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日本のこころを大切にする党 西村眞悟

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世界人権宣言十二月十日発布から東京裁判の本質を見抜け

平成25年12月13日(金)

 本年四月二十八日の「主権回復確認」を踏まえて、再び十二月に書くべきことを書きとめておきたい。
 即ち、主権を奪われたときに何があったのか、とうことである。
 
 そこで、何故、世界人権宣言の発布された年月日を表題に書いたのか。
 それは、第二次世界大戦の連合国が行った我が国の戦時指導者に対する戦犯裁判と称する東京裁判と密接な関係があるからだ。
 この東京裁判は、連合国軍最高司令官だったD・マッカーサーが全権を任されて行ったもので、実質上はマッカーサー裁判であった。彼は、この裁判を我が国を支配する独裁者として取り仕切ったのである。

 そのマッカーサーが仕切った東京裁判の流れは以下の通り、
昭和二十一年四月二十九日(天長節、天皇誕生日)、起訴
 同    五月三日(翌年の憲法施行日)、審理開始
 同二十三年十一月十二日、判決宣告
 同    十二月二十三日(皇太子誕生日)、絞首刑執行

 マッカーサーは、昭和十七年、日本軍に敗北してフィリピンのバターン半島に追い詰められ、そこから七万の部下をおいて脱出した(逃亡した)司令官である。つまり生き恥さらした男だ。
それ故、彼は敗北した我が国に「バターン号」という名前を付けた飛行機で乗り込んできた。
 そして真っ先にしたことは、かつて昭和十七年に、自分をバターン半島に追い詰めて逃亡を余儀なくさせた日本軍の司令官本間雅晴中将に対する復讐であった。
 彼マッカーサーは、本間雅晴中将がバターン半島に立て籠もるマッカーサー軍に対する総攻撃を命じた同じ日の同じ時間に彼を処刑した。即ち、昭和二十一年四月三日午前零時五十三分。
 
 マッカーサーは、同じくマニラで軍事裁判にかけた山下奉文大将を、昭和二十一年二月二十三日、囚人服のまま絞首刑によって殺したが、本間雅晴中将は、軍服を着用させ銃殺している。
 これを以て、マッカーサーが本間雅晴中将に武人の名誉を与えたように言われているが、私はそうではないと思っている。
 マッカーサーの性格から推測して、本間中将が総攻撃命令を下した時間ドンピシャリに彼の肉体に弾をぶち込むために銃殺にしただけだ。
 マッカーサーの決めた東京裁判の起訴から死刑執行までの日付けといい、本間雅晴中将銃殺の日と時間といい、マッカーサーの実に執念深い嫌な陰湿な性格が現れているではないか。

 そこで、昭和二十三年十二月十日に発布された世界人権宣言と東京裁判判決宣告の関係であるが、これもマッカーサーの意向で決定されたと思われる。
 それは、マッカーサーが東京裁判の本質を「裁判」ではなく「復讐殺人」であることを知っていた何よりの証拠である。

 世界人権宣言は、世界人類が保障されるべき人権を宣言したものであり、当然、刑事罰に於ける罪刑法定主義つまり事後法の禁止が宣言されている。
 従って、この世界人権宣言が為された後では、「平和に対する罪」等々の恣意的に拡張された犯罪概念を以て被告人を死刑にしようとする東京裁判は続行できなくなる。
 よって、マッカーサーは、世界人権宣言が世界に公表される前に東京裁判を結審させて判決を終え、皇太子殿下が十五歳のお誕生日を迎える日に狙いを定めて一挙に七人を殺したのだ。
 その殺害の日と時間は、十二月二十三日午前零時一分三十秒から三十五分の間。
 つまり、七人は、マッカーサーのこだわりによって、二十二日の深夜、絞首台の前に引き出されて日付けが変わるまで待機させられ、二十三日の午前零時の時報と共に首に縄を巻かれて吊るされ、約三十分間吊したままにされて確実に殺された。

 これが、我が国が主権を奪われている時に、
 我が国に君臨した武士道・騎士道のかけらもないマッカーサーが為したことである。

 しかしその二年後に朝鮮戦争が勃発する。
 総司令官マッカーサーは、朝鮮半島に雪崩れ込んでくるソビエト軍の武器装備を持った北朝鮮軍と中国共産党の人民解放軍に応戦して、東京裁判に於ける東条英機をはじめとする被告人の主張の正しさを実感する。
 そして、東京裁判に於ける東条英機らの主張を否定したままで朝鮮戦争に対処する自分の判断の正当性を主張できないと判断し、
昭和二十六年五月三日、アメリカ上院軍事外交合同委員会で次の通り証言する。
「したがって、彼らが戦争に突入したのは、主にセキュリティー(安全、生存)の為だった」
「Their purpose,therefore,in going to war was largely dictated by security.」

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