新年おめでとうございます。
お国の安泰と、ご皇室と皆様のご多幸を祈り申し上げます。
元旦の朝、仁徳天皇陵に参拝する。
すると、声をかけてくれた方があり、
「仁徳陵に参拝したあと護国神社まで歩く」と言われる。
その方と、仁徳陵の前で、
「旅順陥落は百年前の今日一月一日ですね」という会話をして別れる。
日本人に出会えることの清々しさよ。
さて、平成十七年、西暦二〇〇五年は、
一つの「転機」の年になると思われる。
転機は、誰が見てもそうと分かる争乱のなかで進行することもあるが、一見平穏ななかで進行しあとから振り返って「やはりあの時か」と分かるような転機もある。本年は、このような転機の年である。
この観点から、以下問題点を概観したい。
1,拉致問題
拉致問題ほど国民の心に深く強く浸透して国政を突き動かしている課題はない。
これは、長年の家族の戦いをきっかけとして、気がつけば
「巨大な関心」として政治の世界に存在し、この国民的課題を無視して政治は成り立たなくなった。
そして現在、「経済制裁」への民意の動きはますます増大してきている。当然、この経済制裁に関してマスコミに登場する人士の間で、賛否両論が交わされている。
そこで、経済制裁は効果がない、という論に対して次のように反論しておきたい。
経済制裁は意味がないという論つまり制裁反対派の声は、三つの方向から聞こえる。
一つは、「政府寄りのスタンス」から、二つ目は政府寄りとは反対の「反政府左翼のスタンス」から(護憲派といってもよい)、三つ目は言わずとしれた「親北朝鮮派」からである。そしてこれらは、「実利」によってお互いに重なり合っている。
北朝鮮への政府援助や商売によって「一儲けしたいやつ」は、一と三に集まり、政府や北のカネで宿泊費丸抱えの旅行をしたいし政府の設置する各種「審議会の委員」になりたい学校の先生つまり「学識経験者」は、一と二と三の混合物となる。左翼は、二と三である。
この制裁反対派が賛成派に対して、
「制裁をして効果がなければ、どうする」と反論する姿勢が年末年始にマスコミで目立った。
また、「経済制裁は宣戦布告とみなす」という平壌放送も制裁反対の論拠とされている。平壌放送一つで日本の世論を左右できるとは、やはり言ってみるものだ、日本は見事に反応していると、首領様も得意だろう。
これら制裁反対派は、結局現状維持つまり小泉さんがいつも言う「対話と圧力」のうちの「対話」をこれからも維持するということであろう。
では、「対話」というかれらの維持したい現状は何であるか、この本質と実態をまず問いたい。
それには、次のことを点検してみる必要がある。
つまり、北朝鮮との関係のなかで、どういう要因が絡み合い、効果を発揮して今まで事態が動いてきたかを総合的に見ること。
金品の提供および提供約束に限っても、
@ 「戦後の補償も含む賠償約束」に対する漁船船長の解放(金丸訪朝)、
A 二回にわたる米五十万トン単位の贈与による対話の継続(主に加藤幹事長や河野外務大臣時代)、
B 破綻した朝銀に対する一兆四千億円の公的資金投入と平壌首脳会談のセット(第一回小泉訪朝)、
C 兆単位の援助約束に対する金正日の拉致自白と五人帰国(第一回平壌会談における平壌共同宣言)、
D 二十五万トンの食料と千万ドル相当の医薬品提供に対する帰国者の家族の帰国と八人の再調査約束(第二回平壌会談)
以上、目立ったところを拾って見てもこの通りである。
いつも我が国は、金品の提供をぶら下げて北朝鮮と交渉しているのが分かる。全て金品の提供なくして何も進行していない。金品を提供すれば北朝鮮は動いている。
つまり、結論。北朝鮮に対しては、金品は効果がある!
ここで、経済制裁は効果がないという論は根拠を失うではないか。とりわけ、政府は、北朝鮮は金品に動じないとはいえないだろう。いつも、金品を見せることによって交渉をしてもらっていたのだから。 つまり、従来の我が政府の乗っていた路線は、「対話」という無色透明なものではなく、金品提供は北朝鮮に対して効果があるという経済制裁と同じ前提の上での逆制裁路線、即ち「経済提供」路線であったのだ。
そして、付言するならば、この「経済提供」路線が、利権派を呼び込み政府の基盤を形成していたのだ。カネには臭いがあり、この臭いの元に人が集まって従来の「対話」路線ができていた。「対話」とは金品を貢ぎながらすること。即ち「対話」の実態は利権だ。
よって、決着を付けなければならない問題は、
従来の「経済提供」路線か、新しい「経済制裁」路線かである。
金品を提供し貢いで、何かをいただくという路線を維持するのか、拉致した日本人を解放しなければ金品は提供しないという路線に転換するのか。
いずれが、問題の本質に即し、また、効果があるのか。
私の結論は、即時強度の経済制裁を発動すべしである。
従来の、金品提供による「対話」は対話にならず、ただ貢ぐだけであった。金品切断つまり経済制裁による圧力のもとで迫るとき真の対話が始まる。
この度の日朝実務者協議における資料分析の発表は、年末年始をひかえたクリスマスイブに行われた。制裁反対派は、この時期の発表を歓迎したであろう。
しかし、官邸の意図とは逆に、年末年始の時期をくぐっても、
拉致問題に関する国民の怒りは高まりこそすれ関心が薄まることはなかったのである。
超党派の拉致議連は、二七日に最強の経済制裁断行を決議して官房長官や外務大臣に要請行動を行った(総理大臣は、例によって会わなかった)。
2,国防問題
昨年秋、イラクで日本青年が人質になって殺された。
その時、「同じイラクに自衛隊が行っているのに、何故救助行動に入らなかったのか」との非難の声があがった。
この声を上げた国民の感覚はきわめて自然であり、きわめて常識的である。
(この人質事件の際、政府は、外務副大臣を現地(イラクにあらず)に送ったが、何のために送ったのかさっぱり分からない。
送られた彼の本職は、お坊さんであり、縁起が悪いではないか。まさか、あらかじめ、供養するために送ったのではあるまいが。)
では、「何故、イラクの日本人青年をイラクに駐留する自衛隊が助けないのか」と糺すならば、同時に、飛行機で二時間以内に行ける北朝鮮に、日本人数百人が理不尽にも拉致抑留されているのだから、
「何故、国内に二〇万人以上いる自衛隊に政府は救出行動をとらせないのか」・・・この疑問と問題提起もきわめて自然であり常識的である。
政治は、この問題提起に如何に応えるのか。そもそも、応えられるのか。
イージス艦を持ち、最新鋭の戦闘機を持ちヘリを持っていても、国民を救うことができないならば絵に描いた餅ではないか。
自衛隊は、国民を救うためにあるのではないのか。
政治がつまり内閣総理大臣が本日、「拉致被害者全員を救出せよ」との命令を自衛隊の統合幕僚会議議長に発したとすれば、部隊はその命令を直ちに実行に移し明日にでも日本人被害者を北朝鮮から連れて帰ってきて任務を遂行することができる。・・・これが「国民の軍隊」ではないか。
しかし現在、その装備と能力が自衛隊に不足しているとするならば、直ちに予算措置を講じて、自衛隊にその能力を付与させる。これが政治の責務ではないか。
しかるに、拉致問題解決を訴える総理大臣の頭の中というより政界全体に、具体的に国民を救出しうる事態即応型の軍隊の育成という発想が無いのだ。
本年は、いよいよ、この常識的で自然な国防論を巻き起こさねばならない。北朝鮮の金正日様が、帰してくれるのを待つだけが、拉致問題の解決ではない。奪われた同胞を「救出」することが解決である。
その前に、「経済制裁は宣戦布告とみなす」といわれて、制裁反対を言う論者の状況認識を確かめねばならない。彼らは、今ある「平和」を続けることに価値をおいているのだが、
そもそも、「貴君一人が平穏に毎日過ごしていれば、世界は平和であるのか」、
「拉致被害者家族の状況は、平和か。主権を侵害され国民を奪われた国は平和なのか」
さらに、「貴君の本音は、救出を諦めてくれということか」
私の考えでは、数百名の国民が拉致され奪われた状況は、既に戦争状況である。既に平和ではない。
従って、現状は平時ではなく有事である。
日本がこの状況を作ったのではない。まさに北朝鮮が一方的に作ったのである。
従って、有事には有事の発想をしなければならないのだ!
自分の家が燃えているのに、その家の「構造改革」や郵便ポストの「民営化」ばかりを言っているのはアホではないか。
また、家が燃えているのに、
「家を燃やすぞ」と言われて吃驚しているのもアホである。
まず、消せ。まず、救い出せ。
まず、この問題意識を強固に持て。
日朝国交樹立などは、火を消してからだ。
3,経済政策
本年も、小泉内閣の頭の中には、財政均衡とそのための「増税路線」しかないようだ。
しかし、度々言うように、政府の仕事は、
「国民の需要に応じて富を生み出す全体としての国民経済」
の規模を大きくしていくことなのだ。
今、全体としての国民経済が生み出す富は、縮小傾向にあり年間五百兆円を切ってきている。しかし、需要が増えれば、我が国経済は直ちにその増加した需要に見合う供給が開始される状態にある。
しかし、現実には需要が伸びないので供給能力は眠ったままである。この「需要の不足により実現されない供給能力」は、三百兆円とも試算されている。これをデフレギャップという。
つまり、我が国には年間八百兆円の生産能力があるのに、需要が少ないために、その能力は眠ったままでデフレとなり現実の生産は五百兆円以下に抑えられている。
よって、今しなければならないのは、需要喚起策である。
需要を喚起させるためには、使うカネが増えねばならない。
その方策は減税である。
減税により需要が喚起され、巨大な供給が新しく始まり、国民経済が成長して規模が拡大し、税収が増大して、財政が均衡に向かう。
つまり、税収を増やすためには減税をすればよいのだ。
このような成熟した段階に我が国経済はある。
しかるに、政府とその官僚は、未だに税収を上げるには増税すればよいと思っている。
菜種の油と百姓は絞れば絞るほど出るとでも思っているのだろうか。
消費税導入以来の経験に学ばないと言うことは、我が国官僚機構の現実から遊離した硬直性は、戦前戦後を通じて変わらないということである(いや、江戸幕府の官僚まで遡るかもしれない)。さらに、政治家もマスコミ人も、経済通であるためには、経済学者や官僚と、細かい経済の議論ができねばならないと思っているからたちが悪い。この経済学者や官僚が、今の惨憺たる状態を作ってきたのではないか。
・・・ ・・・ ・・・
以上、本年は静かなようであるが、
国民救出、国防、経済など、あらゆる分野で、「政治の決断」が否応なく求められる時期に入っている。
従って、従来の官僚機構に国を任せていれば確実に崩壊するであろう。
また、党派の枠で事態を乗り越えることができると思っていれば、何も前進させることができないと、政党人も思い知るべき時がきている。
よって、超党派の拉致議連の運動は平沼赳夫会長を立てて今年も前進する。
要するに、党派ではなく「お国の為に」という一点で議論ができなければ役に立たないのだ。・・・このこと、既に転機の証である。
同志諸兄姉各々、本年を、真の転機として意義ある年とすべく職務に励もうではありませんか。
本年のご多幸をお祈りしております。
また、五月二十七日、日本海海戦勝利の日に、
対馬でお会いできることを楽しみにしています。
|