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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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硫黄島の日米合同慰霊追悼顕彰式

平成26年3月20日(木)

 三月十九日、硫黄島擂鉢山近くのアメリカ海兵隊上陸開始地点を見下ろす丘で、硫黄島の闘いで戦死した二万八千七百四十六人の日米両軍将兵の日米合同の慰霊追悼顕彰式に出席した。
 三度目の硫黄島訪問である。

 硫黄島は、東京から南に約1280キロメートルの海上にある南北8・3、東西4・5キロ、面積約22平方キロ(東京都品川区と同じ)の亜熱帯の火山島で、地熱が高く至るところで硫黄を発散していて地殻変動が激しく河川や地下水は全くなく人間が生きる為には雨水だけが頼りの島である。
 硫黄島は、西方約1380キロ地点に沖縄本島、南に同じく約1380キロの地点にグアムがあり、最も近い小笠原諸島父島とも約270キロ離れている絶海の孤島である。

 そして硫黄島は、大東亜戦争末期、アメリカ軍が、サイパンやグアムからB29爆撃機による首都東京を初めとする本土空襲を敢行するにはどうしても手に入れなければならない島であり、
日本軍が、アメリカ軍の本土空襲を阻止するためには、どうしても死守する必要がある島であった。

 昭和十九年、この硫黄島を死守するために島に着任した帝国陸軍小笠原兵団長の栗林忠道中将は、地下陣地に立て籠もって地上のアメリカ軍を迎え撃つ作戦を立て、洞窟式交通路構築計画を下令して島に全長十八キロの地下壕を構築して二万二千余名の将兵を地下壕に入れアメリカ軍の上陸を待ちかまえた。
 アメリカ軍は海兵隊十一万の勢力を以て硫黄島に押し寄せ、
 昭和二十年二月十六日、島への砲爆撃を開始し、
 同十九日、上陸を開始し、
以後、硫黄島では、地上のアメリカ軍と地下の日本軍との壮絶な戦闘が三十六日間にわたって行われた。
 三月十七日、栗林中将、大本営に対し決別電、以後、音信不通
 三月二十六日、栗林中将、残存兵力を率いて総攻撃を敢行し、これを以て日本軍の組織的戦闘は終結し、ゲリラ戦に移る。

  決別電
  国のため 重きつとめを 果たしえで 
       矢弾尽き果て 死ぬぞ 悲しき

 日米戦死傷者数
 日本軍   22766人、内戦死21925人
 アメリカ軍 28686人、内戦死6821人

 遺骨収集について、
 戦後、硫黄島はアメリカ軍に接収された。しかし、昭和二十五年頃に仕事で島に渡り二年間滞在した民間人が、戦没者の遺骨が放置され散らばる惨状をみて遺骨収集を開始して、それを本土に送り続けた。
 それから、平成二十五年までの間に収集され本土に帰還した遺骨は
 合計10492柱であり(全戦没者の47・8%)
 未だ11433柱の遺骨が島の地下に眠っている。

 そこで三月十九日、六十九年前に敵味方に分かれて死闘を繰り広げた日本とアメリカが、合同で戦没者の慰霊祭を行った。
 式は、午前十一時から、アメリカ海兵隊が最初に上陸した浜を見下ろす丘で厳粛に行われた。
  式次第概要は以下の通り
 陸上自衛隊中央音楽隊と第三海兵遠征軍音楽隊の演奏
 日米国旗軍旗入場
 日米国歌演奏
 祈りのことば 第三海兵遠征軍牧師 T・C・ゴートン大佐
 以後、
 日本側・アメリカ側の追悼の言葉、献花、献水(日本だけ)、
 黙祷、鎮魂ラッパ吹奏 、国旗軍旗退場、閉式の辞。

 注目すべきは、
 アメリカ側が、海兵隊司令官ジェームス・エイモス大将が出席し、まず第一に追悼の言葉を述べ献花したことである。
 これに対し、日本側は、エイモス大将に匹敵する階級の
陸上幕僚長岩田清文大将(陸将)が出席しているのだが、軍事色を一切退けて式に臨んだ。
 私は、思う。
 栗林中将以下二万千九百二十五名の戦没将兵は軍人として戦死し、未だ収容されていない一万千四百三十三名は戦闘状態のままで島の地下に眠っている。
 よって、これら英霊の慰霊は、アメリカ側と同じように、我が方も、英霊と同じく命に代えて祖国を守る任務を持つ者が先頭に立って行うべきではないか。
 何故なら、英霊は、祖国を信じながら、祖国を守る任務を持つ者に、あとを頼むぞという思いで亡くなっていったからだ。

 式の冒頭に、アメリカ側が、敬意を以て、六十九年前に硫黄島で闘った九十歳を超えたラリー・スノードン海兵隊退役中将と数名の老兵士を紹介した。
 私は一瞬、我が方も、現実に硫黄島で闘った老兵士が来島しているのかと思ったが、誰も来ていなかった。
 そして、そうか、硫黄島で闘った日本兵は皆死んだのか、生き残った人がいない闘いだったのか、と改めて知った。

 式終了後、私を含む参加した十三名の衆参議員は、一台のバスに乗って島内の慰霊地と陣地跡と壕を廻った。
 硫黄島は、今も全島、壕の島である。
 その壕の入り口周辺には未だ弾痕が突き刺さって赤く錆び、遺骨収集の終わった壕では、外に壕内にあった鉄兜や飯ごうやビンが集められている。そして壕の中にはいると一挙に地熱による蒸し風呂だ。そして、当時のままのビンがころがっていた。
 私は、東京から持参した水を、水に飢えたであろう錆びた飯盒にかけた。そして、慰霊地の祭壇に靖国神社のお酒を置いた。

 硫黄島を離れる前に、擂鉢山に登って全島を見渡した。
 そして、島の地形を見て、栗林中将もこの擂鉢山の上から島を眺め、壕を掘って地下に潜るというアメリカ軍迎撃体制を決定したのだと思った。
 それにしても、擂り鉢山の上で思う。
 この島の地下に全長十八キロの壕を張り巡らせて二万の将兵と大砲や戦車を地下に潜らせるという構想の雄大さ、
そして、その構想を、ツルハシとシャベルで実現し、
さらに、実際に、水のない五十度を超える地下の壕内に潜んで一ヶ月以上も猛爆撃に耐えながらアメリカ軍に二万八千余の損害を与えて玉砕した日本人の魂の力の凄味は想像を絶する。
 
 彼らに、この鬼神も泣く敢闘を為さしめたものは、何か。
 それは、一日硫黄島を護れば、一日米軍の本土爆撃を遅らせることになる。そうすれば、より多くの子供達が安全なところに疎開できるという確信である。
 硫黄島は、
 二万二千余人が玉砕した霊の島であり、
一万千四百三十三の遺骨がまだ地下に眠る我が国の聖地である。

 

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