ちOTWの領域に入っていると考えている方が正確だ。

 アジアに於いて拡張と現状打破を求めるのは、
中国と北朝鮮である。
彼らは、ナチスドイツが先の戦争に現れた戦車と航空機に注目し、それを中心とした軍隊を作ったように、先の戦争に現れた核爆弾に執着して国家の総力を挙げて核大国また核保有を目指している。
 特に中国は、既に核ミサイル大国であり覇権国家である。
そして、我が国周辺海域で力の信奉者として傍若無人であり、全て中国の海の如きつもりでいる。あたかもオーストリアもズデーデン地方も、ドイツのものとして実力で併合してきたナチスの域に既に達している。
 中国のこの増長が止まることがなければ(放置すれば止まらないのが中華思想であるが)、台湾から尖閣諸島はおろか、沖縄諸島も併合し、我が全日本も属国化しようとするであろう。いや、既に中国の属国の政治家のつもりでいる日本人がわいてきている。先に述べた8年前の本会議で質問した総理大臣は大丈夫であろうか。覇権国家のプロパガンダ・工作活動の成果である。

 そして、我が日本では、あの時のフランスと同じで、「専守防衛」が教典化している。
あの時のヨーロッパと今の東アジアと、違うのは、ツールだけだ。
即ち、現状打破のツールとして、第一次世界戦後はナチスドイツの戦車と航空機であったが、第二次世界戦後は、それが核爆弾に変わった。これは中国と北朝鮮にある。
 では、その時のフランスの防衛思想を体現したマジノラインに匹敵するものは何であろうか。
それは、今の日本にある日米安保条約とMD(ミサイルディフェンス)である。日米安保条約があるから、アメリカの「核の傘」の中にいるから安全であると日本の与野党が「信じている」のであるが、これでは、糞の役にも立たなかったマジノラインを「信じていた」フランス人を笑う資格はない。
(ちなみに、先日防衛庁のキャリアとMDについて話しているとき、彼は、MDは有効だと「信じています」と言った。)
 
 繰り返し確認するが、現在の日本にある「マジノライン」は、
アメリカの「核の傘」とアメリカから巨額のカネを召し上げられて導入しつつあるMDということなのだ。

 では、この「マジノライン」に頼れない、頼ってはだめだ、これはいざとなれば役に立たない、とすれば、我が国はどうすればいいのか。
 既に自明だ。
 ド・ゴールは、ドイツ装甲師団に対抗してフランス機甲師団を率いて迎撃し、一時ドイツ軍を撃退している。
 即ち、敵の機動部隊を抑止できるのは味方の機動部隊であったのだ。これが、ド・ゴールが異端といわれても主張し続け、かつ、
5月11日の師団長就任から6月5日の国防次官転任までの短時間ではあったが、ドイツ軍装甲師団相手の実戦で証明してみせた冷厳な事実だ。
 
 よって、我が国も現在の「マジノライン」に頼らず、敵と同じ力を保持して敵の力を抑止するしかない。
 即ち、核爆弾・核弾頭ミサイルを背景に持った中国の覇権拡張に対しては、
こちらも核弾頭ミサイルを以てその動きを抑止することが、国家と国民を守り平和を維持し、アジアの太平をひらく唯一の方策である。

 昨夜、パリに住む長年の友人と話したとき、清貧の生涯をおくった「二つ星の大統領」であったド・ゴール将軍が話題になった。

(ド・ゴールは生涯、1940年5月にフランス機甲師団を率いてドイツと闘ったときの階級章である星二つを大統領になってもつけていた。各国の大統領は、国軍の最高指揮官であるから五つの星をつけるのが地位相応であり二つの星では階級が低すぎる。
ちなみに、防衛政務次官であった私の星は四つであったし、内閣総理大臣は五つの星の旗を掲げる。しかし、ド・ゴール大統領は生涯二つ星を帽子に付けていて「二つ星の大統領」と言われた。ここにド・ゴールの誇りと燻し銀のような性格の一端が現れているように思える。)
 
 フランスに住む愛国者である友人との電話を終えてから、我が国の将来に対して焦燥感に似た危惧の念が込み上げてきた。
 そして本日、ド・ゴールがマジノラインを信じるフランスの大勢・フランスを不幸にする間違った「フランスの信仰」に警鐘を鳴らすことが祖国フランスに貢献することであると確信したように、
私も、アメリカの核の傘とMDを信じてこと足れりとする現在の日本の大勢つまり日本を不幸にする間違った「日本の信仰」が、
実は国家崩壊と亡国への道だと警鐘を鳴らし、諸兄姉と国を憂う志を共有すべしと考えて、再び以上の通り「核」に関して書いた次第である。
 拙文ではあるが、「パリは燃えているか」という表題以下全文、
フランスのことを書いたのではなく、われらの祖国である日本のことであると思ってお読みいただきたい。
 そして、ド・ゴールが、「本能と知性」を重んじたように、我々も一人一人ド・ゴールになって、怯まず警鐘をならし、祖国と子孫の安泰を期そうではないか。
 ド・ゴールが実証したように、一人の警鐘と実践が祖国を救うことがあるのだ。

 訂正・・・5月2日記
 「パリは燃えているか」という言葉を発したのはヒトラーですが、発する場面に関して私の勘違いがあり本文で間違いました。
 現実には、この言葉はドイツ軍のパリ占領末期である1944年夏に発せられたもので、ドイツ軍のパリ侵攻時に発せられたものではありません。
 即ち、ヒトラーは、連合軍がパリ奪還のためにパリに進攻してくれば「パリを焼き払え」と命令していました。そして、現実に連合軍がパリに入城した際に、ドイツ軍パリ占領軍司令官に電話して
「パリは燃えているか」と質したと言われています。
 以上、本文を訂正いたします。勘違いして申し訳ありません。
                    
平成
1 8
年
4
月
2 9
日
(土 )
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